俺は食材を並べて首をひねっている。
にんじん、じゃがいも、玉ねぎ……。
シッティの家の台所にはいろいろな食材がある。それどころか、鍋にフライパンに、各種調味料までそろっている。料理をするにあたって、困るということはまずない。
しかし、俺は困っていた。
「和食の病人食……」
シッティのリクエストをこなすにはどうすればいいだろうか。
そもそも、メニューが決まらないのだ。
俺は頭をフル回転させて、かつて俺が日本にいたころの記憶をたどる。
寝込んだ時、必ず食べたもの……。
社会人になったときは確か……。
スポーツドリンク、フルーツの缶詰、アイス……。
だめだ、ちっとも和食じゃない。
独り暮らしの35歳なんてこんなものだ。
今度はもっと子どもの頃の記憶をひっぱりだす。
寝込んだ俺に両親が作ってくれた料理……。
おじや、おかゆ、雑炊……。
問題は、この世界に米がない点だ。
この世界の主食はパンで、麦と大麦が主流だ。
トウモロコシも見かけたことはあるが、流通量はそんなに多くない。
麦を使った料理で、和食で、病人でも食べられるもの……。
俺は首を捻って捻って、捻りまくった。
そして。
「あ」
ひとつの料理を思い出した。
小学校のころ、調理実習で作ったことがある、あれだ。
*
小麦粉をふるいにかけ、そこに濃度10%の塩水を入れる。
生地がそぼろ状になったら、一度休ませる。
そのあと、清潔な袋に入れ、上から踏む。
踏む、丸める、踏む、と5回ほど繰り返したら生地を丸める。
丸めた状態でまた生地を休める。
打ち粉をして綿棒で生地を薄く伸ばし、屏風状になるように畳み、包丁で細く切る。
最後にたっぷりの湯を沸かしてゆでて、だし汁と醤油と砂糖で作ったスープに入れて……。
「うどんの完成!」
深めの椀に注がれた茶色い澄んだスープ、そして鎮座する真っ白な麺。
さて、シッティはどんな反応をしてくれるだろうか。
*
「シッティ~? 夕飯だぞ~」
「うー」
俺が声をかけても、シッティは部屋から出て来そうにない。
そこで、うどんをトレイに乗せて俺はシッティの部屋に向かった。
「シッティ、入るぞ」
「うーん」
部屋では相変わらず真っ赤な顔をしたシッティがベッドに横になっている。
咳もくしゃみもないが、熱だけが一向に下がらないのだ。
俺は彼の額の上に乗せた手ぬぐいを新しく氷水で冷やしたものを取り換え、また別の布で彼の首や体を拭き取ってやる。
世話をしている間、シッティは目こそあいてはいるものの、特に言葉を発さず、されるがままであった。
シッティの部屋は家の主らしく、俺の使っている部屋よりひとまわりほど広い。
しかし、中に置いてあるのはベッドと本棚と机くらいで、生活感はあまりない。
それもそのはず、シッティはまさに仕事の虫で、暇さえあれば台所に立っているのだ。
俺はこの部屋にいるシッティは見たのがはじめてかもしれない。
それくらい、シッティが体調を崩すことはめずらしいのだ。
体を拭き終わると、俺は言った。
「ほら、さっぱりした。飯食えるか?」
シッティはぼんやりとした焦点の合わない目をしてうなる。
「うー」
「うどんだぞ。風邪のときはうどんがいいんだ」
ほんとうはネギやショウガがあればもっといいのだが、この際贅沢はいえないだろう。
俺はうどんをシッティの膝の上に置いてやった。
だしの食欲をそそる香りが湯気とともに立ち上る。
シッティは数回目を瞬かせると、ようやく正気になったらしい。
「ジロウ?」と俺の方を向き、それからうどんをまた見た。
「うどんだぞ。醤油味」
俺は言う。
シッティはうれしそうにフォークをとった。
「む……うぅ……」
しかし、なかなかうどんはシッティの口に届かない。
うどんはつるつるとすべり、フォークではうまく食べられないようだった。
「あー……食べさせてやるよ」
俺は苦笑して、台所から箸をもってくると、それでうどんをつかんでシッティの口元に運んだ。
「あ……」
口に入れた瞬間、シッティが目を見開く。
「うまいか?」
聞くと、彼は何度も頷いた。
「おいしい……!」
「よかった、ほら、ゆっくり食えよ。朝から何も食べてないんだから」
「うん」
麺と言えば日本人はすすって食べるが、この「すする」という行為は意外と難しいらしい。
シッティもうまくすすることができず、ただでさえ熱で赤くなっている顔をさらに真っ赤にさせて麺をすすっている。
「ああ……くらくらする」
ついには酸欠まで引き起こした。
食べ終わったシッティはベッドに横になって、胸を大きく上下させている。
俺はまた苦笑する。
「でも、全部食べられたな」
「うん」
「早く良くなれよ」
「うん。……ジロウ」
「ん?」
「…………」
何かを言われた気がしたが、声が小さくて聞こえない。
俺はぐっと彼の方に身を乗り出した。
「シッティ?」
返事はない。
もう寝たのだろうか。
俺がよそ見をした一瞬。
ちゅ。
小さな小さなリップ音とともに、俺の唇にシッティの熱い唇が重なった。
「え?」
俺が慌てて身を引いたときには、もうシッティは規則正しい呼吸とともに眠りについていた。
「え?」