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第34話 詩那と大翔の夏休み(幕間)

 時は夏休み初日の午後にさかのぼる。

 その日、詩那しいな大翔ひろとがフェリーチェへとやってきた。

 目的はもちろんアズキに会うためだ。

 これまでも何度か短い時間来たことがあるが、今日からしばらくは長い時間居られる。大翔はこのわずかな間に、随分ずいぶんれた様子で、皆からも可愛かわいがられていた。大翔自身も最初の出会いが良かったのだろう。自分の話をいてくれて、アズキのことも助けてくれた麻理達に心を開いているようだ。詩那にはまだ少し遠慮えんりょがあるが、それも時間が解決してくれそうなくらい、麻理達はこの姉弟を受け入れていた。


 実は、アズキを麻理が育てると決まった時に、詩那達の母は自分の子供が迷惑をかけたことをびるため挨拶あいさつに行こうとしていた。

 けれど、詩那からその話を聞いた麻理は、自分が好きで決めたことだから気にしなくていいとその話を丁重ていちょうに断った。

 麻理に断られれば無理やりする訳にもいかない。それでも申し訳なく思っていた母親は、詩那達がアズキに会いに行くと聞いたとき、それならせめてちゃんとカフェで注文できるようにと詩那達に毎回二人分の飲み物代程度のお金を渡すことにしたのだ。

 これには詩那も安堵あんどした。

 いつも麻理は飲み物を出してくれていたが、お金を受け取ってもらったことはなかったため、申し訳なく思っており、母の提案は素直すなおにありがたかった。

 これを説明すれば麻理も受け取ってくれるだろう。これで心置きなくアズキに会いに行けるというものだ。

 この話を麻理にしたところ、

「そんなこと本当に気にしなくていいのに」

 とこまったような顔で言っていたが、最終的には詩那に説得される形で了承した。



 そして今、詩那と大翔は注文した飲み物を飲んでいる。

 一頻ひとしきりアズキと遊んだ後だ。

 詩那は色々なものを飲んでみたいと、今日はアイスキャラメルラテを、大翔はフェリーチェといえばアイスココアと自分の中で決まっているようで、アイスココアを頼んでいた。


 アズキと遊んで、休憩きゅうけいして、また遊ぶ。

 これが一日のサイクルで、詩那と大翔の夏休み中のフェリーチェでの過ごし方として定着することになる。大翔はもちろん、詩那もこのフェリーチェでの時間を楽しんでいた。詩那としては大翔の世話だけで終わると思っていた夏休みが、せずして毎日のようにフェリーチェというカフェにかようことになった。大翔と一緒、というのは変わらないが、麻理を始め、一つ上の先輩である雪愛や悠介、それと春陽とも親しくなっていき、皆とおしゃべりをする時間はなんだか普通の女子高生みたいで、それが詩那は嬉しかった。



 アズキはいつもの席に座って寝ており、その隣に大翔、そして詩那といった座り順だ。麻理はカウンターの内側に、春陽も二人の近くに立って一緒にお喋りしている。いつもの春陽なら自分から話すことは滅多めったにないのだが、大翔に対してはどういう訳かちゃんとお喋りに付き合っている。

 麻理は、他人を遠ざける春陽が大翔に対しては積極的にコミュニケーションを取って、最初からみょうに優しいというのは感じていた。それはきっと春陽が大翔のことを自分自身とかさねているからだと思う。そしてきっと大翔に対するもあるのだろう、と。けれどその羨望せんぼう嫉妬しっとなどにつながらず、まるで兄のように優しく接しているところが実に春陽らしいというか、春陽の心根こころねをよく表していて、見ていて微笑ほほえましかった。

 話題は大翔の夏休みの宿題に移っていた。

 母や姉との約束で、午前中に夏休みの宿題をやって、午後からこうしてアズキと遊ぶんだと楽しそうに話す大翔。


 実際、フェリーチェが定休日の日や自分に予定がない限り、大翔は夏休み中の平日、毎日のようにアズキに会いに来た。

 時には、詩那抜きで一人で来た日もある。


「すごいな、大翔は。俺は夏休みの終わりにまとめてやってたよ」

「えー、ハル兄ちゃん勉強苦手だったの?」

「そういうわけじゃないんだけどな。やる気がしなかったっていうか……

「ハル……」

 麻理は誰にも気づかれない程度に表情をくもらせた。春陽の言葉の意味を自分だけが正確に理解できてしまったから。

「毎日遊んでたの!?いいなぁ」

 麻理のつぶやきは大翔の大きな声でかき消された。

「ちょっと先輩、大翔に変なこと吹き込まないでください」

 春陽が苦笑しながら言った言葉にすかさず詩那が強めに言い返す。この人はいい加減な人なのだ、そんな思いが強くなる。

「っと、悪い悪い。俺は計画的にできなかったからな。大翔が毎日コツコツやってるのはすごいし、えらいなって思ったんだよ」

 確かに小学生になったばかりの大翔に言うことじゃなかったと謝る春陽。これで大翔が宿題をせず遊んでばかりいるようになったら大変だ。

「へへっ」

 春陽にめられて大翔はれたように笑った。


 夏休み二日目。

 今日も午後から詩那と大翔はアズキと遊びに来ていた。

 今は休憩中だ。

「え?それじゃあそのメニュー開発に麻理さんも佐伯先輩も白月先輩も朝から付き合ってるんですか?」

 詩那達は、麻理から、春陽が今海の家の新メニューを作っていることを聞いたところだ。

「ええ。まあ私はどうせここにいるわけだしね。二人とも役に立てればってことみたいよ?」

「そうなんですか」

 チラリと接客している春陽を見る詩那。

「ハル兄ちゃんすげー。俺も完成したら食べてみたい」

「そうね。いいのができたらこの店で出すのもいいかもしれないわね」

 大翔の言葉に麻理は笑みを浮かべた。

「……どうして佐伯先輩は……」

「ん?」

 詩那が呟くように言った言葉は、声が小さくて届かず、麻理は聞き返す。

「あ、えっと、その……」

 聞き返されたことで自分が口に出してしまっていたと気づきあせる詩那。

「どうしたの?」

 麻理は再度優しくたずねた。麻理のかもし出す優しい雰囲気に、詩那は観念したのか、背中を押されたのか、今度はちゃんと言葉にした。

「……どうして佐伯先輩は、その…ハルさんにそんなに付き合うのかな、って。白月先輩もですけど……」

「ああ」

 詩那の言いたいことはわかったが、そこに否定的なニュアンスが含まれていることに麻理は小さく苦笑してしまう。それに段々わかってきたことだが詩那はたぶん―――。

「それは、二人とも友達だからっていうのが簡潔かんけつだと思うけど―――」

「そう、ですよね……」

 麻理の答えが当たり前のものだったことと、自分はいったい何を聞いているんだ、という思いで詩那は少し肩を落としてしまう。

「ふふっ、まあいて言うなら」

「え?」

「雪愛ちゃんは女の子だから、かな?悠介は…、あいつもハルと同じで優しいから、かしら?今はそれほどでもなくなったけど、悠介はハルにい目みたいなものを感じてたの。そんな必要ないのにね。あの二人は中学の頃からの付き合いでね、ハルが部活でつらいときがあったんだけど、そのとき助けてあげられなかったってずっとやんでる。けどそれから悠介はハルに積極的に関わるようになっていって、今ではハルのよき理解者って感じなの。きっとハルは色々助けられてると思うわ。ハルは認めないでしょうけどね」

 そんな詩那の様子に麻理はあえて春陽と悠介の関係についてくわしく伝えた。

「そう、だったんですね……」

 詩那は麻理の話を聴いて悩ましそうな表情になってしまった。していたものと全然違ったから。と思っていたのだ。

「兄ちゃん達はすごく仲良しなんだね!」

「そうね」

 大翔の屈託くったくのない言葉に麻理は柔らかな笑みを浮かべるのだった。


 夏休み三日目。

 詩那達がフェリーチェに来ると、今日は雪愛がいた。午前中にメニュー開発に付き合ってそのまま残っていたのだ。雪愛としては春陽が煮詰まっているように見えて心配というのがあった。その春陽は今仕事中で近くにはいない。麻理はカウンターの内側、雪愛達の目の前で注文の入ったコーヒーをれている。アズキは雪愛の膝の上でくつろいでいた。

「雪愛姉ちゃんすごいアズキになつかれてるね。いいなぁ」

「ふふっ、ありがとう。でもアズキが一番懐いてるのはハルくんだと思うわよ。アズキが真っ先に甘えに行くもの」

「そうなの!?ハル兄ちゃんすっげー」

「そうね。ハルくんがすごく優しいってアズキもわかってるんじゃないかしら」

 今の会話を聞いて詩那は複雑そうな表情になる。やっぱりいだいていたイメージと違う。自分が間違っているのだろうか。フェリーチェに来るようになって、実際に春陽と接したり、色々な話を聞いたりしているうちにそう感じるようになってきていた。


「白月先輩はよくこのお店に来るんですか?」

 疑問に思っていたことを詩那は尋ねてみた。

「そうね。けど、初めて来たのは今年の四月の終わりよ。男の人達にからまれてたところをハルくんが助けてくれたのがきっかけでね」

 そのときのことを思い出したのか雪愛は微笑む。

「そんなことがあったんですね……」

 雪愛がさらっと絡まれたと言うので、詩那は目を大きくしてしまった。

 男の人達ということは複数だ。

 大丈夫だったのかと心配になったが、続いた雪愛の言葉に安堵すると同時にまた複雑な表情になってしまう。しかも雪愛の微笑む顔があまりに綺麗でドキッともしてしまった。色々な感情が混ざり過ぎてキャパオーバーになりそうだ。

 雪愛はそんな詩那に苦笑を浮かべる。

 何度か会ううちにわかったことだが、どうやら詩那は春陽をあまり良く思ってないらしい。雪愛にはその理由まではわからないが、悠介や自分への態度とあからさまに違っている。だけど今日はなんだか今までと少し違うような気もして……。

「ハル…さん、は白月先輩だってわかって助けたんですか?」

 春陽に下心があったのだろうか、と詩那は穿うがった見方をしてしまう。そんな詩那の言葉に雪愛は苦笑を深くする。以前瑞穂に春陽が仕組んだのではと言われたときに比べればかわいいものだが、似た考えをしていると感じたからだ。

「ううん。私の後ろ姿しか見えてなくて最初は同じ学校の生徒だとしかわからなかったみたいなの。私の顔を見てびっくりしたって言ってたわ。ハルくんはあまり人と関わりたくないって言ってたのに、そのときは身体が勝手に動いたって」

 心の底から嬉しそうに話す雪愛に、詩那は相づちを打つことしかできなかった。


 夏休み四日目。

 今日は、雪愛はおらず、春陽もいなかった。詩那達が来たときに春陽がいない日は初めてかもしれない。

 だが、今日は悠介がいた。

 何がどう影響しているのかわからないが、なんだか今日の詩那は機嫌きげんがいいように見える。

 ただいつもいる春陽が見当たらないということで、どうかしたのかと思った詩那がきょろきょろとしてしまったため、悠介がそれに気づき、その理由もさっした。

「ハルは今日休みだよ。白月と息抜きに出かけてるからな」

「っ、そうなんですね。っていうかそんなことにまで白月先輩が付き合ってるんですか?」

 悠介から話しかけられ詩那は少し緊張きんちょうしてしまう。が、続いた言葉に思わず少しあきれたような口調くちょうで言ってしまった。

「んー、付き合ってるっていうか白月が自分からって感じだな」

 悠介は苦笑しながらも詩那の質問に答える。

「それって……あの…、もしかしてあの二人って付き合ってるんですか?」

 悠介との会話と考えるとドキドキして少しほほが赤らんでしまう詩那だったが、いい機会だと気になっていた春陽と雪愛の関係を悠介に聞いてみることにした。当事者に直接聞く勇気はさすがにない。

「くくっ。そう思うよな。でも付き合ってはいないはずだぜ。仲は良いと思うけどな」

「へぇ…。白月先輩はどこがいいんですかね。めちゃくちゃ美人でスタイルも良くって、すごくモテるのに」

 雪愛の気持ちはなんとなく詩那もわかっている。けど、言い方は悪いが雪愛は選び放題のはずなのに、なぜ春陽なのかが詩那にはわからない。助けられた、というだけでそんなに好意を寄せるものだろうか?顔が好みだったとかだろうか?……それとも、麻理達が言う春陽の優しさ、が理由なのだろうか?自分が気にすることじゃないはずなのに、なんだか気になってしまう。

「いやー、モテるのは関係ないんじゃないか?」

「そうね。雪愛ちゃんにも色々思うところはあるんでしょうから。たとえば、いくらモテて告白されてもその人を好きになるかは別でしょ?詩那ちゃんも可愛いからそういう経験あるんじゃない?」

 麻理もこの雑談に参加してきた。

「私はそんな。けど、そうですね……」

 悠介と麻理からさとすように言われてしまい、何も言えなくなった詩那は、言いすぎた、というか言葉選びが悪すぎたとバツが悪そうだ。


「まあ、実際白月は心配だから一緒に行ったってのもあると思うけどな。メニュー開発があんまうまくいってないから。こっちからの依頼だし俺も気にはなってるんだけど……」

 そんな詩那の様子を見て、フォローのためか悠介が話を続ける。

「ハルが自分で決めたことなんでしょ?なら悠介が気にすることじゃないわ」

「佐伯先輩からの依頼、なんですか?」

 詩那にとってまたしても意外な事実が出てきた。

「ん?ああ、俺の叔父おじが海の家やっててさ。俺と春陽は去年からそこでバイトしてるんだけど。その叔父から春陽によければ作ってみるかって話があってな」

「悠介兄ちゃん達、海の家でお仕事してるの?楽しそー」

 これまでの話はよくわからなくて黙っていた大翔が、この話は理解できたのか、会話に参加してきた。

「ははっ。まあ楽しいけどな。結構大変なこともあるんだぞー?」

「悠介兄ちゃん達のとこ行ってみたいなぁ。うちも毎年海行くんだよ」

 大翔の言葉に、どこの海に行っているのか聞く悠介に、詩那が答える。

「マジか。そこ俺らがバイトしてるところだわ」

「そうなんですか!?」

「そうなの!?」

「ああ。すごい偶然だな。って言ってもバイトは一週間くらいなんだけどな」

「いつやるの?」

 何かを期待しているのが見て取れる大翔の質問に悠介が答えると、大翔は目を輝かせた。

「うち、いつもそれくらいの時に行ってるよ!ねえお姉ちゃん?」

「え、ええ、そうね」

「そっか。じゃあ良かったら何か食べに来てくれな」

「うん!」

 元気よく返事をする大翔。

「佐伯先輩が海でバイトかぁ。なんかすごく似合いそうですね」

 詩那もどことなく嬉しそうだ。何か想像しているのかもしれない。春陽のことはとりあえず置いておく。

 毎年親の仕事の休みに合わせて家族で行く海は混雑していて、詩那にとってはそれほど楽しいものではなかったが、今年は楽しみなことができた。



 こうして、詩那と大翔は、夏休みの多くの日をアズキと遊んでは、麻理や春陽、時々悠介や雪愛をも加えてお喋りを楽しみながら過ごすのだった。

 いや、詩那に関しては、楽しむという意味ではもしかしたら春陽は含まれないかもしれない。それでもこの夏休み中、自分の目と耳で、見て聞いて、元々抱いていた春陽の印象は大分変わった。

 詩那は今までで一番充実した夏休みを過ごすことができた。


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