「やあやあ、お二人さん。奇遇だねー」
出航してしばらくすると、甲板にいたテオドール達のもとにミレーナがやってきた。その傍らには、やはり付き人の青年が一緒にいる。
どちらかといえば、主人を見張っている雰囲気ではあるが、青年も相当振り回されていた。次の予定が書かれているメモを眺めつつ、どう調整したものかと頭を悩ませている。
そんな付き人の気苦労など何処吹く風。むしろ、商人に急な予定変更はつきものだとばかりに、次の予定を口にした青年をミレーナは軽くあしらった。
「すごい嵐が来たのに、すぐ晴れたって聞いてね。こいつは何かあるなと思って、戻ってきちゃった」
何ともマイペースなことを言うミレーナに、テオドールとシェリアは互いに顔を見合わせた。
もしかして、何か起きたのではないかと駆け付けてくれたのかもしれない。
とはいえ、聞いたところできちんと答えてくれるタイプではないくらい、既に知っている。
「プラタナスに行きたいのだが、どのルートが一番早いだろうか」
知っている港でいえば、ネリネくらいしかない。
そこから陸路を使って街道を進めば辿り着けるが、今は少し気が急いている。
テオドールが問いかけると、ミレーナは目を丸くした後でにんまりと笑みを浮かべた。
「ははーん、目当てはロサルヒドだね?」
そう言うと、付き人の青年に軽く手を振る。
言葉もないのに意味が分かったらしい青年は甲板の端に置かれた木箱の上に、大きな地図を広げてくれた。
「白百合の丘には船じゃ近付けないよ。けど、ここ。この小島に寄せてあげるから、そこから小船を漕いで行きな」
最初にプラタナスと書かれた場所を示したあと、ミレーナは海をなぞって小さな島を示した。
見落としてしまいそうなほど、小さな小さな島だ。島と呼ぶことが正しいのかどうかも謎だった。
「行けばすぐにわかると思うけど、ここに小屋があってね、そこの地下が海と繋がってるわけ。そこから小船が出せるから」
地図から視線を持ち上げたミレーナは、シェリアを見て、そしてテオドールへと視線を転じた。
テオドールは地図を見つめたまま、「人はいるのか?」と問いを口にする。
こんな場所に人が住んでいるとは思えないが、念のための確認だ。
案の定、ミレーナはゆるりと首を横に振った。
「そりゃあ、ま、昔は人の出入りもあったけどね。住んでる奴はいないよ」
「……そうか。小船が使えない場合は、他にルートがあるのか?」
「ううーん。ちょっと厳しいね。小船がダメになってたら、ネリネまで戻った方がいいね」
少し前屈みになっていたミレーナが姿勢を元に戻すと、付き人の青年はまだテオドールとシェリアが地図を見ていることを気にした。すぐに片付けようとはせず、風が跳ね上がらないように手で留めてくれている。
「まあ、でも、大丈夫だよ。ここは秘密基地だからね」
「秘密基地……?」
ミレーナの言い方に、シェリアは地図から外した視線を彼女へと向けた。
テオドールもまた、不思議そうにミレーナを見ている。
「そう。"魔法使いの遊び場"って呼ばれてた場所でね。今は誰もいないけど、ま、小船くらいなら無事に残ってると思うよ」
ミレーナがちらりと視線を送れば、青年は静かに頷いて地図を巻き取り始めた。
覗き込んでいた姿勢を戻したシェリアが、テオドールを見上げる。
おそらく同じ疑問を抱いたのだろう。
そう察したテオドールは、シェリアに頷きを返してからミレーナを見遣った。
「……魔法使いに詳しいのか」
魔法使いの遊び場──。
プラタナスの大聖堂図書館で、あれほど書物を漁っても出てこなかった単語だ。
それが、こんなにも身近にあるとは、にわかに信じがたい。
とはいえ、ミレーナが嘘をつくメリットもなさそうだ。
「詳しいってほどでもないよ。商人は知識が命なのさ──今日はいい風が吹いてるからね。そこそこ早く着くんじゃないかな」
途中で話を変えたミレーナが海へと視線を投げた。
自然とシェリアもそちらへと顔を向ける。
確かに今日は風が強い。しかし、嵐の気配が残っているといえるほどではない。
ネリネに寄港したはずのガウラ号が戻ってきた理由を詳しく知りたかったものの、テオドールは問わずに肩を竦めるに留まった。
ミレーナもまた、魔女を探していたという。
それならば、何かしら目的や狙いがあって動いていると見て良いだろう。
そもそも魔女に関わる話であれば、深入りされたくない事情があったとしてもおかしくはない。
「──ああ、船室はそのまんまだから。同じとこを使ってくれて大丈夫だよ」
「……すまない」
「いいってことよ。たまには善行積んでおかないとね。ああ、それと──」
ぐるりと周囲を見回したミレーナは、ゆったりとシェリアを見つめた。
そして、その銀の瞳を数秒ほど眺めたあと、ふ、と笑みを浮かべる。
「──……ナルサスのことは気にしなくていいよ。もう船にはいないから」
その言葉にシェリアは少し戸惑った。
テオドールもまた困惑気味に眉を寄せる。
ふたりのそんな反応をミレーナは明るく笑い飛ばした。
「ははっ、別に罰したわけじゃないよ。反省すればそれでいいんだから。目的地に下ろしただけだよ、安心しなって」
ひらりと手を揺らしてシェリアの頭に触れたミレーナは、その柔らかな髪を梳くように撫でた。
シェリアの長い銀髪は、ミレーナにとってお気に入りだ。こんなにも美しいものを恐怖の対象に、あるいはおぞましいものとして見てしまうのは勿体ない。
付き人の青年に耳打ちされたミレーナは、シェリアから離した手を振って「じゃ、またあとで」と背を向けた。
甲板の反対側に集まっていた商人達のもとへ彼女が向かえば、すぐさま取り囲まれてしまう。やはり、忙しい合間を縫って時間を作ってくれているのだろう。
テオドールはシェリアを促すと、船室へと向かった。