イクセロンの部屋から出て廊下を進むと、先ほど通りかかった際にはひと気がなかったホールに子ども達が集まっていた。その中でも特に年少の小さな子達が、わらわらとシェリアを取り囲む。
「わるいのやっつけにいくのっ?」
「シェーちゃん、すごいっ」
「カディから聞いたぞ!」
「いいなー、お船! いいなぁー」
子ども達が次々に言葉を口にする中、シェリアは困ったように手を伸ばした。
そして、小さな頭を一人ずつ丁寧に撫でていく。
彼女を囲む子ども達が作った輪の外側で、カディアンがそれを眺めている。
その様子に気づいたテオドールは、静かにそちらへと足を向けた。
「……そういうことにしてくれたのか」
何と声を掛けるべきか。
テオドールは少しばかり迷った。
しかし、カディアンは笑みを浮かべて「本当のことだから」と告げる。
「行くんだろ、シェリアと」
「……ああ。すまない」
「なんでテオドールが謝るんだよ」
カディアンは少し呆れた様子で肩を揺らした。
確かに、彼女を連れ戻すためにわざわざ海を渡ったのだ。そして、彼女を見つけることができて、こうして孤児院に連れ戻せて、安心したことも確かだった。
だが、甲板で起きた出来事のように、そして昨晩のように、自分では彼女を守れないともカディアンは思い知った。彼女を守るためには、力が必要だ。今の自分には、それが足りていない。
カディアンは騒いでいる子ども達をちらりと見たあとで、テオドールを見上げた。
「ちび達もそうだけど、大人達にも言っておく。シェリアがいつ戻って来てもいいようにさ」
彼女は、もうここで過ごしたいと思わないかもしれない。
だが、もしかしたら、帰りたいと思うかもしれないのだ。
その時のためにも、カディアンは自分がするべきことをしておきたかった。
「……そうだな。助かる」
小さな頷きと共に答えたテオドールは、子ども達に囲まれているシェリアを振り返った。
守り切れるかどうか。その迷いはカディアンに失礼だろう。守り切らなければならない。何があろうとも。
カディアンは、旅について来ないつもりのようだ。
わざわざ『行かない』とはっきりとは口にせず、ここで彼女がいつでも戻ることができるようにするのだと、そういう言い方をしたこと自体が彼なりの気遣いだろう。
「だから、次も無事に顔を見せろよ。テオドールもさ」
言葉に誘われてテオドールが視線を向けた先で、カディアンは笑った。あれだけ落ち込んでいたというのに、今はどこか吹っ切れた様子でいる。
その様子に安堵して、テオドールは僅かに頬を緩めた。
「けど、まあ、今日はちび達と遊ぶからな! シェリア、いいよなっ?」
「え? あ、う、うん」
「よし。じゃあ、出発はまたあとでってことで!」
シェリアが遊んでくれるとあってか。子ども達も嬉しそうな声を上げた。中には、勢い余って飛びついている子もいる。
「あとテオドールはケガしてたんだから、ちゃんと休めよ。──あっ、こら! シェリアが転ぶだろ!」
びしっとテオドールに言い放ったカディアンは、シェリアが押されている様子に気が付いて、すぐさまそちらに駆け寄った。
わいわいと騒ぐ様子を数秒ほど眺めてから、テオドールは静かに歩き出す。
一室だけの客室を占領していることは申し訳なかったが、ここにはそうそう外部の人間は来ないらしい。
いずれにしても、次の船が来るまでアジュガからは動けない。
わざわざ険しい山道を進むよりも、海を渡った方がいいに違いなかった。
イクセロンも何かを知っているようだったが、あれ以上の情報はくれないだろう。
そうなれば、やはりアドバイス通りにロサルヒドの洋館を訪ねた方が早いところか。
廊下を歩きながら考えていると、ふと握ったままの地図に意識が向いた。
丸めて筒状にしてある地図は確かにロサルヒドからもらったものだ。
これを見ただけで、そうだと分かるほどに彼は有名なのだろうか。
イクセロンとロサルヒドの関係を聞きそびれたと分かって、自分の疲労を自覚した。本調子ではないのなら、カディアンの言う通りきちんと休んだ方がいいだろう。
ひとまずもうひと眠りしようと、扉に手を掛けた。
「……」
そんな自分のすぐ後ろを子ども達が駆け抜けていく。そちらに視線を誘われた。思い思いに楽しんで生きている子達だ。親がいなくとも、親代わりの職員たちに守られて成長している。
廊下に響き渡る笑い声にテオドールは眉を下げた。
魔女は──討たなければならない。
何があったとしても、どのような危険があるとしても、だ。
そうしなければ、故郷と同じ悲劇がどこかで、あるいはここで、繰り返されるかもしれない。
彼女に何か影響はないかと考えてしまえば、その決心が鈍りそうだった。
彼女を連れて逃げ出してしまいたい衝動に駆られてしまう。
扉を開いて室内に入り込んだテオドールは、そこで思考を打ち切った。