突然俺の目の前に謎の黒い玉が現れた。
バランスボール並みの大きさはあるだろう。そして、その玉は俺に語りかけてきた。
「お久ぶりです! お父さん!」
「はぁ?」
何言ってるんだよこのボール。三十歳童貞こじらせ男(以下DT)の俺に子などおらぬ!
「人違いですよ」
気持ち悪いが、一応丁寧に答えてやった。俺はDTという根拠があるのだ。
「いえ、間違いありません。あなたは私のお父さんです。今日はお父さんにどうしても見て頂きたく……」
「だから、人違いだっていうの!」
だって俺はDTだもの。
すると、どす黒いボールの後ろから、ボーリングの玉ぐらいの黒い玉が顔を出した。
「あなたの孫です」
DTなのに孫!
「会いたかったよ! おじいちゃん!」
だから俺、DTだってぇ~
三十歳までDTだと魔法が使えるようになるという漫画を見たことがあるが、俺も遂にその領域に踏み込んでしまったのだろうか。ボールの声が聞こえるなんて。
「十年前に生き別れてしまってから色々ありました。でも、こんなに大きくなりましたよ。お父さん!」
「待って、待って。とにかく意味がわからない」
「え? 親ならわかってくれるものだと思っていましたが……」
まだ言うか! 親ってどういうことよ!
「そもそもあなた、なんでボールなのに話出来るの!」
そもそもは他にも沢山あったが、まずここからだろう。
「私はボールではありません。【言玉】です。タマは霊じゃなくて、玉の方です。お父さんが十年前に言った言葉である私が、大きくなって会いに来たのです」
確かに、言葉には魂が宿るという【言霊】という話は聞いたことがあるが、言葉そのものが玉になる【言玉】なんてものあるとは。
「俺が言った言葉だから、お父さんって事なのか」
そりゃそうだよね。DTの俺が子供なんておかしいと思ったよ。
「俺は何て言ったんだ?」
「それは言えません。言った本人に知られてしまったら私の存在が消えてしまいます」
「そういうものなのか。でも、どんな時に言った言葉くらいは教えてくれてもいいよな」
「そーですね。実は、私たち言玉は、愚痴、泣き言、不平不満等の負の感情で出来ています」
だからこの玉、どす黒いのか。
「十年前といえば、二十歳の時か……。高卒で入ったブラック企業でぼろ雑巾のように働いていた時だな。あの時は、仕事の愚痴しか言ってなかった気がするよ」
「でしょ。私は、会話の相手もいない、誰にも伝えようもない、誰にも拾われなかった救いようのないお父さんの言葉なのです。それが、世間の負のエネルギーをたくわえながら十年かけてこの大きさまで大きくなったのです」
「そういう事かー。なんて信じられるわけないだろ!」
新手の詐欺かも知れない。
「ホントに俺の言葉かもわからないのに、孫まで連れてきやがって。何か? お年玉でもせびりにきたのかよ。金ならねぇぞ。俺は今、無職だ! 無職DTだ!」
興奮してDTの事まで言ってしまった。
「いいですね~、さすがお父さんだ。いい感じのクズ人間です。な、そうだろ」
奴は孫に話しかけた。
「うん。そうだね。お父さんの言った通りのクズだね」
何故か感心している様子だ。
「何だよ、お前ら。何しに来たんだよ」
「息子に、おじいちゃんのクズさを見せに来ただけです」
俺の息子と名乗るどす黒い言玉は何も悪びれずに言った。
「何だかよくわからないが、俺の何かの言葉がお前を誕生させ、世の中の負の感情がお前を成長させたってことなのか」
「そうです。ただし、私たちはその人が心から発した言葉に限ります」
「じゃ、お前の息子は何なんだよ。息子は、お前の嫁と、なぁ。アレしてできただろ」
「あー、お父さんDTでしたね。そうですよ、お父さん。お父さんより先にアレしました。この子は言玉第二世代です」
ふざけんな! 父親より早くアレしてどうすんだよ!
「まだ、ちゃんと紹介してませんでしたね。ほら、自分でおじいちゃんに自己紹介して」
「うん。おじいちゃん! ボクの名前は【地獄に落ちろ】です」
きょーれつ! 小さい子の名前がこれ? 俺の孫の名前これ?
「負の言葉ってこういう事? お前が名付けたのか?」
「生まれる時にこの名前で生まれるのです。ちなみに私の妻の名前は【一生呪ってやる】です。いい名前でしょ」
いい名前なのか?
「俺の言葉と、お前の妻の【一生呪ってやる】が結婚して、アレして、生まれた子供が【地獄に落ちろ】なのか。という事は、お前の名前、上司に対する俺の恨み事だろ」
あの時は上司にいじめられてたしな。
「それは、口に出さないで下さい。私が消えてしまいます。そろそろ、妻がこっちに来るはずなのですが……」
「あ、ママ来たよ!」
目の前に三メートルはあるだろう、巨大な黒い玉が静かに近づいて来た。
「初めまして。お父様。【一生呪ってやる】と申します」
大きすぎてどこが顔なのかわからない。
「【地獄に落ちろ】がどうしても会いたいという事で。ご迷惑かけてすみません」
「いやいや、うれしいですよ。急に家族が出来たような気持ちです」
実はこれは本心だ。俺は児童福祉施設育ちで今は孤独の身だ。会社をリストラされて失業中、金もなければ家族もいない。おまけにDTという状況なんだ。
俺はこっそり耳打ちした。
「それにしても嫁と大きさが違い過ぎるな。大丈夫なの? 例のアレ」
「お父さん、クズですね~。その事ばかり気にするこじらせDT」
ぎく! ほっといてくれ!
「昔は私と同じ位の大きさだったのです。でも、妻はやさしいから、いっぱい取り込んでしまううのです」
「取り込む? どういう事?」
すると嫁が説明してくれた。
「私達は、人の負の感情を軽くしてあげる為にその人から吸い取って取り込んでいるのです。でも、吸い取り過ぎちゃうと大きくなり過ぎて、いずれ破裂します。そして消えてしまうのです」
「自分の命と引きかえにしてるいのか。じゃ、一生呪ってやるは大丈夫なの?」
嫁の心配している自分に、ちょっと不思議な気持ちになった。
「いつ消滅するかはわかりませんので、こうして家族でお父さんに会えてうれしいです。それも、お父さんがDTでいてくれたおかげです」
息子の嫁にDTって言われる屈辱!
「でも、消えてしまったらどうなるんだよ。無になるのか」
「まぁ、そんなところです。でも、負の感情を吸収しないと生きていけないのは言玉の定めなのです。これから、息子にも人の負の感情を上手に吸収する方法を教えていかなければなりません。じゃぁ、保育園の時間なので、私と息子は先に失礼しますね」
保育園? 言玉の世界も大変だな。
「おじいちゃん、またねー。バイバイ!」
無邪気な孫と大きな嫁は行ってしまった。
「ところで、お父さん。あなたに伝えたい事があります」
俺の息子の言玉は神妙な声で俺に言った。
「実は、私たち言玉が消滅すると、その言葉を言った本人の気持ちを軽くする事が出来るのです。つまり、私が消えればお父さんは少しは楽になるのです。息子と嫁の前では言えませんでしたが、私は、お父さんが不憫でなりません。こんな状況の上に、DTだなんて……。どうか私を消して下さい。お父さんの気持ちが軽くなるならそれでかまいません。それが姿を表した理由です」
「お、お前……。そんなこと出来るわけないだろ。嫁と息子はどうなるんだよ」
「大丈夫です。妻の親は、お父さんと違って裕福です。心配いりません」
「微妙にディスられてる感じはするが、いいのか? そんな事して」
「いいのです。でも、お父さんが自分で十年前を思い出して言葉を発しないと、私を消すことは出来ません。さぁ、言ってください!」
「よし、わかった! じゃ、言うぞ!」
「はい。私はお父さんの為に消える覚悟で来たのです!」
俺は力の限り叫んだ
「や●せてくれぇ~」
…………。
何も起きなかった。
「お父さんはバカですか。クズすぎでしょう。不正解です。そんな言葉でいちいち言玉になったら、男子中高生の言玉だらけなってしまいますよ」
「でもさ、独身DT二十歳の心の叫びなんてこんなもんだろ」
「違いますよ。もういいです。今日は帰ります。さようなら」
息子の言玉は行ってしまった。
息子は会いに来てくれたのだ。
会社をリストラされて金もなければ家族もいない、おまけにDTという状況を見かねて来てくれたんだ。そして、俺の為に自分の命と引きかえにしてくれと言ってくれた。うれしいじゃないか。それに嫁や孫にまで会えたなんてな。
だから本当の言葉は言う必要はなかったんだ。俺が二十歳の時に言った息子の名前は、たぶん【さみしい】だと思うから。
何だか頑張れそうな気がして窓を開けると、どこからか声が聞こえた。
「な、おじいちゃんって、やさしいクズだろ」
了