「ケンムー、おいケンムー!」
「あ、お嬢」
「バカ、私の事はアンナって呼べっつったろ!」
「いや、さすがに周りの目が怖いよ…」
「それよりお前なにやってたんだ?」
「魔法の稽古だよ。僕らも来年には冒険者の仲間入りだしね」
「精が出るな」
「お嬢は魔法しないのか?」
「私はからっきしなんだよ、固有魔法もわかんねぇ。だから剣振ってんだ」
「そうなんだ」
「…」
「…なに?」
「魔法、見せてみろよ」
「…見せるほどのものでもないよ」
「いいからいいから」
「じゃあ…召喚!」
「…お、ゴキブリ」
「またゴキブリか…」
「なに落ち込んでんだよ、凄いじゃねぇかゴキブリ!ほら見ろよ、テンショウがヒゲを逆立ててやがるぜ」
「でも、ゴキブリじゃ戦えない」
「そんな事気にすんなよ、そのうち戦えるゴキブリを出せるようになればいい!」
「お嬢、僕はゴキブリ召喚専門って訳じゃ」
「その時までは私が守ってやるさ!ケンムも領民だしな!」
「…」
「だから、いつでも私を頼っていいんだぞ!」
「…ああ、ありがとな、アンナ」
「ケンム!しっかりしろ!」
全身が沸騰するように熱い。
鮮明に見えたあの懐かしい景色は、走馬灯と言うやつだろうか。
ケンムは、意識ごと召喚魔法に持っていかれそうな感覚の中、妙に冷静な頭で状況を確かめる。
ホエンが魔法を暴走させた。恐らく組織は、ケンムをここで使い潰すつもりだろう。
アンナに負け、クーデターも失敗した今、最早ケンムは目的を喪失した。
この後は重罪人として咎められるだけの人生が待っているのだ。
これ以上、生きる必要はない。
ないのだが。
「ケンム、目を覚ませ…おい…」
消え入りそうな声。
いつも太陽のように明るい、あのアンナとは思えない。
「私は…お前を斬るために強くなったんじゃねぇんだぞ!」
それは僕だって…「僕だって」だと?
僕が強くなりたかった目的ってなんだ。
ケンムは微かに動く眼球でアンナの顔を見る。
「ア…ンナ…」
「ケンム?」
もうどうせ長くは持たないんだ。
最期に一回くらい、素直に頼ってみるか。
「ぼ…くは…」
「なんだ、言ってみろ!」
「ま、だ…死ねない…っ!」
ケンムは自身から出た言葉に驚いた。
まるでまだ、やる事が残っているかのような物言いじゃないか。
対してアンナは、目を真っ赤にしながらも笑った。
「ああ、お前はまだ死なない…私に任せとけ!」
アンナがケンムの手を握ると、何かが流れ込んでくるのを感じた。
ケンムの全身を包んでいた熱が徐々に冷めていく。
何だかよく分からないが、ホエンに掛けられた術式が解けていくのを感じた。
これはまさか、アンナの固有魔法とでも言うのか。このタイミングで覚醒したと言うのか。
「…ケンム?」
アンナが怪訝な顔で覗き込む。
気がつくとケンムは微笑んでいた。
「アンナ…本当に、お前には…適わ、ないな…」
「ケンム?…ケンム!」
ケンムはそのまま静かに眠った。
アンナは一瞬焦ったが、どうやら本当にただ眠っているだけらしい。
背中の魔法陣は、消えている。
魔力の流れも感じない。
「おィ」
ハッとして顔を上げると、シュテンが背中を向けて立っていた。
周囲にはおびただしい数の黒龍の屍と、それを凌駕する黒龍の群れ。
一面真っ黒だ。
そんな中平然と佇むシュテンが背中で問う。
「増えるの止まったかァ?」
「あ、ああ!もう増えない!」
「じゃァもう加減はいらねェなァ」
シュテンは腕を回す。
「加減…?」
「あァ加減だァ、増えきってから一気に叩いた方がスーッとするしなァ」
シュテンの周囲にどす黒いオーラが放たれる。
「うおっ…!?」
思わずアンナも声が出る。
瞬間、黒龍のヘイトが全てシュテンへ集中した。
「俺ァ少しばかりイライラしてんだァ、一発ガツンと殴らせろォ」
シュテンの殺気が辺りを包む。
それは少し離れた場所でスケルトンの相手をしていた、メイとマンジュにも届いた。
あまりの邪気に、スケルトン達の身体が自己瓦解する。
「これは…」
「アニキの、魔力…?」
シュテンはそんな身内の視線など気にも留めず腕を振る。
「鬼道」
腕を上げると、身体を包む妖力が妖気となって上昇気流のように流れ出ていく。
「発技」
それらは雨雲のように厚く空を覆っていき、すぐに黒龍が蔓延る一帯の上空を覆った。
妖力の流出が止まったわすが一瞬の静寂。
空気が張り詰め、その場の誰もが息を飲んだ。
「『鬼命頂礼』」
シュテンが掲げた手を降ろすと、妖気の雲は圧となって黒龍の群れへ「落ちた」。
そう表現するしかなく、それは岩が崖を転がる様とも、吊り天井がちぎれて落下する様とも、雨が降り注ぐ様とも言える異様な光景であった。
ただ確かなのは、その一発、たった一発で、「本来数個パーティが束になって一体を討伐」できる、龍種の最上位種たる黒龍の群れを、阿鼻叫喚の地獄絵図へ変えてしまったという事だ。
ものの数秒の後、黒龍の断末魔は既に聞こえなくなっていた。
一番近くでそれを目撃したアンナを初め、メイにマンジュ、果てはワドゥとホエンですら、目を見開いたまま固まった。
各々が、今目の前で起こったことを処理しきれないでいたのだ。
「ふゥ」
そんな緊張の中、軽やかに踵を返した渦中の鬼は、清々しい顔で一言呟いたのであった。
「あー、スッキリしたァ」