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攫われた先に何がありますか 3

 だからと言って加瀬かせに対してことが急に素直になれるわけもなく、彼から顔を背けて拗ねたふりをしてしまう。そんな琴の反応にさほど気にする様子も見せず、加瀬は開いていた本に意識を戻した。

 しばらくは本に集中している加瀬を横目で見ていたが、それもすぐに飽きて眠くなってくる。琴はそのまま背もたれに身体を預けると静かに目を閉じた。


「……起きろ、琴」


 低い色気のある声が自分の名を呼んでいる、そう分かっているのに琴の瞼は重くてなかなか開いてくれない。色々なことが重なって心身ともに疲れてしまったのかもしれない、もう少し眠らせて欲しい気分だった。


「ん、んう……後、五分だけ……」


 むにゃむにゃと猫のように傍にある何かに、寝ぼけた琴は顔をすり寄せてみた。いつも使っているシーツや毛布にしてはあまり肌触りが良くない、そう思いながらもう少しだけそのままでいようとすると……


「涎垂らした顔ですり寄るのは嫌がらせか何かなのか? このスーツもオーダーメイドなんだが」


 そんな嫌味なセリフに、寝ぼけていた琴の目が覚める。自分がすり寄っているのはシーツや毛布などではなく、隣にいた加瀬なのだと気付いて。


「す、すみません! 私ちょっと寝ぼけちゃってて。ちゃんとクリーニング代を支払いますから!」


 オーダーメイドだと聞いて慌てて加瀬かせに謝ることに、呆れた様子の加瀬が一言。


「別にいい、どうせクリーニングに出すのはあんたの仕事になるんだから」


 それも当然というように言われたので、琴は加瀬が何を言っているのか意味が分からなかった。だがすぐに彼が言わんとしている言葉の意味を理解して……


「私の、仕事……? え、ああっ!」


 加瀬と結婚し妻になる琴が夫のスーツをクリーニングに出す、確かに当然と言われればそうなのかもしれないが。

 こういう言葉を使って琴に結婚するという現実と向き合わせようとするのは少し狡いのではないか? 琴はそう思いながら頬を赤く染めて唸る。


「そういう顔をするな、あんたはこれから世界一綺麗な花嫁になるんだから」

「世界一なんて無理なことを言わないで!」


 琴は自分の顔が十人並みだということを十分過ぎるほど継母や姉に思い知らされてきた。いつもチヤホヤされるのは華やかな継母や美しい姉ばかりだったから。

 そんな琴の過去を知ってか知らずか、加瀬は両手で琴の頬に手を添えて自分のほうを向かせる。


「無理じゃない。俺の妻になるんだから、琴は必ず世界一綺麗な花嫁になれる」


 ハッキリと言い切られると、これ以上反抗することも出来なくなる。ことは絶対無理だと思いながらも、どこかで加瀬かせなら現実にしそうだとも思ってしまう。

 琴だって普通の女の子で、可愛い物も綺麗なものも大好きだ。綺麗な花嫁になれると言われれば期待だってしないわけがない。


「本当に加瀬さんは自信満々ですね、目が悪いのなら眼鏡かコンタクトをお勧めしますけど……」

「心配いらないな、両目とも2.0で眼鏡もコンタクトも必要になった事はない」


 目が悪いのでなければ美的感覚が狂っているのでは? と言いかけたが、なんとか琴は言葉を飲み込んだ。そんなことを言えば何倍にもなって返ってくる気がしたから。


「もうすぐパリに着く、そろそろ目を覚まして準備してろ」

「え、もう? いつの間にそんな時間が……」


 琴は飛行機に乗ってあまり時間がたたないうちに眠りについたはず、それなのにそんなに早くパリに着くものなのかと驚いた。


「色々あって疲れてたんだろ? ぐっすり眠ってたし、俺も起こさなかったからな」


 その色々の中に現在進行形で加瀬との問題があるのだが、それは気にするきはないらしい。そんな加瀬を見て琴は小さくため息をついた。

 そんな様子の彼女に構わず、機内のアナウンスが流れると加瀬かせことを連れて歩き出す。琴は強引な加瀬について行くので精いっぱいだった。

 荷物を受け取りさっさと空港から出た加瀬は、タクシーに乗り込んでドライバーに行き先を告げる。当たり前のようにフランス語を話す加瀬だが、琴は言葉が分からないことに一気に不安を感じ始める。


 思い切って攫われたは良いが、本当にこの場所で自分はやっていけるのだろうか? 外交官という仕事をしている加瀬が四六時中琴についていてくれるわけでもない。心配になって当たり前のことだった。


「心配しなくていい。今日あんたについてもらうスタッフも、家の事を任せている家政婦も日本人だ」

「そうなんですか、家政婦さんまで……」


 加瀬の言葉に一旦はホッとしたが、それでもまだ不安は拭いきれない。一人で外に出るときや仕事を探すにしても日本にいる時と同じようにはいかないだろう。

 そんな琴の悩みを全て分かっていたように、加瀬は……


「この近くのデパートには日本語をしゃべれる店員が何人もいる。仕事だってその気になれば探すことは出来るし、それも不安ならあんたは家で俺の帰りを待っててくれるだけでもいい」


 それくらいの稼ぎはある、と加瀬はそんな言葉で琴の不安を取り除こうとしてくれているようだった。


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