時は平安、長徳元年。所は丹波、大江山。
鬼の棟梁、酒呑童子は討伐隊の手によりその首を取られようとしていた。
化け物と言われ人々から恐れられたその巨躯も、突き立てた刀に四肢を繋がれた今では意味を成さない。
全身が痺れる感覚すら覚える。
鬼は今にも首を狩らんと振りかぶる討伐隊の筆頭、源頼光を睨み付ける。
「毒を盛るたァ、狡いことするじゃねェか」
「鬼を狩るのに仁義も武士道も不要だ」
「それが人間だァ侍、だが俺たち鬼に横道はねェ、せいぜいこんなやり方しか出来なかった自分を恨むんだなァ」
「言いたい事はそれだけか?」
鬼は目を瞑る。
目を開いていても、見えるのは無力な自分と死んでいく子分たちばかりだ。
思えば生まれてからこれまで、見てきたのはこんな景色ばかりだった。
子分たちは異様に戦いを好む。鬼は子分たちの為に人と戦った。
得られるのは人からの憎悪と、子分からの畏怖。
人の子として生まれる事が出来なかった異形の自分には仕方がないと思っていた。
だが、もし、人として生きる事が出来ていたら。
鬼の力を、もっと良い方向に使いこなせていれば。
「………昔、俺ァ比叡山にいた事があってよォ」
「ん?」
急に口を開いた鬼に、源頼光の手が止まる。
「そこに居たやつの話じゃァ、人は死んだ後、なんやかんやして生まれ変わるらしいじゃねェか」
「それは人の話だ。鬼である貴様には関係の無い」
「……そうかァ」
鬼は、最後の力を振り絞って妖力を集めた。
鬼の体が鈍く光り始める。
「…!頼光、奴はなにかするつもりだ」
誰かがそう言うと、源頼光は慌てて刀を振った。
鬼の首は宙を舞い、源頼光の兜に当たって転がり落ちた。
鈍い光も徐々に落ち着いていった。
「…何だったんだ、今のは」
「さあな、なんであれ失敗に終わったようだ」
その後、討伐隊は討ち取った鬼の首を京へと持ち帰り、この騒動は終息した。
これが日本に伝わる鬼・酒呑童子の最期だ。
だが、彼の最期は実際ここでは無かった。
死の寸前、鈍く光った身体。あの時、鬼は自身へ術を施していた。
転生の術である。
鬼は、人として生き返ることを望んだのだ。
「…ん」
そして今、新しい人生が幕を開けた。
「…まっぶし」
酒呑童子だった者は、ゆっくりと目を開け起き上がる。
周りを見渡す。どうやら森の中のようだ。少なくとも大江山ではない。
自身の体を観察する。
服装こそ元のまま毛皮の褌一丁だが、禍々しい赤色をした肌も筋骨隆々とした肉体もそこにはなく、背は高いようだが体格は平均的な肌色がそこにあった。
「どうやら、上手く人間になれたみてェだな…ん?」
顔を触っていると、右眉と生え際の間に何かゴツっとした感触があった。
「おいおい...まさか」
近くにあった水場に駆け寄り顔を映す。
「うわァ…」
そこには前世のそれに比べたら小ぶりではあるがしっかりと、鬼の象徴たるツノが鎮座していた。
正直、ツノというより小石が埋まってるような印象だ。
「…尖ってねェ」
近くの岩に座り込み、考える。
確かに使える妖力は少なかったし、初めて使う技だ。未完成だと言われればそれまでだろう。
試しに、右手に妖力を込めてみる。
「…………」
ばっちり手からドス黒いオーラが出た。
大きくため息をつく。
どうやら、見た目は人に近づいたようだが、種族は鬼のまま転生してしまったようだ。
これでは前世の二の舞だ。
「…とにかく移動するかァ。ここァ何処だ」
人に合わないようにしながら、周囲の状況がわかる場所を探して歩き出した。
「はっ、はっ…」
町外れの道を、少女は息を切らせて走っていた。
「くっ…うわっ!」
必死だったからか、それとも疲労が過ぎたからか、足元の石に気づかず転がってしまう。
「くぅっ…」
拍子に足を挫いてしまい、立ち上がれない。
「追い付いたぞ、ガキがよ」
後ろからゾロゾロと男たちがやってくる。
「ったく、手間取らせやがって」
少女は先頭の男を睨みつけると、腰の剣を抜く。
「帰れ!お前たちに渡すものなどない!」
「おー、威勢がいいね。でも」
「あっ」
先頭の男が剣を蹴り飛ばすと、すぐには取れない位置まで転がって行った。
「こんな実力でソロ狩りなんて無謀だったな嬢ちゃん」
「くっ…」
「さて、身ぐるみ全部貰おうか!」
ガサガサガサ。
「おー開けた場所だァ…あ」
「え?」
急に真横の茂みから出てきた半裸の大男に、男たちは呆気に取られた。
出てきた本人も人と遭遇して焦っていた。
両者固まっていたが、先に正気に戻ったのは少女に襲いかかった男、盗賊の頭だった。
「な、なんだテメェは!コイツの仲間か!?」
「え、あ?…あァ?」
どうやらツノの事を気にする素振りがないと判断したが、状況を判断するのに時間がかかる。
鬼のいた場所ではこんな状況などなかったのだ。
「えぇい構わん、テメェら!この変態男のしちまえ!」
盗賊たちが武器を抜いて掛かってくる。
「ダメ!貴方逃げて!」
褌一丁では勝ち目がないと、少女が促すが、その男、酒呑童子の生まれ変わりは身じろぎ一つしなかった。
「死ねぇ!」
盗賊のひとりがナイフで斬り掛かる。
バキーンと金属音。
「あァ?」
「えっ」
見ると、ナイフは肌を傷つけることなく粉々に砕けていた。
「…」
「こ、この野郎!」
他の盗賊たちも負けじと切りかかるも全員の武器が土に還っただけであった。
「う、うおお!」
果敢にも拳で挑んだ者もいたが、拳をパンパンに腫らしてうずくまってしまった。
「…………はァ」
ため息とともに隠れるのを諦めて、近くにあった木を片手で握ると、根元から引っこ抜いた。
「ひっ」
誰かの悲鳴が漏れた。
だがそんな事は構わず、5メートルはあろうその大木を、そのまま後ろへ放り投げる。
暫くの後、森の中を轟音と衝撃が伝わる。
どこにいたのか、カラスが一斉に飛び立った。
そんな風景をバックに、人間を見下ろす。
「うわあああ!」
盗賊たちはお化け屋敷ばりの声を出して退散して行った。
「…はぁ」
前世と本当に変わらない。
力を持って人間に恐怖を与えるだけの存在。
討伐隊が組まれる前に早いところここから去ろうとした時、誰かに腕を掴まれた。
「…あァ?」
まだ残党が居たのかと思い、振り返る。
「貴方、お強いのですねっ!」
「あ、あァ?」
腕を握っていたのは、嬉々とした表情の少女だった。
「凄いです!刃が通らない肉体は魔法強化でしょうか!それにあの怪力も!とにかく凄いです、凄いですっ!」
ブンブンと腕が振られる。
少女の興奮具合に少し戸惑う。
「お、おいおめェ」
「はい?」
「俺が怖かねェのか?」
「怖い…?何故です?」
「何故ってそりゃおめェ、あんな有り得ねェもん見せられてんのに」
「でも貴方は私を助けてくれました」
「俺ァそんなつもり無かった」
「それでも怖がる理由にはなりませんよ。強い方は敬うべきです!」
「…」
鬼は何も言い返さなかった。
どこか心地よさを感じたからかは分からない。
だが少女の言葉は、鬼の中の何かを決定的に変えた。
「申し遅れました!私はメイと申します、貴方のお名前は?」
「…名前」
鬼には名前が無い。
生みの親が付けるのもだと言うのは知っているが、彼らは名前など与えてはくれなかった。
誰かの名を騙ることも可能だが、この時代、場所ではどのような名前が一般的なのかも分からない。
少し考えたが、結局の所それがしっくりくるのだろうと思い、名乗った。
「シュテンだァ」
「シュテン殿ですね!よろしくお願いします」
こうして鬼・酒呑童子はシュテンとなった。