目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
災厄の金に浄化の銀 4


 孤児院で一晩を明かした翌日。

 イクセロンの情報通り、船は確かに昼過ぎには港に到着していた。

 ただ驚いたのは、港にいた船がガウラ号だったことだ。


 つい先日発ったばかりだったというのに、どうして戻って来たのか。

 ミレーナの姿は見えないものの、タラップのあたりに付き人の青年の姿は確かにあった。彼がいるということは、やはり主人であるミレーナも同乗していると見て良いのだろう。


 乗船手続きのために船のもとへ向かったテオドールの代わりに、カディアンがシェリアの傍に立った。


「シェリア」

「うん。どうしたの?」

「いや、あの……」


 その小さな手を握って話しかけたまでは良かったものの、カディアンはそこで言葉を濁した。

 甲板上での出来事について、きちんと謝りたかったのだ。

 しかし、あのことを思い出せたいわけでもなくて、どうしたものかと眉が寄ってしまう。


「……守れなくて、ごめんな」


 やがて唇から漏れたのは、そんな言葉だ。

 船の上でも、孤児院の中でも、自分は彼女を守れなかった。誰かに責められたわけではない。それでも、カディアンとしては、やはりそのことが気になっていた。


 しかし、シェリアは少し驚いてから、ゆっくりと首を振った。


「ううん……迎えに来てくれて、ありがとう」


 シェリアが微笑んでそう言うと、カディアンは驚きに目を見開いた。

 あんなに危ない目に遭わせてしまったのに。

 彼女はそれを責めるどころか、礼を言ってきたのだ。

 カディアンの思考が軽く混乱する。


「それに……みんなに、お話もしてくれたでしょう? 私ね、すごく嬉しかったの」


 ゆったりと言葉を口にしたシェリアは、本当に嬉しそうに微笑を深めていく。


 その笑みを見て、ああ、そうだ──と、カディアンは思い出した。

 この子はこういう子だった。

 だから、好きになったのだ。

 だからこそ、守りたくなったのだ。

 大切にしたくて、辛い思いをさせたくなかった。


 手続きを済ませたらしいテオドールが、彼女を呼んで手を上げる。

 カディアンは、シェリアの手を離したくなかった。しかし、それでは彼女を困らせてしまう。彼女は彼と、テオドールと行くのだと決めたのだから。


 ゆっくりとカディアンが手を離すと、シェリアは静かに歩き出した。


 その後を、カディアンも追う。

 連れて帰りたかった。

 連れ帰って、今までのように過ごしたかった。

 そんな気持ちを、今は隠して、出そうになった言葉を喉の奥へと押し込む。


 タラップのもとに辿り着くと、シェリアは「またね、カディ」と手を振った。

 それから、カディアンの後ろへと視線を向ける。

 カディアンが振り返ると、背後にはイクセロンが立っていた。


 背の高いテオドールとイクセロンが言葉を交わす間、カディアンはじっと彼女を見つめる事しかできない。

 声を掛けたかった。


 行かないで。

 危ないから。

 ここに残って。

 いっしょにいよう。


 だが、そのどれも違う気がした。確かにずっとそう思っていたのに、本心ではないような気がしてしまう。

 カディアンは少し迷った。

 迷いに迷って、テオドールとシェリアがタラップを上がり始めても、まだ悩んでいた。


「──テオドール!」


 やがて、とうとう彼女が船に上がってしまった時、カディアンは声を張り上げた。

 彼女ではなく、テオドールの名前を口にする。


「シェリアを、シェリアを頼んだからな!」


 無事に戻って来てほしい。

 彼女だけではなく、テオドールも、だ。

 そうでなければ、きっとシェリアが傷付いてしまう。


 カディアンの大声に驚いたシェリアが、隣のテオドールを見上げる。

 テオドールもまた、意外がっている様子でいたものの、ほどなくして腕を大きく持ち上げた。





 やがて、船は波と共に港から離れ始めた。

 少しずつ離れていく船を見送るカディアンは、まだ少し物言いたげな様子でいる。

 手を振るシェリアの姿は、まだ見えていた。

 僕も乗せてくれと言いたかった。

 でも、言えないのだ。カディアンは、自分がテオドールがそうしてきたように彼女を守れないと知ってしまった。


「行くなとも、戻って来いとも言わないんだな」


 船に向かって──彼女に向けて振り続けていたカディアンの手が止まる頃、イクセロンが小さく笑った。

 銀の女神を飾ったガウラ号が、少しずつ少しずつ離れていく。

 カディアンは少しばかり迷ってから、肩を竦めて腕を下ろした。


「……言えないよ、今のままじゃ」


 行って欲しくない。だが、行くなと止められない。

 戻って来てほしい。でも、戻れとは言えなかった。


 止めてくれなかったのはイクセロンも同じだ。

 彼女が孤児院を出ることに、少しくらい反対してくれても良かったのに、と。

 カディアンは少し責めたい気持ちになった。

 しかし、彼女が魔女について知りたがっていることだって分かっている。

 それが危ないことだと理解した上で、彼女はテオドールと共に行きたがっているのだ。


「……だから、迎えに行く。どこにいても、見つけ出すよ」

「ははっ、そいつはまた」


 頼もしい限りだな──と。

 イクセロンは、カディアンの背を叩いた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?