シッティに雇われてからひと月ほど経った。
シッティは仕事が順調な日は、中休みをとって帰ってくることもあるが、だいたいは朝早くに出勤し、夜遅くに帰ってくる。
俺はシッティが仕事に行っている日中、家の掃除をしたり、和食を作ってみたりしている。食材についてはシッティが買って帰って来ることが多いため、俺はこの家からほとんど出ることがない。
というわけで、もともと出不精なところがある俺は異文化の中に溶け込む努力をやめて、シッティの家で引きこもり生活をエンジョイする日々を送っている。
そんなある日、シッティが不在の時間に家のチャイムが鳴った。
出てみると、そこにはいかにも貴族の青年、といった風情の人物が立っていた。彼は伸ばしたプラチナの髪を掻き上げて尋ねた。
「お前がジロウか」
俺は萎縮して答える。
「はい、そうですけど」
「思っていたよりも普通だ」
失礼なことを言って、男は遠慮なく家に入り込む。俺は慌てた。
「あの、シッティは留守です」
「知っている」
「いや、あの」
「お前に会いに来た。ジロウ。異世界の話を聞かせてくれ」
男は自身のことを「ガレ」と呼ぶようにと言った。この世界では正式な名前を呼ぶのは失礼であり、名前を縮めた愛称で呼び合う。
ガレはまるで家の配置を知っているかのようにまっすぐに廊下をすすみ、居間につくとソファに身を沈めた。
曰く、彼はシッティの幼なじみなのだという。
「異世界人と同居をはじめたと聞いていたのだが、いつまで経っても紹介がないから、私のほうから来てやった」
「はあ……」
俺はどう反応すべきか悩んだ。男の話はほんとうにも聞こえるし、嘘にも聞こえる。家主の留守に身元のわからない人間を入れていいものか、居候の身分で客を追い払ってもいいものか。
「あの、シッティが帰ってきてから、改めていただけませんか」
「なぜ? 私はジロウに会いに来たんだ」
失礼のないように絞り出した言葉は、あっさりと返された。
俺はいよいよ困ってしまった。そんな俺を眺めて、男は愉快そうに笑った。
「そう警戒するな。……噂のショウユはないのか?」
この言葉で、俺は少しだけ警戒を解いた。この王都において、俺のスキルを知っているのはシッティだけだ。彼とシッティが幼なじみだというのは本当かもしれない、と思えた。
俺が醤油を小皿に出すと、男は物珍しげにその黒い液体を眺めた。
「おもしろいな」
「はぁ……」
「これまで、異世界人には2人ほど会ったことがあるが、こんな珍妙なスキルは初めて見た」
「え!? 異世界人? 俺の他に?」
「別に、驚くようなことでもないだろうに」
男は肩をすくめる。
俺は前のめりになって尋ねる。
「王都にいますか? 会えますか!?」
「1人は珍しいスキルもちゆえ、王城に保護されている」
「王城……」
役に立たないスキルを持っているせいで一般人扱いの俺では立ち入ることができない場所だ。
俺の落胆を見てか、男は励ますように言い添えた。
「まあ、どちらも同じ異世界からの客人。そのうち縁があるだろう」
俺はなんとも言えない気持ちになって黙りこくった。
男はそんな俺の顔を覗き込むと、口角をあげた。
「シルマレッティの話をしてやろう」
男はシッティをフルネームで呼んだ。
「おもしろい話?」
俺が尋ねると、彼は悪だくみをする子どものような笑顔で答えた。
「奴がとんでもない人間だという話だ」
男はそれから、シッティの子どもの頃の話を始めた。貴族に生まれたが料理人として生きるために家を飛び出したこと、飛び出した先で店を持ち、それが話題を呼んで両親に見つかったこと、料理人になれないなら死んでやると暴れたこと、国王が仲裁に入り、王宮料理長となったこと。
次々と語られるシッティの昔話に、俺はぽかんと口をあけた。
「それ、本当にシッティの話ですか?」
思わず、そう本音を漏らすと、男は噴き出した。
「本当だ! 虫も殺さないような顔をしているが、国一番のはねっ返りだぞ! まったく、うまく化けたものだ……!」
男はひとしきり笑ったあと、ぐぐっと身を乗り出した。
「さすがの狂犬シルマレッティも、結婚相手にはいい格好をしたいわけだ」
「結婚相手?」
俺が問い返したと同時に、玄関が乱暴に開かれる音が家に響いた。
「ガレ!」
そして同時にシッティの声ーー珍しく怒気を孕んだーーが聞こえた。
「家主の留守に入り込むとは無礼だぞ!」
シッティは部屋に入るなり客人に指を突きつけて怒鳴った。
「我々の間に礼など必要ないだろう?」
客人は飄々とした態度で応戦する。
シッティは苛々とした目で相手を睨め付ける。
「しばらく夕飯は魚料理にする」
一発触発の雰囲気の中、シッティのこの言葉であっさりと男は引いた。
「あいや、邪魔した。また結婚祝いを持ってくる」
嵐が去ったあと、俺は混乱したままシッティに尋ねた。
「結婚相手って?」
シッティは答えない。俺がもう一度「結婚相手って?」と繰り返すと、彼は小さく「まあ、この世界はそう考えるんだよ」と答えた。
「そう考えるって?」
「女神が与えたカードの相性がいい2人は結婚するって考えられてるんだよ」
シッティの答えに俺は仰天した。
「ええ!? それって、つ、つ、つまり……」
「ジロウと僕」
「ええ?」
「それに、成人した大人同士が一緒に暮らすっていうのは、そういう関係ということだし」
付け加えられた説明に、俺はひっくり返りそうにそうになった。
「そんな学生じゃああるまいし! いっしょに暮らすだけの2人ってのもあるだろう!?」
「そんなの、親子とか兄弟くらいじゃない?」
「ええ!? だ、だって、そもそも、俺たち、男同士だよな?」
俺はシッティを見る。確かに彼の体の線は細いが、女と見なすには無理がある。俺においては言うまでもない。
ところが、シッティは俺にさらなる爆弾を投下した。
「男同士でも結婚してもいいんだよ?」
「い、異世界進んでるぅ……」
街で見かけた手を繋いで歩く男2人はそうだったのかと、ようやく謎が解けた。
「つまり、シッティは俺と結婚したって勘違いされているのか」
「まぁ、簡単にいうとそういうことかな?」
「それって、困らないのか? 大丈夫か?」
「大丈夫だよ。僕、恋人いないし」
だからといって結婚していると誤解されていると何かと不自由だろう。まだまだ若い彼のことだ。胸に秘めた恋や、これから出会いだってあるはずだ。
とはいえ、いま急に王都に放り出されてしまったら、今度は俺が困る。一人暮らしをするにしても新しい仕事を探すにしても、先立つものがない。
勢いを無くした俺を見て、シッティはぷりぷりと怒り始めた。
「もう、あいつ、ほんとうに何をしに来たんだ! いい迷惑だ」
「あ、ああ、えっと、勝手に家に入れてごめんな」
「どうせ強引に入ってきたんだろう。そうに決まってる。やっぱり夕飯は魚料理だ」
「あの、あのさ、それさ」
シッティの作る夕飯を食べる人物。それはつまり。
「ああ、ガレは王子なんだ。第一王子。この国はもう終わりだと思うよね?」