朝のカフェの窓ガラスに柔らかく光が差し込んでいる。木のテーブルの上にはアンティークのカップとソーサーが置かれ、そのカップから立ち上る香りは、コーヒーと共に運ばれてきた音楽のメロディと交じり合っていた。
黒いスーツに身を包んだ音楽家がカフェの一角で演奏している。彼の名前は、町中で讃えられているピアニスト、エリック・ヴァンダーヴィルトだった。いつものなら彼の指先は鍵盤を軽やかに舞っているはずだった。しかし今日は様子が違った。
彼の指先は、まるで空中に浮かぶ音符を追いかけているかのように不安定に震え、その奏でる音はどこか切なさを帯びていた。
「彼女の音楽はもう聴くことはできないのね」
隣の席に座る老夫婦の話し声が聞こえた。
──彼女? エミリアのことか。まだ今日は姿を見せていないが、一体、彼女がどうかしたのか。
話しかけられた年老いた男性がゆっくりと顔を上げて答えた。
「彼女はもうここには来ないよ」
──もう、来ない? 国に帰ったのか。どうして突然……。
エリックはピアノを弾きながら、ずっとステージを見つめている。いつも、そこにいるはずの彼女の姿を見つめるように。
「見ていられないわね。まさか失踪するなんて」
老婦人はエリックの心情を察し、悲しげにそう呟いた。
──何だって? 失踪だと?
エミリアが一体、どうして……。