Why are you here?
「あんたはどうして、ここにいるのか……? え……なにこれ、怖っ」
私、チェリー・チェンは自分の部屋の棚裏の壁に殴り書かれた落書きを見つけて呟く。
棚の上の壁に貼り付けてた鏡を見ながらソフトゴシックにアイライナーで目元をバッチリ決めていたところで、端末の設定消し忘れ謎時間爆音アラームにびっくりしてアイライナーを棚の裏側に落っことしてしまった。
びっくりしたせいでアイラインは絶対どっかで数値か計算をミスったグラフみたいにあらぬ方向へ真っ直ぐ伸びちゃったし。
お気に入りのアイライナーは棚と壁との謎のクリアランスに吸い込まれてしまった。
まあ、最悪だ。
でもアイライナーは買ったばかりだしもったいないので、なんとか棚を動かしてアイライナーを取ろうとしたところで。
壁に落書きを見つけたのだ。
え……、気持ち悪っ。なに? ホラー?
誰かが私の部屋に入ったってこと?
ここはメゾンドモンステラ五〇二号室……五階なんだけど。
いや……違うか。
これは前の住人が残した落書きだ。
もう少しちゃんと見ようと棚を動かしていくと、さらにもうひとつ。
for people in the society!
という落書きも見つける。
「世のため人のため……?」
私は落書きを読み上げる。
自問自答……じゃなさそうだ。あからさまに筆跡が違う。
問いかけの『Why are you here?』は殴り書きというか乱れた字だけどアンサーの『for people in the society!』の方はかなり丁寧というか綺麗な字だ。
ってことはこれ、Aグループの住人が問いかけたものをBグループの住人が答えてCグループの私が発見したってことなんだ。
へー、なんかすごいじゃん。
二百年以上前のメッセージに百年前の人が答えるっておもしろい。
アイライナーのミスが帳消しになるくらいには、感心出来た。いや全然直すのめんどくさいことには変わりないけど。
まあ全然普通にAグループだかBグループの前の住人が友達やら家族やらで一緒に書いただけってことかもしれないけど、百年を渡ったやり取りの方がロマンがある。
でも……。
「どうしてここにいるって…………乱暴な質問すぎるでしょ」
私は率直な感想を述べる。
ストレートに答えるんなら、そりゃ私の部屋だからってことなんだけど。
この質問者が言いたいのはそういうことじゃないんだと思う。
ここ、つまりはブロッサム・ノアβに、おまえはなんで乗ってんだってことを聞いているんだ。
ブロッサム・ノアに乗っている人間には、大なり小なりなんかしら役割を持つ人が多い。
例えばうちの父は植物学者なので覚醒期間の四年間もスペアエデン到着後の環境についての研究を進めたり、母は獣医師のため覚醒期間中に状態固着してある動物や食料になる家畜の健康状態などをチェックしたりで忙しそうにしている。
そして私は……まあ何もない。
一応、学生っていうのが役割なんだと思う。
十六歳の私はスペアエデン到着時には二十歳、今はとりあえず勉強しておけってことだ。
でも、正直何かの目的意識を持って勉学に励んでいるって感じは全くない。
私たちより上の世代は、移住計画実現の為に必死だったからみんな生き残る為に何かを成さなくちゃならなかった。
だからうちの父は植物学者になったし母は獣医師になった。
でもそれはブロッサム・ノアβが五十二機建造され人類のほとんどが99.7パーセントの確率で移住出来ることが決まるまでの話だ。
具体的には超人世代って呼ばれる世代くらいまで、なんか本当にみんな特殊部隊みたいな訓練を詰んだ超人だらけのすごい人たちみたいな感じらしい。
超人世代以降の世代は、過剰な教育を打ち切られた。
どちらかというと移住計画に向けてどうこうって方針から、移住計画後スペアエデンでの活動や社会形成に役立つ人材を育てる方針に変わった。
まさにそれが私たちの世代だ。
ところが、これが中々の社会問題になってるところなんだけど。
人類は長らく、ブロッサム・ノアβが出航するまでの約二百年間をスペアエデンへ行って住めるようにするってとこに注力してきた。
まあそれが一番大事だから当然なんだけども。
ただ二百年も行くことに注力した結果、住めるようになった後のことについて考えられる大人が極端に少なくなった。
その後について考える余裕はなかったから、私たちより少し上の世代である超人世代の人たちですら0.3パーセントの不安要素のために育てられた集団なので。
スペアエデン到着後の進路や生活に具体的なイメージを持った人間が極端に少ない。
だから私たちのような、スペアエデン到着後から人生本番っていう世代は漠然とした新天地での社会生活ってふわっとしたもの目標に教育を受けている。
誰にもわからないことを何もわからない若者に教えている状態なのだ。
少しずつ空気を読んで「このくらいなら大丈夫」ってラインのメイクをして。
まあ「これくらいならみんなと同じ」って服を着飾って。
無駄話やら大衆娯楽を求めて、最近はホラー映画にハマってる。
そんな私たちが、なんでここにいるかって?
「……私にわかるわけないでしょ。そんなの」
私は一人、壁の問いかけに返した。
そこからアイラインを直して、私は学校へと向かった。
まあ完全に遅刻なんだけどね。
ただでさえ寝坊していたところに、アイライナーの救出とアイラインの直しがあったんだからもう全然間に合わないし間に合わせる気もさらさらない。
というか、行く気もなくなってきた。
どうせ行ってもAIによる基礎学習やら新地球史やら新社会予想シミュレーションやらをなんとなくやるだけだ。
半年の学生生活で、既にかなり飽きている。
友達に会いにいくって名目で行ってもいいけど、なんだろ単純に気分じゃない。
遅刻して行っても気にするようなクラスメイトはいないだろうし、教員ですら簡単な注意だけで終わらせるだろう。
今までの価値観では時間は何より重要とされて、如何に効率的に合理的に正確に物事を終わらせるかが求められてきたけど。
人類滅亡のタイムリミットはもうない。
新しい世代に時間を厳守することが果たして必要なことなのかどうかも誰も判断できないくらいに、誰も先のことをわかっていない。
あーなんか気が乗らない。
多分あの落書きのせいだ。
あの問いかけが頭の中をぐるぐると回って、なんか変な焦りが私の中でじわじわと嫌な感じが膨らんでいく。
なんかしたくなる。
何も出来ないし、何もわからないのに。
私がここにいる理由を、探してしまう。
「はぁ……ダルっ」
私は率直に今の気分を一番簡単に言葉にして吐き出してみる。
うん、サボろう。
そう決めた途端に身体が軽くなる。
何しよっかなー、都市階層って何でもあるけどまだ全然全部は回れてないのよね。
適当にメトロとかバスとか乗ってどっか行ってみようかな。
なんか湖みたいな大きさの池とか見たかったんだよね。あ、そうだ映画も見たかったんだ。
ここは体感として四年も暮らすことになるけど、ラストエデン到着後は都市階層を利用した都市部を中心に造った居住区域や新たに町を作って住むことになる。
もしかすると別のブロッサム・ノアβの都市部の近くに住むとかも有り得るし、今のうちに色々と見て回っておこう。
そうなったらもう今日は遊びモードだ。
早速無料レンタルのモーターアシストの自転車を借りて、学校ではなく駅に向かう。