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女神の加護を背にして 4


 平原の端でちらついていたランタンの灯りが林の中に消えていくと、テオドールは緩やかに息を吐き出した。わざわざ遠くまで薪を拾いに行ったということは、カディアンはしばらく帰らないつもりなのだろう。


 カディアンが戻れば、例えきちんと眠れていなくてもシェリアが馬車から出て来てしまう可能性がある。休んだ後であればいいのだが、そのあたりはなかなか信用できないところだ。


 もどかしさにテオドールは思わず溜め息を漏らしかけ、寸でのところで押し殺した。


「……」


 静けさに包まれている平原を見つめてしばらく。

 テオドールは、馬車の中にいるシェリアがいつまでも落ち着かないことを気にしていた。寝入った様子がないのだ。何度か寝返りを打っているらしく、眠るための姿勢は取っているようだが──。


「──……シェリア」


 ゆっくりと立ち上がったテオドールは、馬車へと距離を詰めた。

 幌に包まれた内側では、彼女がきっと身を小さくしているに違いない。


「……どうかしたのか」

「……ううん」

「眠れないのか?」


 あるいは、眠りたくないのだろうか。

 テオドールは、そっと幌に手をかけた。


「──テオ……」


 幌を開こうとしたその時、シェリアが小さな声でテオドールを呼んだ。

 やはり、何かあったのだろうか。

 自分が離れていた間に。


 僅かに眉を寄せたテオドールは、幌に触れた手を止めて様子を窺った。

 だが、紡がれた言葉は予想外のものだった。


「……夢を見るの」

「どんな夢だ」

「うまく言えないけれど、その、……怖い夢」


 曖昧な言い方をした彼女は、何を思っているのだろうか。


 そっと幌を開くと、シェリアは外套を抱き締めて寝袋に包まっていた。こちらに背を向けて、小さく縮こまっている。


 何の夢か──テオドールは、問いを重ねることができなかった。しかし、『ただの夢なら大丈夫だ』とも言えなかった。

 生々しい夢は、テオドール自身も度々見ることがあったからだ。現実と混同するような夢で、幾度も魔女と顔を合わせた。その度に恐怖心と怒りが巻き起こり、どうしようもないほどに感情が揺さぶられるのだ。


 彼女が、どのような夢を見たのかは分からない。

 だが、ただの夢だと、何ともないのだと、そう一蹴することはできなかった。


「……分かった。目を閉じて横になっているだけでも構わない。少しは身体を休めた方がいい」


 しばらく黙り込んだあと、テオドールはそっと言葉を落とした。

 もぞもぞと動いたシェリアが、寝袋の中で伏せる形になって彼を見遣る。


 数秒ほど、互いに見つめ合う時間ができた。

 ふたりとも、何を言うわけでもない。


 ただシェリアは、少しばかり安心したように頬を緩めた。


「……うん。そうするね、ありがとう。テオ」

「ああ。……きちんと休んでくれ」


 ゆっくりと幌を閉じたテオドールは、しばらくその場に留まっていた。

 あまり不安なことばかりを考えてしまうからだろう。だから、あんな夢を見てしまうのだ。そう思いたかった。


 彼女と魔女に何らかの関係があるのではないかと思う一方で、無関係であればいいとも願っている。


 シェリアは魔女ではない──だが、全くの無関係かといえば、やはり疑わしいのだ。矛盾ばかりを抱えている事がどこまでも女々しいと感じられて、テオドールは音もなく嘆息した。


 その時だ。


「夜這いか?」


 彼の背後では、いつの間にか戻って来ていたカディアンが首を傾げている。振り返ったテオドールは、随分と思考に没頭していたものだと苦々しさを覚えた。


「いいや、違う」

「だろうな」


 肩を竦めたカディアンは、集めてきた枝を火の傍らに置いた。


「……少し様子を見ていただけだ」


 言い訳がましいだろうか。

 テオドールはカディアンを気にしながら、火の正面に腰を下ろした。位置としては、ちょうど火と馬車の間だ。


「分かってるってば」


 ひそひそと小声で返したカディアンは、馬車が見えるようにテオドールの向かい側に腰掛けた。


「あの子は、アンタを信用してるんだ。見てれば分かるよ」


 そう告げたカディアンは、拾ってきたばかりの枝を火の中に押し込んだ。

 そして、火の粉が散る中、底に溜まった燃えカス達を枝の先で掻き分けていく。


 カディアンは、水都を発つ前から彼女の様子がおかしいとは気がついていた。だが、いくら問い掛けても、シェリアは大丈夫だと言うばかりで何も教えてはくれない。そのことがカディアンとしては、ひどくもどかしかった。


 頼りにならないのか。

 自分だって、何か力になれる。

 抱え込まずに教えてほしい。


 そうやって主張することは簡単だ。

 だが、それでは彼女を更に困らせてしまうだけだとも分かっている。


 シェリアが自分ではなく、テオドールを頼っていることだって知っているのだ。

 アジュガに連れて帰りたいのだと言って、自分が強引に引っ張り回している自覚もあった。


「……火の番をしておく。少し休んでおいた方がいい」


 そう言ったテオドールは、カディアンが拾ってきてくれた枝の山を見遣った。

 これだけあれば、一晩は持つだろう。


 カディアンは少し物言いたげではあったものの、結局は何も言わずに頷いた。

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