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第2話

 王都キンバスへは俺の住む地方都市から馬車を使っても丸5日かかった。シッティは街では宿をとってくれたし、馬車の中でも横にならせてくれた。しかし、旅に慣れない俺は疲労困憊した。




「つかれた〜……腰が…」


 俺は馬車から降りるなり、腰をバキバキ鳴らしながら体を伸ばした。そしてその場にしゃがみ込む。


 シッティは呆れ顔だ。


「ジロウは本当に体力がないね。異世界人ってみんなそうなの?」


「まぁ、そうかも」


 俺は学生の頃はサッカー部としてそれなりに運動する習慣があったが、社会人になった途端に体が脂肪を蓄えだした。


 こちらの世界に来て酒とコンビニでの買い食いをやめたことでだいぶマシな体つきになってきたが、こちらの中年男性たちのすらりとした体型と比べると明らかに劣っている。言うまでもないが、まだ22歳だというシッティとは比べ物にならない。


「ひとまず、今日と明日はゆっくり休むといいよ」


「ありがとう」


 シッティの言葉に、俺は素直に感謝した。




 俺はしばらくはシッティの家に居候することで話がまとまっていた。シッティは自分のことを「レストランの料理長」と言っていたが、実のところ彼は王宮の専属料理長であり、王宮にほど近いところに料理長の家が用意されているらしかった。


 その家は7部屋もあるらしく、シッティひとりでは持て余しているのだそうだ。




「部屋は階段登って右側の部屋を使って」


「はい」


 シッティに指示されるがまま、俺はしばらく厄介になることになる部屋に荷物を運んだ。荷物といっても、スキルカードと軽い財布と、水筒がわりの皮袋、あとは干し肉数切れだけだ。


 5日前までは生きるか死ぬかの瀬戸際だったのが、今日からは屋根のあるところで3食食べられる生活になる。人生、諦めてはいけないものだ。




 部屋にはベッドがひとつと、机と椅子があった。日本で言うなら6畳くらいの広さだろうか。俺はベッドに大の字になって寝転がって、自分の幸運を噛み締めた。




*****




 翌日、俺が朝起きると、シッティはもういなかった。ダイニングらしい部屋のテーブルの上に黒パンとサラダ、そして「シゴト イッテクル」と簡素な置き手紙があった。


 窓の外を見ると、まだ日が昇りきっていない。料理人の朝は早いというのは聞いていたが、ここまで早いとは思わなかった。




 俺はシッティが用意してくれたであろう朝食を摂り、それからキッチンで皿を洗った。こちらのキッチンは日本で使っていたものとあまり変わらない。蛇口があって、シンクがあって、作業台がある。蛇口には魔法石がついていて、2回叩くとお湯に、1回叩くと水になる。


 料理人の家らしく、キッチンはよく清掃されていて、食材も豊富に揃えられていた。


 俺はちょっとだけ躊躇ったあと、その食材に手を伸ばした。







 シッティが帰ってきたのは日がどっぷり暮れてからだった。


「ただいま〜」


 声が聞こえて玄関まで行くと、シッティが座り込んでいた。


 彼は上品なローブを着ていた。胸には王宮への出入りをする者であることを証明する獅子の刺繍が入れられている。仕事着のようだった。


「おかえり、シッティ」


「ひとりにしてごめんなさい。いつもなら昼や夕方に一度抜けて帰って来られるんだけど、もう見習いたちがきちんと仕込みをしていなくてさぁ、困っちゃうよ」


 シッティは眉根を寄せて、「明日もちょっと早めに行って、見習いに教えてあげる約束したんだ」と言った。幼い印象の顔立ちをしている彼だが、料理に関しては厳格で、面倒見のいい料理長であるらしかった。




 俺はおずおずと尋ねた。


「夕飯を作っておいたけど、食べる元気はあるか? やっぱり、まかないみたいなのを食べてきたか?」


「ええ? 夕飯?」


 シッティが弾かれたように顔を上げた。


「料理人に出すのは気がひけるけどな、ほら、和食。興味あるんだろ?」


「ワショク! 食べる!」






 俺が料理を取り分けると、シッティはそれをじっと見つめた。温めなおしたそれからはもくもくと湯気が立ち昇っている。彼はその湯気まで味わうかのように、顔を皿の上にもってきて、ゆっくりと湯気を吸い込んだ。


「いい匂い」


「ほら、冷めないうちに」


「うん」


 まず、彼はスプーンでスープをすくった。飴色のスープには透明な油が浮いて、崩れたじゃがいものかけらが沈んでいる。スプーンが彼の口に運ばれる。舌の上でころがして、それから喉を上下させた。


「おいしい」


「よかった」


 彼はどんどん食べ進める。次はじゃがいもだ。少しだけ煮崩れしてしまったが、じっくり煮込んだそれはスプーンで切れるほどやわらかくなっている。


 そして人参。皮むき器が見当たらなかったせいで、包丁で皮を剥くことになり、表面ががたがたしている。シッティはそれをひとくちで口に放り込む。


 最後は牛肉だ。これには自信がある。薄くスライスした肉を軽く焦げ目がつくまで炒め、そのあとに煮込んでいる。香ばしい香りとしっかりした噛みごたえがあるはずだ。




 全部を食べたあと、シッティは目を閉じた。


「ショウユと砂糖の味がメインだ。素材の味が引き立つ味付け‥‥このエグみは魚のエキス?」


「魚の出汁なんだけどな、うまくいかなかったよ」


 和食の命といってもいいかつお出汁。残念ながら俺がいつも使っていた顆粒だしなんてものはない。


 今回はキッチンにあった小魚の干したものを使った。もちろん、そんな出汁の取り方をしたのは初めてだ。おそらく、それが原因で少しだけエグみを生んでしまった。




シッティが唸る。彼はもうすっかり料理人の表情だ。


「彩りも問題があるね」


「絹さやがあればいいんだけどなぁ」


「キヌサヤ?」


「エンドウ豆が成長し切る前に収穫して鞘ごと食べるやつ」


「ああ、なるほど。それで緑色と苦みを足すんだね。ちょっと甘すぎると思ってた」


「あとこんにゃくな。芋を摩り下ろして、練って茹でるやつ」


「それはこの国にはないかもね。どんな芋?」


「うーん、俺も詳しくないからなぁ……」


 俺も自分の皿によそった分を食べる。シッティは褒めてくれたが、完成度は60%といったところだろうか。


 どうしても和食を完璧に作るには材料が足りない。




 シッティが尋ねる。


「この料理、名前はなんていうの?」


「肉じゃがだよ」


「ああ、肉とじゃがいも」


「そういうこと」


「いいね。ワショク。僕、好きになっちゃいそう」




 シッティが笑ったので、俺も笑った。料理のうまいまずいなんて、この世界にやってきてから初めて考えたかもしれない。もちろん、それを人と話すのも。


 俺はまだ温かい肉じゃがを頬張った。




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