四月下旬の月曜日。
スマホの目覚ましが鳴っている。
それをゆっくりした動きで止めて、
「だりー」
そんな言葉をこぼしながら
洗面所で顔を洗い前髪を
そこには当然春陽が映っている。
「…ちっ」
いつもは気をつけているのに、久しぶりに
水を一杯飲み、ブレザーの制服に着替え、最後に
こうして春陽はワンルームのアパートを出て学校へと向かった。
春陽の通う
いつも通りに家を出て、始業十分前に自分のクラスである二年B組の教室に着いた春陽は、
黒髪で目元まで隠れた長い前髪に、黒縁眼鏡、基本的に自分から話しにいくこともない態度から、春陽は二年に上がって二週間足らずで、すでにクラスでは根暗な陰キャと認識されていた。一年の時もだいたい同じ頃には同様に認識され、特に関わってこようとするクラスメイトもいなかったため、そこから一年間
平穏な学校生活を送るためには必要なことがあると春陽は考えている。
それは、良くも悪くも目立つ生徒とは決して関わらないことだ。
そしてこのクラスには少なくとも三人、絶対に関わってはいけない人間がいる。
一人目は、
彼女は学年一……学校一だったか?春陽は興味が無いので詳細は不明だが、の美人で一年の頃から有名だった。そして、誰に告白されても断っているらしい。そのことから、男性が苦手だとか好きな人がいるだとか様々な
彼女と万が一にも話しているところを他の男子に見られれば敵意を向けられ、女子からは彼女を狙っているという
二人目は、
彼は言ってみれば雪愛の逆だ。サッカー部に所属する
そのサッカー部でもレギュラーで活躍している、らしい。
女子の中心が雪愛だとすれば、男子の中心は間違いなく和樹だろう。
他の生徒達も一年のときのクラスメイトだったり、部活仲間だったりと二年にもなれば何だかんだでグループはすでにできている。
つまりは目立つような人物に関わらなければ、わざわざ自分などには見向きもしないだろうと春陽は考えている。
一人の男子生徒が教室に入ってきたのは春陽が席について数分後だった。
彼は、多くのクラスメイト達と名前を呼んで
「よう!春陽。今日も眠そうだなぁ」
「あ?……悠介か。何か用か?」
声をかけられた春陽は渋々腕から顔を上げ、彼、
三人目がこの佐伯悠介だ。
明るい茶髪のイケメンで、ちょっとチャラそうに見えなくもないが、悠介は
悠介とは同じ中学出身で、バスケ部でも一緒だった。と言っても、春陽は一年の終わりに退部したし、悠介も二年の初め頃に退部した。だが、そこから時々話すようになった。
中学の知り合いなら話しかけられるくらいは普通かもしれないが、悠介はイケメンだ。注目を集める可能性を考えると春陽としてはあまり関わってほしくない相手である。
「用ってほどじゃねえよ―――」
「なら話しかけるな。イケメンとの関わりは俺の平穏を
悠介が何か言い終わる前に春陽はぶった切った。
「なんだそれ。
悠介は苦笑いを浮かべて春陽の言い分を受け流した。
「それに、
確かに中学時代から含めても春陽と悠介が同じクラスになったのは今が初めてだった。
だが春陽からすればそんなことはいつものことで、今更気になるも何もない。というか悠介のある言葉に
「!?……ダチ?友達のことか?誰が誰の?」
「なんでそこに疑問を持つんだよ!俺ら中学からの付き合いだろうが!」
「友達っていうのは
「なんでそんなに友達のハードルが高いんだよ!それに気心知れたってそういう意味じゃねえよ……お前わかってて言ってんだろ」
悠介は疲れたようなため息を吐いた。確かに『ダチ』なんて今までわざわざ言ったことは無いかもしれない。だが、まさかその認識が無かったなんてと一気に疲れた気分だった。
「なん、だと……!?………てっきり
そう。春陽にとって悠介は知り合いだと思っていた。悠介は春陽がバスケ部を辞める時、すごい
「そうかよ……。まあ名称なんて何でも言いわ。これまで通りの付き合いができればそれでいいよ」
すると、ちょうどそこでチャイムが鳴り、担任の
結局悠介との話は全く無意味に終わった。いや、春陽にとっては悠介が知り合いではなく友人だとわかったのだから意味はあったのか……。
それからはいつもと何ら変わらない。午前の授業を受けて、この時期はまだ暑くないため昼休みには屋上に行き一人
ちなみに、春陽は家で勉強をしたくないという理由で授業は
「それじゃあ最後に、今週のロングホームルームで球技大会の種目決めをしてもらうから皆何に出たいか考えておいてね。球技大会の前に中間テストもあるから五月は連休があるけど勉強も
担任がそう言うと
光ヶ峰高校はそれなりの進学校だが、文武両道を
そのまま、帰りのホームルームが終わり、帰り
春陽が放課後向かっている先は自分の住んでいるアパートではない。
自宅の最寄り駅からアパートとは反対方向に少し歩いた先に目的地はあった。
『felice《フェリーチェ》』
壁がこげ茶色の板張りになっており、大きくはないが、
春陽はここに遊びに来たのではない。ずっと前からここでバイトをしているのだ。
裏手の扉から入り、更衣室で白シャツと黒ズボンに着替えを済ませた春陽は、
そこには、学校での春陽とは全く違う、誰が見ても一目で振り返ってしまうほどの男性的で整った顔立ちの青年がいた。
店内に入ると、一人の女性が切り盛りしていた。
「麻理さん、お疲れ様です」
赤みかかった茶髪のショートヘア、キリッとした目元に整った顔立ちのスレンダーな女性、
「ハル来たわね。今日もイケメン全開ね。目の
麻理は春陽を
「何回言ってんすかそれ。お
「何度でも言うの。本当のことだもの。ハルは見た目も中身もいい男よ。ハル自身も認めてくれると嬉しいんだけどね。じゃあ今日もよろしく頼むわね」
春陽は麻理が優しいことを知っている。本当は嫌で仕方ないはずなのに、大切なこの店に中学の三年間異物でしかない自分のような存在を住まわせてくれたのだから。
そんな麻理だから、信用しているし、親切で自分に気を
こうして、春陽のバイトが始まった。
フェリーチェは、麻理が数年前に建てた店で、基本的に一人でやっている。春陽が正式にバイトを始めたのは高一からだが、週の大半はここでバイトをしている。春陽の仕事は調理全般と接客だ。
麻理は春陽がいる間はコーヒーを
一人でも回せる規模の店だが、春陽がいると色々と余裕ができるため、麻理にとっても春陽の存在は助かっている。
バイト中の春陽は学校とは全く違う。
キビキビと動き、オーダーが入れば、料理を作り客のもとに持っていく。
この店はこじんまりとしたおしゃれなカフェでコーヒーの味も
また、春陽の通う学校から近いこともあり、穴場的なカフェとして生徒の中にもこの店へ来る者もいる。中には春陽と同じクラスの生徒も来るがハルが春陽とは全く気づかれていない。
そして、女性客の多くが、春陽をチラチラ見ては、ほぅっと満足したような息を吐いている。
女性客にとっても麻理の言う『目の保養』というやつのようだ。
だが、当の春陽自身はその視線に、
(みんなして接客が下手だからってそんなチラチラ見てため息まで吐かなくても……)
と居心地の悪さをいつも感じていた……。
しばらくそうして働いていたが、特にオーダーもなくちょうど二人して
「そういえばハル。新しいクラスはどう?」
「どうって。特に何もないですよ」
「友達はできた?」
その問いに、小学生に対する質問かよ!という返しをぐっと飲みこんだ春陽は、今日の朝のことを思い出した。
「……悠介は俺の友達だったみたいです…」
「え!?今まで何だと思ってたの!?」
驚きのあまり若干声がひっくり返ってしまった。悠介はこの店にも何度も来ている。春陽も変に気を遣う様子も無く、仲良くしていると麻理は思っていた。
「……ただの知り合いだとばかり……」
春陽の返答に麻理は困ったような笑みを浮かべ、そっか、と呟いた。
「あのね、ハル―――」
まだ何か言おうとしていた麻理だったが、そこでドアが開き新しい客が入ってきたため、春陽はその対応に行ってしまった。
そんな春陽を麻理は複雑な表情で見つめていたが自身もすぐに仕事へと戻った。
その後も働き続け、もうすぐ夜七時という頃。
これから夜の忙しい時間帯というところだ。
「ハル!ごめん、ちょっと駅前で牛乳買ってきてくれる?足りなくなりそうなの」
どうやら今日は牛乳の消費が予定よりも多かったらしい。麻理は申し訳なさそうに言っているが、個人経営の店だしその日によって予定よりも消費が多くなってしまうなんてことはこれまでにも何度かあったため春陽は全く気にしていない。
「わかりました。すぐ買ってきます」
「夜はまだ冷えるから上着着て行ってね」
はい、と返事をしてバックヤードに置きっぱなしにしている黒のジャンパーコートを取りに行き、春陽は駅前に一っ走りするのだった。
駅前のスーパーで牛乳を買い、スーパーを出てきた春陽はフェリーチェに急ぎ戻ろうとしていた。
横断歩道で信号待ちをしていると、周囲の声が聞こえてきた。
「ねえ、あの子ちょっとヤバいんじゃない?」
「ん?ああ本当だ。ナンパかな?」
その声に釣られるように視線を上げると、横断歩道の向こう側で男三人に
いや、正確には同じ学校の制服を着た女子生徒が目に入った。
そして、しばらく男達がその女子生徒に話しかけている様子が
「っ!?離してください!」、「きゃっ!?」
離してという大きな声に続き短い悲鳴が上がった。
男の手を振り払おうとした女子生徒の動きで、男が手に持っていたペットボトルの中身が女子生徒に思いっきりかかってしまったようだ。
その直後、信号が青へと変わった。
春陽は信号が変わった瞬間に横断歩道を
(あの野郎わざと手に持ってたのをぶっかけやがった!)
春陽の位置からはばっちり見えていた。男が女子生徒の動きに合わせて、ニヤニヤ笑いながら手に持っていたペットボトルの水を彼女の上半身
いつもの自分なら同じ学校の生徒だろうと自分から助けにいくことなんてないだろう。
面倒なことには
なのに……。
男の目に余る
「すみません」
この後すぐに