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第3話


 翌々日、俺の勤務が始まる日である。


 俺はさっそく仕事のことをシッティに尋ねた。すると、予想外のことを伝えられて仰天した。


「え? 俺の職場ってここなのか?」


「うん」


 シッティに職場として示されたのは、そのまま、まさにここ3日ほど居候しているシッティの家だった。


「あれ? 俺って王宮料理人の下働きをするんじゃあ……?」


「僕、そんなこと言っていないけど」


 俺の疑問に、シッティが目をこすりながら答える。彼は今日は5日に1回の公休日だ。いつもなら早朝に出勤する彼だが、今日は昼過ぎまで寝ていた。


 手持ち無沙汰な俺が適当にベッドを干したり、シーツを洗ったりしたところ、シッティは大喜びして、結果としてベッドから出られなくなったようだった。


 そうして彼はいまようやく俺が用意していたベーコンエッグを食べ終わったところだった。



 シッティは続ける。


「王宮料理人になるには例え見習いであっても試験に合格しないとね。……ジロウは僕が個人的に雇ったんだよ?」


「ええ?」


 確かに、言われてみれば「僕が雇う」と言っていた気がする。目の前にぶら下げられた餌(仕事)につられてよく確認しなかった俺も悪い。とはいえ。


「いったい、何の仕事するんだ?」


「そんなの、決まっているじゃない」


 シッティは彼自身を指さした。


「僕にワショクを教える家庭教師」


「王宮の料理長に教える技術なんてないぞ……」


「そんなはずないよ。ワショクに関しては、僕のほうが見習いだよ。あ、給料は月5000メーテルでお願い」




 シッティはにこっと笑う。俺は憂鬱だ。大学時代から一人暮らしをしていたとはいえ、いわゆる男の料理しかしてこなかった。しかも、ほとんどインターネットでレシピを見てから、そのレシピを簡略化して適当に作っていたのだ。インターネットのないこの世界で和食を作れる気がしない。


 俺が頭を抱えているあいだに、シッティは肩まである髪をひとつに束ね、エプロンをつけていた。


「じゃあ、まずは肉じゃがからお願い」


 彼は屈託なく笑う。俺はため息をついて、それから覚悟を決めた。


「働かざる者、食うべからず!」


「ははは、ジロウ、大袈裟~」


 こうして、俺たちの和食づくりがスタートしたのだった。



*****




 シッティは間違いなく料理人だ。人参の皮は無駄なく剥くし、じゃがいもの芽もかならず除く。水に晒したり、煮込んだりするようなめんどくさい作業を省いたりしない。日本のスーパーではみかけないような不格好の形の野菜たちを的確に同じ大きさに切り分けられる。


 そして、妥協もないらしい。


 俺が止めるのも聞かず、彼はたった半日の間に鍋3つ分の肉じゃがを作ってしまった。




「作りすぎだろ」


 俺は冷静に突っ込む。俺は最初のひと鍋分をいっしょに作った。それ以降は、肉じゃがを極めようという彼の意欲が止まらなかった結果だ。


「どうするんだよ」


「何事も練習だから」


 俺の言葉に、シッティはあっさりと返す。確かに、王宮の料理長になるくらいなのだから、これまでもこうしていろいろな料理を研究してきたのかもしれない。しかし。


「なあ、これ全部食べるのか……?」


 俺の戦々恐々とした問いに、シッティはまたもあっさりと返す。


「食べるまでが料理だよ?」


「ごもっとも……」


 雇い主の言葉には逆らえない。


俺たちは調理道具を片付けると、テーブルの上に肉じゃがとパンとサラダを並べた。




「いただきます」


「はーい」


 シッティが盛り付けた肉じゃがは料亭で出される料理のように、一部の隙もない。和食を見たことのないはずの彼がここまで和食らしく盛り付けができるのはやはり彼のジョブがなせる技なのだろうか。


 俺は唾を飲んでから、スプーンを手に取った。




 こんにゃくこそ手に入らなかったものの、黄金のじゃがいもに、鮮やかな橙の人参、そしてつやつやとした緑の絹さや。どれもよく煮込まれて、くったりと、それでいていっさい煮崩れせずにお行儀よく皿の中に座っている。


 俺はスプーンでその計算し尽くされた盛り付けの端を崩す。


 まずはじゃがいもだ。じゃがいもは大ぶりに切られているが、スプーンで簡単に切ることができた。外は黄金で、中はやさしい黄色をしている。


俺が作ったときはスープにじゃがいものぼろぼろになったものが浮かんでいたが、この肉じゃがのスープは澄んでいる。


シッティがじゃがいもに俺が知らないひと手間を加えたのは明らかだ。




 じゃがいもを口に含むと、ほくほくのそれが舌に溶けていった。最後には芋の甘味が残る。


「うまい……!」


 俺が感動すると、シッティは鼻の穴をふくらませた。


「でしょう? でしょう? ほら、もっと食べてよ」


 俺は勧められるまま、肉じゃがを食べた。


 どれもよく味が染みている。それでいて、食材の食感も楽しめた。


前回俺が作ったときも、決して手抜きをして作ったわけではなく、むしろ普段よりも手間暇をかけたつもりだった。しかし、くらべるまでもなく、シッティの肉じゃがの方が断然うまい。食材の切り方とか下ごしらえとか、細々としたところもあるのだろうが、何よりも。


「出汁が……! これだよ、この味だ……和食の味だ」


「ふふ。魚の出汁って難しいよね。僕もこれには苦戦したよ」


「‥‥すごいな」


 もちろん、かつお出汁、とまではいかないが、よく知った、出汁の味である。俺にとっては実に2年ぶりの故郷の味だ。


「軍用携行品の川魚の干し魚しかなかったんだ。でも、次はジロウの言うように海の魚でやってみるよ。これはこの国にはない味付けだから、きっとみんな物珍しがって食べたがるよ」


 シッティはご機嫌だ。




 俺はもう一口肉じゃがを頬張る。また一口、もう一口と口に運ぶ。懐かしい味は俺に郷愁の気持ちを取り戻させてしまった。




 目の奥に、実家の父母といっしょに食卓を囲んでいる俺の姿が映った。俺は笑っていて、両親も笑っている。他愛もない、天気とかテレビの話をする。懐かしい実家の匂い。緑のカーテンが揺れて、庭の犬がこちらを覗き込む。俺はたまらなくなった。




「あれ」


 涙が溢れた。おかしいな、と思って手の甲で拭き取ると、また手の甲に一粒落ちた。


「‥‥す、すまない。その、まずいわけではなくて‥懐かしくて」


 止めようとすればするほど、涙があふれる。


 別に、この世界の料理がまずいわけではない。野菜は新鮮だし、香辛料も贅沢に使われている。海の幸も山も幸もある。平和なこの国は嗜好品も普及している。




 しかし、やはり故郷の味は恋しい。


 苦しい生活に必死で、ここまで気が付かなかった。いま、やっとシッティのもとで安定した生活を送り始めて、故郷を思う気持ちが無視できないほどにふくらんだ。


「わかるよ。故郷の料理は魂に刻まれているから」


 シッティにあやされるように言われて、もう限界だった。


「ふっ‥‥う‥‥く、ぅ‥」


 俺は大粒の涙を流しながら、懐かしいその味を頬張った。








「取り乱して、申し訳なかった」


 落ち着いたあと、俺は皿を洗ってくれているシッティに声をかけた。俺はまだ食卓に座っていて、彼に背を向けている形だ。


俺は年上だというのにみっともなく声を上げて泣いたことを恥じて、とても顔を見て謝罪はできそうになかったのだ。




 後ろで、シッティがくすりと笑う気配がした。


「気にしないで。それに、何度でも作ってあげるよ」


「いや、そんなに甘えるわけには…」


「いいよ。だって、これからいっしょに暮らすわけでしょう?」


「そのことだけど、本当にこんな簡単な仕事でいいのか?」


 いまの俺の仕事といえば、シッティの夕飯を作って掃除して風呂の準備をして、あとは休みの日に和食のレシピを伝えるくらいだ。


 これで自炊とはいえ三食宿付き、おまけに給料まで出るというから驚きの好待遇だ。




「いいよ。本当は家庭教師だけで十分だったのに、家事までしてくれてるし。ふふ、ふかふかのベッドで寝たのは久しぶりだったよ」


 シッティはそう言ってくれるが、俺はその言葉をそのまま受け取ることができない。俺は俺の懸念を口にした。


「シッティはきっとすぐに和食を覚えるよ」


「僕が和食を覚えても、醤油はジロウにしか作れないじゃない」


「でも」


 シッティは、俺の心を見透かすように、ほしいことばをくれた。


「ここにいていいよ」


「……」


「だって、僕たち、カードの相性はぴったりなんだよ? 神が僕たちに共に生きろと言っているんだよ」


 そうか、と俺は言った。そうだよ、と彼が言った。そうだといいな、と思った。


 異世界にやってきて、どこにもなかった俺の居場所が、この明るい青年の側であれば、どれほどいいだろうと思った。


「シッティ」


「なあに?」


「お前の料理はすごいよ」


「ええ?」


 俺は心から、目の前の料理人に賛辞を送りたかった。やさしい味だ。一口で、記憶が溢れる味だ。俺は彼の料理を褒めるのに、どんな言葉がいいかしばし悩んで、それから凡庸な言葉を使った。


「ごちそうさま」


 その言葉に万感の思いを込めて。


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