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第7話

 その日は、シッティは休みだった。

 休みの日といえばシッティはいつもより遅くまで寝ているのだが、今日は珍しく早起きしてきた。

 彼は食卓につくと、俺が朝食を作るのを眺めはじめる。


 彼はまるで犬が餌を待っているように熱心な目を向けていた。

 俺は彼をからかう。


「なんだ、おなかすいたのか?」


「ううん。ゆっくりでいいよ。まだ頭が起きてないから」


「寝てればいいのに」


「ジロウを見ていたい」


 苦笑しながら、俺は手早く肉を切り、卵を焼いた。

 マルボと呼ばれる、この国のよくある朝ごはんである。

 この頃になると、俺はもうこの国の料理もある程度作れるようになっていた。


 庶民の料理は、シッティの作る宮廷料理ほど色鮮やかでもなければ、複雑で計算された味がするわけでもない。

 しかし、その国や民族の文化や生きる風土をよく表す。


 たとえば肉。

 この国は畜産が盛んで、人々は魚より肉を好む。

 そして肉を好む国では香辛料が好まれる。塩、胡椒にはじまり、カルダモン、タイム、ローズマリー、バジル、パセリ……。こちらでは違う名前で呼ばれることもある香辛料だが、味と香りは日本にあったものと同じである。これらをこの国は交易で手に入れている。


 マルボは、肉をヨーグルトとスパスで漬けてこんがり焼いたものだ。

 半熟の卵を添えて、卵黄をソースにして食べる。

 日本人好みにアレンジするなら、隠し味に醤油を足すのだろうが、それはさすがにシッティに不評だった。


「ほら、できたぞ」


「わあい」


 俺が完成した料理を皿に盛りつけると、シッティは喜んでそれを食卓に運んだ。

 そして二人で向かい合って、手を合わせる。


「いただきまーす」


 シッティはほんとうにおいしそうにものを食べる。

 いまも、そんなに珍しいわけでもない庶民的な料理を目を閉じてゆっくりと咀嚼している。

 ほんとうに料理というものを、するのも食べるのも大好きなのだろう。


 彼の長いまつげが頬に陰をつくっている。

 そして喉がゆっくりと上下したあと、彼は花が開くように笑う。


「おいしい」


 俺も笑う。


「それはよかった」


 料理をつくる、食べる、おいしいと言ってもらう。

 それはいつの間にか俺の当たり前になっていた。


 半分ほど食べすすめたところで、シッティがおもむろに口を開いた。


「結婚したら、マルボをつくってもらうのが夢だったんだよね」


 俺はそれに、どう反応したらいいものかわからず、固まった。

 こんなおっさんが作って悪かったな、と、いつものように軽口を叩いてやろうかとも思ったが、それにしてはシッティがしんみりとした空気を出しているのだ。


 それで、俺は動揺した。


「ど、どうした、急に」


 俺が言うと、シッティは「うーん」と言って、そのまま食卓に突っ伏してしまった。


「へ? お、おい、シッティ?」


「ジロウ……」


「ん?」


「気持ち悪い……」


「ええ!?」


 慌てて彼の額に手をやる。


「熱! お前、熱出てるぞ!」


「そうなのかなぁ……」


 熱があると思ってあらためて彼を見ると、何やらいつもよりへにゃへにゃしている。

 俺は慌てて水を彼の口元に運んでやる。


「水飲め。いつから体調悪いんだ?」


「わかんない……」


「医者って、どうしたらいい? 呼ぶのか? 行くのか?」


 こんなときに、こちらの世界の常識を知らないことがもどかしい。

 慌てる俺とは対照的に、シッティはまだマルボの続きを食べようとしている。


「食欲はあるんだな」


「うん。だから、寝てたら治ると思うんだ」


「そうかぁ……?」


 俺はひとまず引き下がった。シッティもまだ若いとはいえ、一人暮らしを長くしている大人だ。

 世話の焼きすぎもよくない。

 そう思い、食べ終わったシッティが部屋に戻っていくのを見送った。


 ところが、次の日になってもシッティの熱は下がらなかった。

 それどころか、朝食につくったパン粥さえ食べられないほどに悪化していた。


 さすがの俺も驚いて、道行く人に尋ね聞いて医者のいる場所にたどり着き、なんとかシッティに薬を飲ませることに成功した。


 医者が帰ったあと、俺は顔を真っ赤にして横になっているシッティに声をかけた。


「シッティ、よかったな、ただの風邪だって」


「うん……寝ていたら治るんだよ……ジロウは大袈裟なんだから……」


「お前が体調崩すなんて初めてだったから……」


 俺は鼻をかく。

 シッティのことが心配で、医者を探して大騒ぎしてしまった。


「シッティ? ちょっと寝るか? 昼飯、どうする?」


 時はちょうど昼過ぎである。

 シッティは朝から薬を飲んだほかは何も食べていない。

 俺が顔を覗き込むと、シッティは荒い呼吸をしながら言った。


「いらない……」


「ええ!?」


 衝撃だ。

 ここまでの同居生活で、シッティがその外見に不釣り合いなほどに食いしん坊であることを俺は知っている。

 そのシッティが、食事をいらないと言ったのだ。


「やっぱり、あの医者ヤブかもしれないな。別の医者を呼ぼう。ただの風邪なわけがない」


「……風邪だよ」


「でもさ」


「じゃあ、何か、ワショクの病人食を作って……」 


 シッティのリクエストを聞いて、俺は頭を抱えた。


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