シェリアの言う応接室に通されていたテオドールは、しばらくソファに腰掛けて待っていた。廊下が時々賑やかになっては、また静かになる。
シェリア達の帰還は歓迎されているようで、子ども達がわらわらと集まっているらしい。
廊下が賑やかになる度に、また子ども達が集まって移動しているのだろうと思えた。
応接室へ辿り着くまでの間に見た印象では、子ども達の年齢はそれなりに幅広い。
カディアンの言う通り、ここで育って職員になるというのはよくある話なのかもしれない。
「──申し訳ない。待たせてしまったな」
やがて応接室に現れたのは、長身の男だ。扉とほとんど高さが変わらない。
ややクセのある黒髪にキレ長の翡翠の瞳。なかなかの美丈夫だ。
年齢は四十には届かない程度、三十代の半ばか、いっていたとしてもその程度のように見えた。
孤児院の責任者にしては若いなというのが、テオドールの抱いた印象だった。
ソファから立ち上がったテオドールに、男は手を差し出した。
「イクセロンだ。5年ほど前からここの管理を任されている」
「……テオドールという。今日は朝からすまない」
「いやいや、いいんだ。話は聞いている。シェリアと旅をしていたとか」
握手を交わしたあと、テオドールは促されるがままに再びソファへと腰を下ろした。その正面に座った責任者──イクセロンは、見た目の厳めしさに反した穏やかな態度でいる。
「あの子達を送り届けてくれたことには感謝しているよ」
カディアンは止めても聞かないんだ、とイクセロンは困ったように笑った。
確かにあの様子では、多少制止されたところで飛び出していったことだろう。
テオドールは納得した様子で頷きを返した。
「それで、何か話があるんだな?」
ソファの背もたれに重みを預けたイクセロンは、翡翠の瞳を細めた。
笑うと目つきが鋭くなるタイプのようだ。
「ああ。……孤児について、記録などがないのか知りたい」
「ふむ……シェリアについて、か?」
「……ああ」
単刀直入に話を振ったテオドールに対して、イクセロンもまた遠回しな言い方はしない。
「生憎だが……ここに来る以前については、記録がない子が大半だ」
「……シェリアもそうなのか」
「そうだ。確か、赤ん坊の頃に捨てられていただとか」
顎先に手を当てて考え込む仕草をしたイクセロンは、軽く眉を寄せた。
「確かに……場合によっては身元を明かせない出自の子もいるが、シェリアがそうだとは思えないな」
「……そうなのか」
イクセロンの言い方に、テオドールは僅かに眉を寄せた。
それは、彼女の記録は隠す必要があるわけではなく、単に残っていないという意味なのか。それとも、明かせないということを遠回しに伝えているのか。
判断がつかなかったかせだ。
「そう勘繰ってくれるなよ。私だって意地悪をしているわけじゃない」
イクセロンは、テオドールの様子を見て軽く笑った。
「それを聞くということは、あの子の事情も知っているんだな?」
「……ここから出た経緯は聞いている」
それどころか、テオドールは彼女を魔女だと誤認して襲ったことすらある。
彼女にそれ以上の事情があるとは思えなくてそう告げると、イクセロンは重々しく頷いた。
「魔女だ──と、言われてな」
テオドールが事情を知っていると分かれば、イクセロンは特に隠すつもりもない様子であっさりと言い放った。
魔女。
その単語を口にされたことに、テオドールは眉間の皺を深くした。
だが、ここで彼を責めても仕方がない。
どうして守ってやれなかったのかと詰ったところで、どうしようもない。
ここの大人達だって、喜んで差し出した者などいないに違いない。
テオドールは、そう思いたかった。
そうでなければ、あれほど安堵した顔で大人達を見ていた彼女が報われない。
彼女を差し出した者がここにいることになってしまう。
彼女が信頼した者達がそのようなことをしたのだと思いたくなかった。
「……ところで、ここに銀の女神像はあるのか」
テオドールは魔女の話を切り上げて、別の問いを口にした。
それもまた、ずっと気になっていた事ではある。
「女神像?」
イクセロンは目を丸くした。
そして、ちらりと壁の方を見てから首を振る。
「……いや、敷地内にはないな」
「街にもないのか」
「港にはあるはずだ」
それがどうしたのかとイクセロンが小首を傾げると、テオドールは緩やかに首を振った。
魔女が訪れたというのに水都カラジュムは無事だった。
それは銀の女神の加護によるものか、それとも単なる偶然なのか。
その答えを求めたかったものの、やはり簡単には謎が解けないようだ。
「……時間を取ってすまなかった。ありがとう」
「いやいや、すまんな。ろくな答えにならなくて──ああ、テオドール」
立ち上がったテオドールを見上げて、イクセロンは少し思案げにした。
言うべきか言わざるべきか。
聞くべきか聞かざるべきか。
悩んでいる様子のイクセロンを振り返り、テオドールは足を止めた。
何か他に情報があるのか。そう思ったからだ。
しかし、ほどなくしてイクセロンは首を振った。
「……いいや、すまん。忘れてくれ」
その言葉にテオドールは引っ掛かりを覚えたものの、一礼をして部屋を後にした。
あまり詮索して警戒されてもよくない。
それに、シェリア達を置いていくのだ。よそ者である自分がことを荒立てるわけにはいかない。
廊下を進んでいくと、小さな子ども達が玄関から飛び出していく様子が見えた。
「走らないで」「待ってよー」と、それを追いかけていくのは少し年長の子ども達だ。
もしも魔女が彼女を狙ったのなら、ここが無事だとは思えなかった。
あるいは、彼女がもしも魔女と関係しているのならば、か。
「──……」
馬鹿げている。
テオドールは緩やかに首を振り、ゆっくりと息を吐いた。