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第23話 過去を思い出す出来事

 水族館デートの数日後にこの辺りも梅雨つゆ入りした。

 デートは本当にタイミングがよかったといえるだろう。

 梅雨入りしてからは連日のように雨が降っている。


 突然だが、六月から光ヶ峰高校では夏服への衣替ころもがえがあった。とは言っても、強制ではないため、様々な着こなしの生徒がいる。

 男子のネクタイ、女子のリボンは通年でつけることになっているが、長袖ながそでの生徒がいたり、特に女子にはベストを着ている生徒が多かったりと様々だ。

 ちなみに、雪愛は半袖のブラウスにベストを着ている。女子がベストを着る理由は様々だが、雪愛はインナーがけるのが嫌だからだ。麻理がよく似合にあってて可愛かわいいと言っていたが、本当なら暑いから着たくはないらしい。

 春陽は長袖のシャツで袖をまくっている。こちらはそれが一番楽だからという春陽らしい理由だ。


 なぜこんな話になったかというと、現在、夏服で初めてフェリーチェに来た雪愛を見た麻理が、雪愛と制服談議だんぎに花を咲かせているからだ。

 そこに春陽も巻き込まれた。

 春陽は雪愛の理由を聞いて、女子は大変だなと感想を口にしたら、雪愛は若干じゃっかん不機嫌ふきげんになり、麻理からはツッコまれた。何と言うのが正解か春陽にはわからなかった。


「だって、似合ってるし、可愛いとも思うけど、そんな理由で着なきゃいけないなんて大変だろ?」

 だが、春陽が自分の思ったことを言うと、雪愛の機嫌が直り、麻理からは最初からそう言いなさい、とあきれた顔で言われた。


 そんな二人に春陽は首をかしげることしかできなかった。やっぱり人と関わるというのは難しい。何が正解で何が間違いなのか、春陽には本気でわからない。そしてそれは春陽にとってとても怖いことだった。けれど春陽に、今更自分から雪愛を遠ざけるという選択肢はない。当然麻理も。したしくなった相手に急に態度を変えられるつらさは春陽自身がよく知っているから。

 以前、バーベキューに行く道中で麻理や楓花が雪愛に言ったことはやはり正しかった。


 その後は、先日行った水族館の話が始まった。

 雪愛がってもらった写真を麻理に見せながら色々と話している。

 春陽は二人の会話からはなれたいと思っていたが、こういう時に限って客も少なくやることがない。

 春陽が飼育員から大人げないイケメンのお兄さんと言われたと雪愛が話した時には、麻理はお腹をかかえて笑っていた。


「それで、今日の記念にってそっくりなぬいぐるみをプレゼントしてくれたんです」

「へぇー?やるじゃないハル」

 嬉しそうな雪愛に対し、麻理はニヤニヤとした笑みを浮かべている。

「……雪愛からもキーホルダーをもらったのでお相子あいこですよ」

「ふふっ。何よそれ。それにしても、二人とも楽しめたみたいでよかったわね」

 麻理はニヤニヤ笑いを止め、本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。


 それからしばらく経ち、春陽が接客から戻ってきたタイミングで、雪愛は思い切って聞いてみることにした。

「ねえ、ハルくん。ハルくんは小さい頃から周りの人にハルって呼ばれてたの?」

「?まあ、そうだな。小学生の頃なんかはそう呼ばれることは多かったと思う。けどどうしたんだいきなり?」

「急にごめんね。あの、一つ聞きたくて……、もしかしてなんだけど、五年生の時に女の子に髪留めをあげたことってないかな?」

「?いや、ないと思うけど。本当にどうしたんだ?」

 雪愛は清水きよみずの舞台から飛び降りる覚悟で聞いたつもりだったが、春陽の答えは実に呆気あっけなかった。

「ごめんなさい。私はハルくんって呼ぶのここでだけだし、麻理さんと楓花ちゃんがそう呼んでるだけだなってふと思っちゃって。ちょっと気になっただけなの」

 雪愛は誤魔化ごまかすように言った。

「ああ。今は麻理さんくらいだからな。楓花も麻理さんがそう呼んでたからだろうし」

 春陽は雪愛の様子を疑問に思いながらも、本当に訳がわからなかったため、雪愛が続けた言葉にただ返すだけだった。

(やっぱり私の勘違かんちがいなのかな……)


 そんな二人のやり取りを、麻理は注文の入ったコーヒーをれながら黙って聞いていた。


 雪愛がこんなことを突然聞いたのには当然理由がある。

 雪愛は水族館デートの日、家に帰った後、母の沙織に聞いたのだ。

「母さんって私が小学生の時に男の子から髪留めを貰ったときのこと覚えてる?」

「どうしたの突然?そのことなら覚えてるわよ。洋一さんが亡くなってすぐのことだったし、雪愛といっぱい泣いたものね。確か……ハルくんだったかしら?」

「っ、そう!ハルくん。ハルくんの名前って私母さんに言ったりしなかったかな?覚えてない?もしかして風見春陽って名前だったり―――」

「さあ、聞いてないんじゃないかしら。雪愛はその子の話をする時、いつもハルくんって言ってたでしょ?それにそれ以降会えなくてだんだんその話もしなくなったじゃない」

「そっか……」

 雪愛はぬいぐるみをプレゼントしてもらった時に感じた既視感きしかんを確かめたくて沙織に聞いたが結果は不発だった。

 だが、どうしても確かめずにはいられなくて、春陽に直接聞くことにしたのだ。結果はこちらも不発に終わってしまったが。


 雪愛はハルの名前を思い出せない自分をもどかしく思った。




 七月に入っても雨の日が多い。

 今日も雨が降っていた。

 梅雨が明けるのは夏休みに入る少し前といったところだろうか。

 春陽は悠介と二人でフェリーチェへと向かっていた。

 二人は今日担任の東城から言われたオープンキャンパスについて話していた。

 光ヶ峰高校では、一年の時からオープンキャンパスに行くことが推奨すいしょうされている。

 一年では強制ではなかったそれは、二年では半ば夏休みの宿題のように強制で複数校行くことが決まっている。今日言われたのは、予約が必要な大学も多くそろそろその予約開始時期のため、忘れないように、という話だった。

 春陽は強制ではなかった一年の時は当然のようにオープンキャンパスに行っていない。大学に興味がなかったからだ。自分の将来に、と言い換えてもいいかもしれない。春陽の中では未だ進学するかどうかすらさだまっていない。

 春陽から話を聞いた悠介がそんなことだろうと思ったと苦笑を浮かべ、なら一緒のところ行ってみるかと春陽を誘った。


 そんな話をしていた時だ。

 最初に気づいたのは悠介だった。

 電柱の下で、小学校低学年くらいの子がしゃがみこんでいる。

「あの子どうしたんだ?」

「体調でも悪くなったか?」

 悠介の言葉に春陽もすぐに目に入ったのか遅れることなく言葉を返した。


 二人はその子のところへとまっすぐ向かい、悠介が声をかけた。

「どうした?大丈夫、か?」

 言い切る前に、なぜその子がしゃがみこんでいるのかがわかった。

 春陽にもそれが目に入り、同様に理解した。

 その子の前には段ボールが置かれており、その中に小さな黒猫が入っていた。

 その子はぎりぎりまで段ボールに寄り、自分と猫がれないようにかさを差していた。

 声をかけられたことに驚き、春陽達に振り向いたその子は男の子だった。

 目に涙を浮かべている。

「この子猫さっき見つけて。けど動かなくなっちゃって。どうしたらいいかわからなくて……」

 初対面の高校生二人相手だが、必死に説明をする。それだけ切羽詰せっぱつまっているのだろう。

 悠介達がのぞいてみると、確かに子猫はぐったりとして動いていなかった。

 どれだけの時間ここで雨に当たっていたかわからない。

 悠介はどうしたものかとなやんだ表情を浮かべている。

 動物病院に連れていくことはできてもその後が問題だ。この子猫はどう見ても捨て猫なのだから。

 すると、春陽が男の子の横に同じようにしゃがんで話しかけた。

「きみ、名前は?」

杉浦大翔すぎうらひろと

「そうか。俺は風見春陽、こっちが佐伯悠介だ。大翔はこの猫をどうしたい?」

「助けたい」

「助けた後は?」

「……家でいたい」

 少し間があったが、大翔は答えた。その答えに、春陽は即断そくだんした。子猫の様子から悠長ゆうちょうにはしていられない。

「わかった。今から俺がこの子猫を動物病院に連れていく。大翔は家の人で誰かこの時間に連絡が取れる人はいるか?」

 おい、春陽!?と悠介が驚いたような声を上げる。

 大翔は動物病院に連れて行ってくれるという春陽の言葉に表情が明るくなった。

「お姉ちゃんがいる!高校生の!もう家に帰ってると思う!」

 大翔は一生懸命いっしょうけんめい春陽に聞かれたことを答える。

「そうか。じゃあそのお姉ちゃんに連絡して、来てもらえるように頼んでみてくれ。その間、大翔はこのお兄ちゃんと少し待っててくれ。悠介は大翔を連れて店に行っててほしい。麻理さんに説明しておいてもらいたい」

「いいんだな?」

 悠介の顔は真剣だった。

 それに春陽は苦笑を浮かべて答える。

「ああ。俺も小さい頃子猫を拾ってな。だから放っておけない。まあ、いざとなったら俺がペット可のところに引っ越せばむだろ」

 簡単に言う春陽。だが、その意志は固かった。

 それが悠介にも伝わったのだろう。悠介は深いため息をいた。

「わーったよ。じゃあ大翔、すぐそこにカフェがあるからそこで待とう。お姉ちゃんにもそこで連絡してくれ」

「うん!」


 こうして、春陽は段ボールごと子猫を抱えて動物病院へと急いだ。

 動物病院に着くとすぐに獣医じゅういの先生が対応してくれた。

 待っている間、春陽は昔のことを思い出していた。小さい頃、今日のように段ボールに入った子猫を見つけて、家に連れて帰った。その時は姉の美優が味方になってくれ、母から飼うことが許された。

 そうでなければ、春陽が連れてきた捨て猫などあの母親は絶対に飼うことを許さなかっただろう。

 真っ白な子猫で春陽が『ダイフク』と名付けたその猫はどんどんとその名前に引っ張られるように丸っこい体に成長していった。小五の時に姉に連れられていったため、以降は会っていないが、今日の出来事はそれらを強く思い出させた。

 だからこそ、放っておくことができなかった。


 今すべての処置しょちが終わって、春陽は先生と話している。春陽が病院に着いてから結構な時間がっていた。

「あの子猫は大丈夫でしょうか?」

「もう少し遅かったら危なかったかもしれない。けど、もう大丈夫。あの子は強い子だよ。今は眠ってる」

 先生の言葉に安堵の息を吐く春陽。

「ありがとうございました」

 そしてお礼を言って頭を下げた。

「けど、あの子は捨て猫なんだろう?この後はどうするんだい?」

「それは……」

 先生からの当然の質問に、頭を戻した春陽は言葉を詰まらせる。大翔の顔が思い浮かぶが、彼の一存で決められることではないということはわかるから。

「もう連れて帰ることもできるけど、とりあえず、一日ここに泊めていくかい?」

 春陽のことも気にかけてくれる優しい先生だった。 

 するとその時、春陽のスマホが震えた。

 大分時間が経ったため、大翔が帰らなければならなくなった等の連絡かもしれないと思い、ちょっとすみません、と一言断って春陽はスマホを見た。

 見ると、メッセージアプリにメッセージが届いていた。

 相手は麻理からだった。

 アプリを開いて、メッセージを確認すると簡潔かんけつな文が送られていた。

『もし子猫を連れて帰れるようなら店に一緒に連れてきなさい』

 そのメッセージを見て、春陽は先生に向き直って言った。

「子猫は連れて帰ります」


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