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 こんなものがあらゆるセンサー類を潜り抜けて、亜光速航行するこのブロッサム・ノアβ内に存在しているなんて。


 一体どうやって……。


「多分……まだ正確な検証をしたわけじゃあないけど――――」


 呆気にとられる僕に対して、ヤスダは仮説を立てて語り出す。


 まず大前提として、マザーの演算を超えうる何かによってこのほぼ無重力階層内のどこかで極微量の水漏れを起こしている。

 漏れ出た水は真空のため凍り付き氷の粒となってほぼ無重力の環境を漂った。

 そして縮退炉の重力にゆっくりと引かれて、一箇所に集まった。

 氷の粒が積み重なる際の摩擦によって、氷の粒は一瞬溶けては再び凍り付きを繰り返して少しずつ大きな氷となった。


 少しずつ、少しずつ。

 地球から飛び立ってからの二百年の間に、氷は育ち続けた。


「――――って感じかな…………いやまあそれしか考えられないからそれしか考えなかっただけの仮説なんだけどね」


 ヤスダはあらかた語り終えて落ち着きを取り戻して続けて。


「それに今確認したけど、ここら辺のセンサー類がいくつかなくなってる。どうにもマザーが航行中の最適化の一環で不要と判断してセンサー類に使われていたアン・ドゥ・メタルを他に回したみたい。そもそも絶対に水漏れをしないことを前提にしていたから、この場所のセンサー類は不要と判断したのかもね」


 補足するように巨大な氷柱が見つかってなかった理由について述べる。


 なるほど、最適化でアン・ドゥ・メタルを動かしたのが想定外の悪さをしたのか。


 二千五百光年を亜光速で航行するブロッサム・ノアβは小惑星群くらいなら平気でぶつかって進む。

 アン・ドゥ・メタルの破壊不可外装とマザーによる航路演算や亜光速エンジンによる推進力があれば基本的に問題はないが、それでも微妙に歪んだり曲がったりするのでマザーの演算によって自己修復と最適化のためにアン・ドゥ・メタルへ情報を与えて変化をさせる。


 二百年の亜光速航行で、思っているより外装にダメージがあったのかもしれない。

 おおよそ納得は出来た。まあ、そもそも何故水漏れを起こしていたのかは依然として不明なままだが。


 とりあえず。


「よし、可能な限りこの場の観測を行う。マザーなら氷の形状や状態から水漏れ箇所の特定まで行えるはずだ」


 僕は頭を切りかえてそう言ってから、氷柱を多角的に観測していく。


 これもこれで大仕事だ。

 氷柱にぶつかったり、推進剤などで衝撃を与えたら砕けたりしてしまうかもしれない。

 そうなるとほぼ無重力状態のなかで散らばって、散らばった氷塊がさらにぶつかって細かく砕けてっていう船内で小さなケスラーシンドロームが起こってしまうことだって有り得る。

 散り散りになった氷が縮退炉にまでたどり着いてしまった場合、ヤスダの言っていた0.3パーセント未満の悪夢が起こってしまう。


 ここからはさらに繊細に緻密に、地味だが今日一番の山場だ。

 ここで気を抜いたら本当に、人類が滅びる。

 目の前にある氷柱は人類滅亡爆弾に等しい、そんな危険物を相手にAIによる回収や改修が行えるようにするデータを収集しなくてならない。


 大昔のSF映画ならきっと、この氷を爆破したり砕けた氷から如何に船を守るかだったり氷の中から謎の生命体が飛び出してきてとかそんな見せ場があるんだろうけど。


 水漏れ自体がこれ以上ないトラブルなのに、重ねてそんな大立ち回りなんかしていられない。

 堅実に現実的に、僕はトラブルを解決する。


 超人世代の首席に、ロマンチストは座れない。


「……おっけ、ビリィ。十分データは取れた、後はこのデータをマザーに共有して解決と改善をしてもらう。お疲れ様ね、めっちゃかっこよかったよ」


 ヤスダもやや疲れ気味に、データを取り終えた僕にそう言った。


「了解、このまま重力制御階層まで戻してオートマトンのコントロールをAIに切り替える」


 僕はそう返して、最後まで気を抜かずにオートマトンを片付けた。


 そこからヤスダと僕は、収集したデータと仮説などをまとめてマザーへと報告。

 マザーはAI制御のオートマトンによる氷の回収と、アン・ドゥ・メタルによる水漏れ確率のある箇所の補強。

 センサー類の増強、改善と改修。

 今回のケースについて、他のブロッサム・ノアβに共有。


 これにて、ブロッサム・ノアβ水漏れ事件は一応の解決を見た。


 だがそもそもの水漏れ原因の特定には至らなかった。

 まあ、もしかすると構造上漏水の可能性が考えられるというか設計の段階から亜光速で航行しているうちに感知すらできないほどの微量の歪みが重なった結果というのもある。


 センサー類の増強とパイプラインや設備の補強で、対応していくだけで十分だろう。


「……ふぅ――――――――――――っ」


 僕は大きく息を吐いて、椅子の背もたれに体を預ける。


 終わった、疲れた。

 久しぶりに操縦桿を握りすぎて、手が震える。


 実は十一時間ぶっ通しでオートマトンを操作していた。

 その後二時間報告用のデータをまとめていたので、昼食を取ってからヤスダとのデートを夢想していたところから考えると十四時間以上……そろそろ朝の時間だ。

 ヤスダは先程眠りについた。デートの相談はまた今度だな。


 まあこの程度はヤスダも僕も長時間任務には入らない、三日三晩くらい続ける気ではいた。

 ヤスダが優秀すぎるのとオートマトンの性能が良かったのもあってかなり早く終わった。

 だからこれは早く終わらせた分の疲れだ。


 震える手でとっくに冷めきった紅茶を流し込む。


 あー……なんだろ。

 ダメだ、もう堪えられない。


「……たっ……………………のしかったぁぁぁ…………っ」


 僕は一人、震える手を握りしめて皮一枚下に封じ込めていた興奮を吐き出す。


 楽しかった。

 最悪の場合、縮退炉が吹き飛んで爆縮によって生まれたマイクロブラックホールによって人類が滅亡するようなことが起こっていたのに。


 不謹慎だけど、最高の時間だった。


 報われた気がした。

 超人世代として駆け抜けてきた日々が。


 無駄に完成した超人が、やっとその役目を果たすことが出来たんだ。

 競わされ蹴落としてきた同年代の人々にも、顔向け出来る気すらしてくる。


 僕は今日、人類滅亡の危機を未然に防いだよ。

 君たちを蹴落として行った、超人はちゃんと責務を果たしているよ。


 僕の中の、0.3パーセント未満の悪夢は消え去った。

 さぞ夢見も良く寝心地のいい快適な睡眠が取れることだろう。


 まあ仮眠を取った方が良いと分かってはいるけど、興奮で寝付けない。

 幸い眠らない訓練も受けている、晩くらいまでなら大丈夫だろう。


 とりあえずもう朝だ。

 日課であるカレンダーへのバツを書こう。


 デスクから立ち上がって棚上のカレンダーにペンを向けたところで。


「あっ‼ …………はあ……」


 ペンを棚の裏に落として思わず声を上げてしまう。


 疲れて手が震えていたのと指紋がないのも相まってまたペンを落としてしまった。

 連日で同じミス……、オートマトン操作中じゃなくて良かった。


 仕方ないので、昨日と同じく露出した芯が乾いていくだけの可哀想なペンを棚を動かし救い出す。

 実はこれも、僕らが受けてきた教育の成果だ。

 資源は大切にって一日八回は聞かされていたから、ブロッサム・ノアの建造で膨大な資材を使うために無駄は許されないと教育されていた。


 どんなにめんどくさくても、たかがペン一本も見捨てることが出来ない。


 棚を動かしペンを取ったところで。


 Why are you here?


 僕は再び、壁から問いかけられる。


 そうだった……いや昨日の今日で忘れてはないけども。

 考えるのを忘れていた。

 …………いや、考えるまでもないか。


 僕はそのまま百年前の問いかけに対する答えを壁にペンを走らせて返す。


 for people in the society!


 


 僕は結局、これでしかここにはいられないんだ。


「……さて、と」


 僕はそう呟いて、カレンダーにバツ印を入れて紅茶を淹れに台所へと向かう。


 また一日が始まる。

 まだまだ宇宙の旅は始まったばかりだ。


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