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第3話 嘘だと思いたい

麻理まりさん、実は―――」


 初めに麻理と雪愛ゆあを互いに紹介した後、春陽はるひは先ほど起こったことを簡単に麻理に説明した。雪愛を紹介したときに、麻理が一瞬息をんだ気がしたが、春陽は怖いので特に気にしないことにした。なぜなら麻理の視線が雪愛の胸元にいっていたから…。麻理がよく「胸なんて大きくても邪魔じゃまなだけ」と言い、胸の大きな女性に並々なみなみならぬ思いがあることを春陽は知っているのだ。

 過去に何かあったのか、大きくなりたかったのになれなかったコンプレックスか、なんてことは当然これまで一度もいたことはない。


 その後の麻理の行動は早かった。

「よくやった!」と春陽の頭を一度ガシガシでると、すぐに「雪愛ちゃん、こっちに来て」と雪愛を連れて二階の自宅に上がっていった。

 その時、麻理だけを呼び止め、春陽は雪愛がクラスメイトであること、気づかれたくないのでハルとしか名乗なのっていないことを伝えた。

 ここまで言っておけば麻理もさっしてくれるだろう。


 二人を見送った春陽は、そのまま店で働き始めた。


 二階に上がった麻理は素早すばやくタオルと雪愛が着れる服を準備した。

 れたのは上半身だけだったということなので上の服だけだ。

「これなら大丈夫だと思うから制服がかわくまで着てて。脱いだ制服は乾燥機かんそうきに入れるから。下着は大丈夫だいじょうぶそう?」

 麻理は自分よりも圧倒的あっとうてきに大きな胸部きょうぶを持つ雪愛を見た段階で一番大きなTシャツを用意した。それでもちょっときついかもしれないと考え、モコモコのカーディガンも渡した。

 これなら胸部がパツパツになってしまっても目立ちにくいだろう。

「ありがとうございます。下着は大丈夫です。何から何まですみません」

「いいのよ。着替えたら声かけてちょうだい。下に行きましょう」

 そう言って麻理は雪愛を通した部屋から出ていった。


 一人部屋に残された雪愛はここまでの怒涛どとうの展開に一瞬茫然ぼうぜんとしてしまったが、麻理が待っているんだと思い、すぐに着替え始めた。

 しかし、着替えている間も色々と考えてしまう。


(ハル…さん…名前もちゃんと聞けなかった。どうして助けてくれたんだろう……)


 ハルは初対面の相手だ。丁寧ていねいな話し方などから大人っぽくも感じるが、自分と年はそんなにはなれていないようにも見える。

 そんな相手があの時颯爽さっそうと助けてくれた。周りに人はいたのにみな遠目とおめから見るだけで誰も助けようとはしてくれなかった。考えなくてもわかる、誰だって面倒事めんどうごとに関わりたいとは思わないからだ。

 そんな中でハルだけが助けてくれた。


(嫌な感じが全くしない男性ひとだった……。だからかな、彼がお店にって言ったときもなぜか信じられた……)


 追い払うために、『彼女』って言われたのも本当に嫌とかはなかったのだ。

 むしろ気にしてすらいなかったのに、ハルの方からあやまってきたときはどう返せばいいかわからなかったくらいだ。


 中学生になった辺りから雪愛の身体からだ急激きゅうげきに成長していった。女性らしくなっていったと言えば聞こえはいいが、こんなには必要なかったとどうしても思ってしまう。

 胸が大きくなるにつれて、男子生徒がそこに視線を向けてくるのが嫌でもわかってしまった。そのこともすごく嫌だったが、男性教師までもが見てくるのが気持ち悪くてたまらなかった。もちろん全員が全員というわけではない。そんなことは雪愛もわかっている。

 それでも、自分の身体の成長とともにそういう目を向けられることが多くなるにつれ男性全体がどんどん嫌いになっていったのだった。


 なのに……ハルに対しては安心感すらいだいてしまった。

 大丈夫と言われたとき、雪愛は自分でも訳が分からないが本当に大丈夫なんだと思えてしまった。

 くわえて、あの場で雪愛は明らかにハルを頼っていた。一人にはなりたくない、と。

 その後も普段ふだんの雪愛なら自分からついて行くなんてありえなかっただろう。

 けど、実際今こうして助けてもらえている。


(彼はどんな人なんだろう……もっと彼のことが知りたい……)


 なぜこんなにもハルのことが気になるのか、知りたいと思うのか、雪愛自身理由はわからなかったが、その衝動しょうどうはどんどん大きくなっていった。


 そんな風に考えながらも雪愛は着替えを済ませた。Tシャツを着た時は胸元もなもとがちょっときつくて伸びてしまわないか心配だった。それに下着のラインも出てしまっている。けれど、同じく渡されたカーディガンを着ればそこは目立たなくなった。


 雪愛は部屋にあったスタンドミラーで一度チェックをし、部屋の扉を開けた。

「麻理さん、ありがとうございました。あの……Tシャツがちょっと伸びてしまうかもしれません…」

 後半を言うのに雪愛は顔を赤らめてしまう。とても申し訳なさそうだ。

「うっ!?そ、そんなこと気にしないでいいのよ。むしろきついと思うけど少しの間我慢がまんしてね」

 麻理は変な声が出そうになるのを力を入れて止め、引きりそうになる表情を戻し、少し気落ちしながらも優しく返したのだった。


 濡れてしまった服を受け取った麻理はすぐに乾燥機に入れて、二人で一階に下りていった。


「ここに座って。何かあたたかいもの用意するわ」

 麻理の言葉に雪愛はおれいを言って席に着いた。

 麻理はカウンター席の一席をすすめると自分はカウンターの内側に入っていき、雪愛の座った向かいに立った。


 そしてすぐにカフェラテを二はい作り始め、一つを雪愛に渡し、一つを自分で飲み始める。

 ほっと一息いたところで、春陽が声をかけてきた。

 春陽はちょうど作った料理を出してきたところのようだ。

 麻理がいなかった間にコーヒー類のオーダーは入らなかったため、特に麻理に急ぎ作ってもらうものはない。


「戻ったんですね、麻理さん。突然とつぜん本当にすみませんでした。ありがとうございました」

「気にしなくていいのよ」

「白月さんもれてきてしまってごめん。偶然ぐうぜんではあるけど、ここで食事する予定だったって言ってたし、何か食べていってください」

「あ、はい。ありがとうございます。えーと……それじゃあオムライスをお願いしてもいいですか?」

 雪愛は春陽に言われ、メニューを手に取るが、壁にかけられた『おすすめメニュー』と書かれた黒板こくばんを見つけ、その中のオムライスに決めたようだ。

「もちろん。少々お待ちください」

 そう言って春陽は料理を作りに戻った。


 そんな春陽を見送って、雪愛は麻理に申し訳なさそうに春陽のことをたずねた。

「あの、麻理さん。ハルさんのこと教えていただけませんか?ここに来る途中とちゅう名前を訊いたんですが、ハルって呼ばれてるっていう答えで。あまり自分のことは話したくないのかなとは思ったんですが……」

「ん?そうね~。どんなことが聞きたいのかしら?」

「どんな……ハルさんはどんな人ですか?」

 言って、雪愛は顔を赤くしてしまった。あまりにもざっくりしすぎていると思ったからだ。春陽のことをとにかく知りたいと思う心がこんな聞き方をさせてしまった。

 だが、麻理はふふっと笑うと答えてくれた。

「どんな人、かぁ。…ハルは優しい子よ。あんないい子によく育ったものだと本気で思うほどにね」

「?麻理さんは小さい頃からハルさんを知っているんですか?」

「小さい頃って訳じゃないわね。ハルは中学生の頃ここに住んでたの」

 今は出て行っちゃったんだけどね、とさびしそうに微笑ほほえんで麻理は続けた。

「えっと…麻理さんはハルさんのお母さん、ではないですよね?お姉さんとか…」

 母親としては麻理は若すぎるように見える。

「違うわよ。どちらでもないわ。ちょっと色々あってね。ハルはここに住むようになったの」

「……そうなんですか。それならハルさんのご両親は……」

 亡くなられてしまったのだろうか、と雪愛は言葉をにごした。

 家族ではない人と一緒に住むことになる可能性など雪愛にはそれくらいしか思い浮かばなかった。


 麻理は困ったようにんで黙ったが、次の瞬間には何を思ったのかふふっと声に出して笑い出した。雪愛は疑問に思い麻理の顔を見ると麻理からすぐに答えがきた。


「ねえ、雪愛ちゃん。ハルに対してなんて要らないわよ。ハルはあなたの同級生なんだから」

 麻理はいきなり特大の爆弾ばくだんを放り込んだ。

「えっ!?」

「ハルは光ヶ峰ひかりがみねの二年生よ」

「っ!?…そ、そうだったんですか……!?」

 雪愛は突然の麻理の発言に驚愕きょうがくかくせない。落ち着いた春陽の対応からもしかしたら年上かと思っていたらまさかの同じ学校の同級生だ。


「顔を見て気づいたって言ってたわよ。まあハルは自分があなたの同級生だって知られたくなかったみたいだから、私に口止くちどめするために、二階に上がる前に言ってきたんでしょうけど」

 今言っちゃったとお道化どける様に麻理は笑う。


「……それは…言ってしまってよかったんですか?」

 雪愛は完全に困惑こんわく顔だ。なぜ同級生と知られたくなかったのかは全くわからないが、それを自分に言ってしまっていいのだろうか。

 だが、納得なっとくもした。『ハルと呼ばれています』、というのはつまり名乗れば同級生だと気づかれるかもしれないと考えたからなのだろう。


「大丈夫よ。それに教えた方が面白おもしろいかなと思って」

 麻理は笑って言うが、雪愛にはなぜ教えると面白いのか全くわからない。


 麻理だって本当に面白おかしくしたいと思って言ったわけではもちろんない。麻理は思ったのだ。あの春陽が、目立ちたくないと自分から行動することを極端きょくたんに嫌う春陽が自分から同じ学校の生徒だとわかる女の子を助けた。

 ならば、これが何かのきっかけになるかもしれない。それに―――。

 春陽にはあきれられるか、怒られるか。……もしかしたら傷つけてしまうかもしれないが…。


 雪愛はまだ衝撃しょうげきの事実を受け止めきれておらず、頭がうまく回らないが、口が勝手に動いた。

「あ……それなら―――」

『ハル』の名前を聞こうとしたところで、春陽がお皿を持ってこちらに声をかけてきた。

「お待たせしました、オムライスです。温かいうちにし上がってください」

「っ!?あ、ありがとうございます…」

「ごゆっくりどうぞ。あ、麻理さんあちらのお客さんにカフェラテ二つお願いします」

「はいは~い」


 話はここで中断してしまい、雪愛はオムライスにスプーンをばすのだった。


 オムライスは本当に美味おいしく、雪愛は大満足だった。

 お腹が減っていたのもあるが、夢中むちゅうで食べてしまった。

 これなら他の料理も食べてみたい。もっと早くに入ってみればよかったとすら思った。


 食べ終わり一息いている雪愛に、麻理が声をかけてきた。

「雪愛ちゃん、オムライスどうだった?」

「はい!すっごくおいしかったです!」

「でしょー!ハルの料理って本当においしいのよ!」

「そうなんですね。他の料理も食べてみたいです!」


 本当においしかった料理に雪愛のテンションは高めだ。麻理も春陽の料理がめられてうれしそうだ。


「そうそう。もう服は乾いたからいつでも着替えられるわよ」

「あ!ありがとうございます」


 食事を終えた雪愛は着替えるために、麻理と共に二階へと上がり、制服へと着替えを済ませた。

 麻理にお礼を言い、貸してもらっていた服を返した雪愛は、麻理と共に再び一階へともどっていく。


「今日は本当にありがとうございました。ハルさんに助けていただけてなかったらどうなっていたか…。それに麻理さんにもたくさんご迷惑めいわくをおかけしてしまって…。本当にお二人ともありがとうございました」

 春陽と麻理がそろっている場で雪愛はあらためて今日のお礼を言った。

「ふふっ。いいのよ、気にしないで。雪愛ちゃんが無事で本当によかったわ」

「そうですよ。だから頭を上げてください」


 二人から言われ雪愛はゆっくり頭を上げた。

 そして、かばんを手に取り、帰る意思いしを伝えた。

「そろそろ失礼します。本当にありがとうございました」


「そう。またいつでも来てね。ハル、雪愛ちゃんを送っていってあげて。あなたももう今日はあがっていいから」

「…………」

「そんな!悪いです!」

「もう外は暗いし、ハルは安全だから。ボディーガードと思って。ね?」

「…すみません。ありがとうございます…」

 麻理の中で春陽に送らせることは決定事項じこうらしい。春陽はひたいに手を当てため息を吐き、雪愛はそんな春陽と麻理を交互こうごに見て、再び頭を下げた。

 そして、財布さいふを取り出し、おだいをと言ったのだが、麻理から、今日はいいわと断られてしまった。

「また来てくれたらうれしいわ」

「はい!絶対に来ます!」

「ふふっ。ほら!ハル、早く着替えてきなさい」

「……わかりました。ただ、このまま送っていきます。また戻ってくるので」

 春陽からしてみれば、せっかく隠しているのに制服に着替えたりしたらすべて台無だいなしだ。だからこそ、麻理の言葉にしぶっていたし、今も考えたすえ折衷案せっちゅうあん提示ていじした。

 本当なら雪愛とはこれっきり、となりたかったのだ。

「ハルが何を考えてるかはわかるけど、無駄むだよ。もう雪愛ちゃんにあんたが同級生だって言っちゃったもの」

「はっ!?」「えっ!?」

 春陽と雪愛の声が重なった。

 雪愛の方はまさか春陽に伝えるとは思わず、驚いてしまったのだ。

 春陽の方は、愕然がくぜんと目を見開いて麻理を見つめていた。

 何を言っているんだこの人は、と。これはいまだにここでバイトをしている自分への嫌がらせか。しかしバイトは麻理からの提案だった。ならば、この家にとって異物いぶつでしかない自分が、自分に決定権が無かったとはいえ、三年もここに住んでいたことに対する意趣返いしゅがえしか。

 愕然としたまま雪愛に目をやれば、雪愛は申し訳なさそうにうなずいた。

 それで、もう知られていることは事実だと理解した春陽はあきらめの境地きょうち了承りょうしょうするのだった。

「……わかりました。着替えてきます…」


 バックヤードに消えた春陽が制服に着替えて戻ってきたのはそれからすぐのことだった。男性の着替えにそれほど時間はかからない。

「……待たせてごめん」

 着替えの間に心の整理がついたのか、春陽は同級生として雪愛にびた。

「じゃあね、雪愛ちゃん。ハルもお疲れさま」

「はい、今日は本当にありがとうございました」

「…お疲れさまでした」

 雪愛は何度目かわからないお礼を言い、春陽は諦観ていかんにじませて返事をした。


 そして雪愛と春陽はフェリーチェを出ていくのだった。



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