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災厄の金に浄化の銀 1



*



 裏切られたの?

 かわいそうに。



 信じたりするからよ。



*







 晴れ渡った夜の森は、それでもやはり暗かった。テオドールがシェリアを抱えてイクセロンと合流を果たして森を後にした頃も、周囲は異様に静まり返っていた。

 異形の狼も炎も、そして魔女ですら、幻だったのではないかと思うほどだ。


 孤児院で一夜を明かしたテオドールとシェリアは、翌朝になってイクセロンの部屋へと呼ばれた。呼びに来たのはカディアンだ。

 だが、彼は一緒に来る様子もなく、早々に立ち去ってしまった。

 ガウラ号の甲板上で起きた出来事で、彼がひどく落ち込んでいることをテオドールは知っている。あれほど守りたがっていた彼女を守れなかった経験は、彼の自尊心をひどく傷つけたに違いない。

 だからこそ、シェリアの姿がなくなった時、すぐさま自分に頼って来たのだろうと思えた。


 シェリアを連れてイクセロンの部屋へと向かう間、テオドールは自分達に向けられるいくつかの視線に気が付いていた。

 大人達から向けられるのは、あまり心地が良いとは言えない視線だ。

 しかし、その度にテオドールは彼らの目を見て頭を下げた。

 何も後ろめたいことはない。

 彼女がどのような力を持っていたとしても、彼女は決して魔女ではないのだ。


 孤児院の奥まった場所に位置する一室。

 扉の前に辿り着くと、シェリアはどこか緊張した様子で足を止めた。

 無理もないだろう。昨日の出来事自体、彼女はまだ飲み込めていない。

 シェリアの様子を見下ろした数秒後、テオドールは軽い力で扉を叩いた。何を言われるのか、テオドールにも想像はつかない。


 ノックから数秒後。

 軽い足音が扉越しに伝わったと同時に扉が開かれた。


「──朝からすまないな」


 出迎えたのは、イクセロン一人だった。

 テオドールは他の職員もいるかもしれないと思っていたが、そうではないらしい。

 会釈をしてから彼女を先に部屋へと入れ、一度廊下を振り返ってから後ろ手に扉を閉じた。


「腕……」


 シェリアの呟きに反応してテオドールが顔を向ける。

 椅子に腰掛けたイクセロンは、右腕を骨折してしまったようだ。

 首に回して引っ掛けた白い布で腕を吊り下げている。

 そういえば赤黒く腫れ上がっていたのだと思い出して、テオドールは思わず眉を寄せた。


「ああ、これか。んー、まあ、張り切りすぎたかな」


 笑ったイクセロンに促されて、テオドールはシェリアと共にソファへと腰を下ろした。

 シェリアには、昨晩の記憶がほとんどないらしい。覚えているのは、森の中で、炎の中で、テオドールが駆け付けた後のことばかりだという。

 そんな彼女の不安はもっともだ。


 緊張している少女の手を握った青年の様子に、イクセロンは目を細くした。


「何事もなければとは思ったが、どうもそうはいかないようでな」


 そう告げるイクセロンは、少し言葉に迷っている様子だ。

 何から言ったものかとイクセロンが考えている間にも、次第に緊張を重ねてしまっているシェリアを見たテオドールは、緩やかに首を振った。


「シェリアは、魔女ではない。──そうだろう?」


 テオドールの言葉を受け、イクセロンはゆっくりと頷いた。


「ああ、違う。──だが、昨晩のことで確信した。無関係ではない」


 その言葉に、シェリアは息を飲んだ。

 小さな震えが生じた彼女の手を、テオドールが強く握り返す。

 無関係ではない──確かに、そうだと思えた。魔女の様子からも、彼女と何らかの関係があることは窺える。どの程度なのか。どういった繋がりなのか。深い部分については、まだ分からない。


「何故、そう思ったんだ」


 シェリアが言えない問いを、テオドールの口が放った。

 ゆっくりと椅子から立ち上がったイクセロンは、部屋の奥にある机へと向かう。

 その途中で振り返って、彼は言った。


「私が魔法使いの生き残りだから」


 その言葉に今度は、テオドールとシェリアが揃って息を飲んだ。

 ならば、魔女のことを知っているのか。知っていて、彼女を男達に引き渡したのか。


 喉に引っ掛かった問いは、声にはならなかった。辛うじて、形にはならず腹の底へと落ちていく。

 いずれにしても、責める言い方になってしまう。今は、少なくとも今はそうやって責め立てることは得策ではないだろう。


「――というのは、冗談だ」


 にんまりと笑ったイクセロンは、まるでふたりが緊張したことを面白がっている様子でいる。何を言い出すのかと肩から力を抜いたテオドールに反して、シェリアはまだ戸惑っていた。


「魔法使いは血筋だ。だが、魔法を扱う才能があるかどうかは、別の話でな」


 雑談のような軽い口振りでイクセロンが言ったそれは、ロサルヒドの話と重なった。不可思議さを覚えるテオドール達の正面に戻って来たイクセロンが、古い地図と玉を取り出してテーブルに置く。


 それは昨晩、役に立たないと感じてテオドールが孤児院に置き去りにしたものだ。


「プラタナスのロサルヒドに会っただろう? こんなものを持っているのは、あいつくらいなものだ」


 そう言って、イクセロンは再び椅子に腰を下ろした。

 片腕を骨折している割に、そのことを気にもしていない様子だ。


「知っての通り。あいつは、そう簡単に魔法道具を渡すような性格はしていない」


 テオドールはちらりとシェリアを見た。

 シェリアもまた、困惑気味にテオドールを見上げる。


 確かに単なる親切心で魔法道具をおいそれと渡すようなタイプではないだろう。

 白百合の丘にいた魔法研究家が変わり者だとは、花の街でも聞いた話だった。


 テオドールが頷きで肯定を示すと、イクセロンは笑みを浮かべた。


「詳しくは、あいつから聞いて欲しいが――とにかく」


 ぱん、とイクセロンが膝を打つ。

 骨折のために手を叩けないからだった。


「シェリアは、魔女と何らかの関係があるはずだ。きっと――魔女退治に、シェリアは必要な存在になる」

「……連れていけということか?」

「ああ、その方がシェリアも安全だ」


 ここでは満足に守ってやれない、とイクセロンは残念そうに告げた。

 孤児院では他の子ども達や職員の安全を確保する必要もある。万が一の場合に備えるにしても、限界があった。


「テオドール。君にも、魔女退治にも、その子は必要だ。そうではないか?」


 イクセロンの問いに、テオドールは彼女の手を握り直した。

 全く悪戯な問いだ。


「それに」


 イクセロンは更に言葉を続けた。


「金の魔を討つのは、浄化の銀と決まってるからな」

「……銀の女神の話か」


 テオドールは僅かに眉を寄せた。

 浄化の銀。

 だから、あの時、炎が凍り付いてしまったのだろうか。

 それを結び付けるには、まだ根拠が足りない。

 急いで出した結論は、大抵誤っているものだ。


「女神の伝説には詳しくないが……そもそも、銀と金は表裏一体だ。月と太陽のように引き合う」


 イクセロンの言葉に、シェリアはゆっくりと目を瞬いた。

 自分と魔女が、という意味だろうか。そのことはシェリアを不安な心地にさせた。


 シェリアの不安を察してか。テオドールは、その小さな手を離さずに握ったままだ。


「滅びた我が家の言い伝えに、魔女が出て来るんだ」

「……魔法使いの家系なのか?」

「まあまあ、そこは触れないでくれ。私は恥ずかしいんだ」


 テオドールの確認に対して、イクセロンは肩を竦めた。

 そして、肘掛けに腕を置くなり頬杖をつく。


 イクセロンは、魔法使いの血筋でありながら魔法が使えなくなった末裔なのだろう。そう理解したテオドールは、小さく頷いて話を促した。


「魔はひとり。影はふたり。──鏡は、ふたりを平等にする」


 目を伏せたイクセロンは、文字をなぞるように言う。


「目覚めた瞳が憎悪に染まるなら、銀の光で包むより他にない」


 それは随分と古い言い伝えだった。

 荒れ狂った災厄を鎮めたものが何だったのか、あるいは誰だったのか。

 イクセロンの故郷では人の名前では伝えられていない。ただ、それは"銀の光"と呼ばれていた。


「銀の、光……」


 その言葉でテオドールが思い出したのは、昨晩渡された剣のことだった。失ってしまった自分の剣の代わりに腰から提げたままになっているそれを、ちらりと見遣る。


「ああ。昨晩言った通り、それは君にあげよう。私が持っていても仕方がないんだ」

「だが……」

「いい、いい。私が持っていても、満足に使えないからいいんだ。使われてこその道具だろう?」


 意図的なものなのか、それとも偶然か。

 イクセロンは、ロサルヒドの言葉をなぞるように言う。ロサルヒドもまた、道具は使われてこそだと言っていた。


 ゆっくりと肩から力を抜いたテオドールの目は、自然とシェリアに視線を転じる。

 鏡は、ふたりを平等にする。

 彼女は魔女が、表裏一体の関係だとしたら。


 魔女を殺したとき、彼女シェリアはどうなるのか。


 テオドールに見つめられたシェリアは、少し困惑気味に眉を下げた。

 まだ頭の中で情報がきちんとまとまっていないからだ。


 イクセロンはそんなふたりの様子を眺めながら、静かに微笑んで言った。


「もう一度、ロサルヒドに会うといい。きっと奴も待っている」

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