翌朝、すっかり元気になったシッティはいつものように起きると、仕事の支度をしていつものように出発したらしかった。
食卓の上には「シゴト イッテクル」といういつもの書置きがあった。
結局、昨夜はもんもんとして一睡もできなかった俺は、その簡素な書置きに肩を落とした。
――思い悩んだのは俺だけか。
俺はシッティの作った朝食を頬張りながら、昨夜のできごとを振り返る。
――キス、だよな。
唇に触れた熱いそれ。その感覚を思い出し、俺は頭を激しくかきむしった。
――いやいや、病人だし、きっと、頭がはっきりしてなかったんだろ。
そうだ。きっとそうだ。そうにちがいない。
ここは年長の俺が、何もなかったことにしてやるのが一番いい。
うんうん、とひとり頷く。
ひそかに心ときめいてしまったなんてことはあってはならないのだ。
そう思って、また頭を振る。
ときめいてない。断じて。
俺は朝食を胃に詰め込むと、台所に立って後片付けをはじめる。
食器を洗い、そのあと昨日作ったうどんの残りを確認する。
干せば乾燥うどんになって、長期保存ができるはずだ。
俺はうどんの表面に触れて、乾燥具合を確認する。
「あ、あやしいぞ……」
指先にはやわらかいままのうどんの感覚があった。
うまく干せていないのかもしれない。
「こりゃだめだ。もう昼飯に食べるか」
「それはいい。ぜひご相伴にあずかりたい」
「おーう。……ん?」
俺以外誰もいないはずの部屋から人の声がした。
俺は慌てて振り返る。
「……ええっと……ガレ、さん」
「うむ。邪魔している」
「どこから……」
入って来たんですか、というところまで俺が言うより先に、彼は答えた。
「玄関から入った。施錠していなかったぞ。不用心だ」
「はあ」
彼はプラチナの髪をかきあげると、勝手知ったるシッティの家の居間のソファに腰を下ろした。
俺も彼に続いて向かいのソファに腰をかける。
シッティによると、彼は第一王子であるはずだ。お茶のひとつくらい出した方がいいのかもしれないが、こうもフランクに家にやって来られると、もてなすのも馬鹿らしくなってしまう。
俺が口を開くより先に、ガレが荷物を取り出した。
「見舞いをもってきた」
「見舞い?」
「シルマレッティが熱を出したときいて」
「ああ……でも、もうよくなって、今朝出勤しましたよ」
彼は芝居がかった動作で天を仰いだ。
「すれ違ってしまったようだ」
「はぁ……」
「まあ、いい。これは見舞いだ。シルマレッティに渡してくれ」
渡された荷物の中を見ると、中にはよく知っているものが入っていた。
「これ……エナジードリンク!?」
黒い派手な蛍光ピンクの缶。
日本でよく見たエナジードリンクである。
「え? なんで? なんでここに?」
「賢者が作ったものだ」
「ええ!? 賢者って、あの、日本から来たっていう?」
「ああ」
俺は腰を抜かすほど驚いた。
「どうやって、え、もしかして賢者って指からエナジードリンクが出たりするんですか?」
ガレは首を捻る。
「えねじ?」
「これのことですよ!」
俺はエナジードリンクを彼の鼻先につきつけた。
「ああ、ポーションか。まあ、そうだな。賢者はこのポーションを無限につくれる」
「ぽーしょん……」
「なんだ?」
「ポーションって、あの、回復薬ですよね?」
「疲労によく効く。あと、魔法使いの魔力回復にも。傷口にかけると止血剤にもなる」
「へ、へぇ」
俺はまじまじとエナジードリンクを見た。
どこからどう見ても、コンビニで売っているエナジードリンクだ。
製造場所は日本になっているし、賞味期限も切れていない。
どこにでもあるエナジードリンクの外見をしているというのに、俺の醤油とは違って特別な効果があるというのだ。
ますます俺のスキルの外れ具合が引き立つ。
まあ、恨み言を言っても仕方がないのだが。
俺はそれをまた荷物の中に戻すと、ガレに尋ねた。
「でも、なんでポーションをシッティに?」
「このところ、ずいぶん必死になってワショクを作っていたらしいじゃないか。疲れがたまったんだろう?」
なるほど。
俺は唸る。
ここのところ、賢者が来るという晩餐会に向けてシッティは全力を注いでいたのだ。
「やっぱり、風邪じゃないよなぁ」
俺はぼやく。やっぱりあの医者はヤブだ。
「悪いことしました。シッティ、俺のために……」
「どういうことだ? 晩餐会と君になんの関係が?」
「ええっと、シッティが、その、晩餐会で和食を出して、賢者さまに俺のことを伝えてくれるって……たぶん、それで気合をいれてくれて」
「ああ」
ガレは頷いたあと、それから少し考えて、また言った。
「なら、お前も晩餐会に来ればいいじゃないか」
「い、いいんですか?」
「いいさ。結婚の披露もできる。シルマレッティといっしょに参加しろ」