嵐の中で孤児院に駆け付けたテオドールは、建物の窓が割れている様子に眉を寄せた。一階部分の、とにかく見える範囲の窓がすべてやられているようだ。
それも揃って内側から弾けたように割れている。
この激しい大雨だというのに部屋が使えないとあってか、玄関から入った先のホールに子ども達は集められていた。ほとんどの子がパジャマ姿だ。時間から考えて、就寝していたのだろう。
枕を抱えて怯えている小さな子を、年長の子が抱き締めている。
中には雷が怖くて泣いている幼児もいて、それを宥めているのもまた子どもだ。
それぞれに助け合って、この異様な状況を耐えようとしている。
大人達は対応に追われているようで、ひどく慌ただしい。
他にいなくなった子はいないか、被害は窓だけか、どの部屋がどうだとか言葉を交わしている。
ホールの窓には木製の雨戸が取り付けられているが、二階の部屋はどこもそれがないらしい。ひとまず板を打ち付けて、これ以上の雨が入り込まないようにするしかない。
カディアンの案内でホールを抜けたテオドールは、シェリアがいたはずの部屋を覗き込んだ。吹き荒れる雨風が入り込んで、ガラスの割れた窓周辺が濡れている。
異様なのは、窓枠がひしゃげて焦げたようなニオイが周囲に漂っていることだった。これほどの強い風が吹きすさんでも、そのニオイは流されていない。
「いったい、何があったんだ……」
飛び散ったガラスが散乱している床を見下ろしたテオドールは、そこに獣の足跡を見つけて目を見開いた。
靴裏でガラスを退けてよくよく見れば、足跡の形で床板が焦げ付いている。
「あっちこっちの部屋の窓が割れて、すぐにここに来たんだ。でも、シェリアがいなくて……」
「彼女は確かにこの部屋にいたのか?」
「それは間違いないよ! 部屋の前で別れたんだ」
こんなことなら今夜は自分の部屋に呼べば良かった──そう思ったところで、もう遅い。不安げに室内を見回すカディアンから視線を外したテオドールは、彼女が雷を怖がっていた夜を思い出していた。
今夜だって、不安な気持ちでいたに違いない。
窓から外を見ると、建物の裏手だった。
二階部分から彼女が飛び降りたとは考えられない。
もしこの獣の足跡がホンモノならば、室内に傷がないことが引っ掛かった。
「バケモノがきたんだよっ!」
急に声が聞こえて振り返ると、廊下から自分達を眺めている子ども達に気が付いた。五歳にも満たないような、まだまだ幼い子ども達だ。
「そーだよ、バケモノがきたの」
「ウーウーいってたよっ」
「オーカミみたいだった!」
子ども達が口々に声を上げる。
「見たのか?」
テオドールが扉に近付くと、職員の女性が「何してるの!」と怒鳴り声を上げた。
一番小さな子どもの肩に触れた女性は、眉を寄せてテオドールを見遣る。
まるで迷惑がっているかのようだ。
他の子ども達がわあっと散り散りになっていくと、女性は「待ちなさいッ、ホールに集まって!」と追いかけていった。
「……」
ざあざあと降りしきる雨が室内に入り込んでいる。
濡れたカーテンが重たげに揺れている室内を振り返り、質素な調度品を眺めた。
小さなテーブルも、その傍らに置かれた椅子も倒れていない。
あの子達が言うような、バケモノが暴れたと思わしき痕跡はなかった。
「カディアン!」
廊下から再び職員の声が響いた。
慌てたカディアンが「ここにいるよ!」と廊下に向かって声を出す。
そして、そのまま廊下へと出ていった。
それを追いかける形で廊下に出たテオドールだったが、職員に駆け寄るカディアンを追うことはしない。
廊下に置かれた低い棚は濡れていなかったから、その上にロサルヒドからもらった地図を広げた。そして、玉をその上に置く。しかし、玉はアジュガの上、それも街ではなくて山の上を示して止まってしまう。
孤児院のある地点から動いていないことくらいしか分からない。
部屋の見回りを終えて合流した職員が、廊下の奥でひそひそと話している声が雨音に混ざって届いた。
「……魔女を呼んだのかしら」
「やはり、魔女だったのでは……」
「子ども達が変なことを言うのよ」
「悪影響だな」
このような状況で気にするのはそんなことなのか。
テオドールは職員の大人達にひどく苛立った。
棚板を叩いて役に立たない地図を置き去りにして階段を駆け下りる。
そして、ホールを抜けるとすぐに外へと飛び出した。
建物の裏手に回ったのは、少しでも何らかの痕跡が残っていないか確かめるためだった。
「──……」
ぬかるんだ土の上に人の足跡はない。
だが、近くの壁や木々には焼け焦げた痕跡があった。
子ども達が見たように、バケモノが──魔物が来たというのだろうか。
あるいは、大人達の憶測のように、魔女が来たのだろうか。考えたところで何もまとまらない。
森に飛び込むと、建物裏まで追いかけて来たカディアンが「テオドール!」と声を上げた。しかし、今のテオドールは彼に構っている余裕などない。
続いて森に入り込もうとするカディアンだったが、後ろから腕を引っ張られて動きが止まった。
「――お前はダメだ」
振り返れば、イクセロンが立っていた。
腕を揺らしても振り払えない。
「だけど!」
カディアンは思わず食い下がった。
このままでは、シェリアがどうなるのか分からない。確かに森にいるかどうかも不明だが、いても立ってもいられなかった。
「ダメだ。カディアン。お前は、救う術を持っているのか?」
イクセロンの低い声に、カディアンは自分の無力さを責め立てられている気分になった。船の上で、甲板で、自分は何もできなかったことを思い出してしまう。
空が軋むような音を立てて光り、周囲一帯に雷が鳴り響く。
カディアンは、そんな空の下で、ただ首を振ることしかできなかった。