少しずつ日が傾き始めた空は穏やかだ。
そして街は相変わらず、清らかな水に包まれている。森の中で起きた火事の不穏さは、街には何の影響も与えていないかのようだ。
庭で遊んでいた子ども達の姿も声も遠く離れて聞こえなくなった頃、テオドールは口を開いた。
「……双子の、魔法使いの話だが」
「ああーっ、話が途中だったね」
ヘヴィックは話題の切り替えに抵抗はしなかった。
カップを置いて、改めて視線をテオドールに向ける。
「銀ではなかった双子の片割れは、どうなったんだ」
銀を抱き水を与えた月の女神。
そして、金を抱き火を与えた太陽の女神。
"月の女神"が命を抱くための水を注ぎ、枯れた大地を芽吹かせたというのなら──ならば、"太陽の女神"は一体何をしたのか。
テオドールの問いに、ヘヴィックは緩く小首を傾げた。
「太陽の女神ラ・アリーシェは、諸説あるんだよね。王家の守り神になったとか、王族の始祖になったとか」
「……それは、随分な存在だな」
神で王族。
確かに、それではあまりにも伝説じみていて、史実の一部とは思い難い。
もちろん、テオドールは王族など見たこともなかった。だから、かつてはそうだったのだと言われたところで否定するだけの根拠もない。
「まあ、ねぇ。月の女神が生命と平穏の象徴だとしたら、太陽の女神は富と繁栄の象徴かなぁ」
どちらも欠かせないものだよと言って、ヘヴィックは紅茶のカップを再び手に取った。しかし今度は口には運ばずに、半分ほど残った中身を揺らしている。
数秒ほど思案げにしたのち、ヘヴィックは室内に巡らせた視線をテオドールへと戻した。
「君って、魔法には詳しいかい?」
「いいや。詳しいと言えるほどではないが」
それがどうしたのかとテオドールが首を傾げると、ヘヴィックは紅茶のカップで壁を示した。示されるがままに視線を転じた先には、ひとつの絵画が掛かっている。
銀の額縁に彩られたその絵には、天から舞い降りた女性が若い夫婦に双子と思わしきよく似た赤ん坊を差し出す姿が描かれていた。
いや、差し出しているのだろうか。それとも、奪っているのだろうか。
天使と思わしき女性は赤い布に包まれた赤ん坊を抱き、若い夫婦は白い布に包まれた赤ん坊を抱いている。
赤ん坊を抱いた妻に寄り添う夫は、赤ん坊の顔を覗き込んでいるようにも、ふたりを何かから守ろうとしているようにも見えた。
「魔法が衰退した原因は知ってるかい?」
「……戦争だろう?」
その程度のことは歴史に詳しくない者でも知っている。一般常識の範囲だ。
絵画から視線を戻したテオドールは、じっとヘヴィックを見据えた。
「そう。魔法を使った戦争は、武器による戦争よりもひどい結果になった」
元々この国は魔法と共に発展した過去がある。しかし、生活の中に溶け込んでいた魔法は、ひとたび争いの道具となれば、あまりにも惨たらしい結果を生んだ。
触れずとも命を奪う魔法を扱えた者など、極々少数だろう。だが、人々の恐怖と忌避は魔法を扱う者すべてに向けられた。
魔法道具を使い、魔法使いを崇めていたはずの人々が、今度は魔法使いを迫害するようになったという。それ以降、魔法という術と、それに関わる文化が急速に衰退していった。
「……だが、幾百も昔の話だろう」
過去の戦争は、実際に起こった出来事のひとつだ。しかし、女神の話は、神話に等しい。テオドールは彼の真意が見えずに困惑した。
しかし、対するヘヴィックは、まだ何か考えている様子でいる。
「いや、これは僕が勝手に思っていることなんだけどさ」
そう前置きしたヘヴィックは、持ち続けていたカップをやっとソーサーに戻した。
そして、ソファに座り直してテオドールを見遣る。
「戦争のあと、処刑された魔法使い達がいたっていうのは?」
「ああ、聞いたことはある」
「だよね。有名な話だ。みんなが魔法を恐れて、魔法使い達だけを断罪した──戦争は彼らが始めたことじゃないのにね」
「それがどうしたんだ?」
テオドールはとうとう眉を寄せた。
話の繋がりが見えなかったからだ。
「でも、一人だけ違うんだ。唯一、王族が直々に処刑を命じた魔法使いがいてさ」
そう言ったヘヴィックは、再び絵画へと視線を向けた。
釣られる形で再び絵画を見遣ったテオドールは、見かたによって解釈が変わりそうなその絵を見つめて眉間の皺を深くした。
「民衆による処刑じゃない。王族によって明確に、"戦犯"として処刑されたその魔法使いだけは、例外だったんじゃないかと思うんだ」
「……ただの魔法使いではなかった、ということか?」
「僕はそう考えてる、ってだけだよ。王家お抱えの魔法使いを処刑する理由はなんだろうって考えた時にさ」
「見せしめではないのか?」
戦争の悲惨すぎる結果を魔法の責任であると捉えた民にとって、魔法使いを抱える王族など恐ろしいだけだろう。
王族に向かうであろうあらゆる感情の矛先を、魔法使いを処刑することによって誤魔化したのではないか。
テオドールが大聖堂図書館で読み漁った魔法関連の文献には、確かにそのような記述が載っているものもあった。だが、王室付き魔法使いの処刑を皮切りに、次々と魔法使いの処刑が続いたこと以上の詳細が記載されたものはない。
「見せしめにするなら公開処刑にすると思うんだよね」
ヘヴィックはゆっくりと、ソファの背もたれに重みを預けた。
「それに、最初の魔法使いだけは何も公開されなかったらしいから、王族にとって特別な存在だったんじゃないかって。例えば──」
かつての処刑は原則として民衆に公開されていたものだという知識は、テオドールにもあった。処刑された罪人の遺体が晒しものにされ、人々の怒りや不満を向ける先になったこともしばしばあったらしい。
しかし、随分と昔の話で、それこそ古い文献にしか載っていないような内容だ。戦争後に処刑された魔法使い達もまた例外ではなかったらしいが、それもまた真偽の程は確かではない。
ヘヴィックの話を聞きながら、テオドールはゆっくりと庭の方へと視線を投げた。
シェリア達が遊んでいた庭には斜陽が差し込んでいる。直に日が落ちるだろう。
「──その魔法使いが王族だった、とか」
テオドールは静かにヘヴィックへと視線を戻した。
「それなら、平民の魔法使いと同等の扱いをしないっていうのも、まぁ、説明がつくかなと思ってさ」
「……まさか」
「まぁ、僕もまさかとは思うけど……女神は魔法使いの始祖だからね。どこで繋がるか分からないなって」
思うだけだよ、と。
そう言って笑ったヘヴィックは、本当にただ憶測した一説を口にしたに過ぎない。
ただ話を聞いていたテオドールとしては、複雑な気持ちだった。
火を操り、太陽の女神と呼ばれた存在。
それが魔女と関係があるとして。
それでは、あの魔女はまるで亡霊だ。あるいは、あの魔女こそ復讐のために蘇ったのだろうか。
まだ関係があると決まったわけではない。だが、これらすべてが偶然だと言えるだろうか。有り得ないとは言えないだろう。
しかし、全く無関係の話を、僅かな共通点でこじつけようとしているのかもしれない。僅かばかりのヒントを欲して、不正解の道を選んでしまっては意味がない。
判断するのであれば、それこそ慎重になるべきだ。
考えを巡らせていたその時、ロビーにひとりの青年が飛び込んできた。
「ヘヴィックさん! 厄介な奴らが来てるぞ!」
「ええっ? 厄介なやつらって?」
肩で息をしている青年の言葉に、ヘヴィックが慌てて腰を上げた。
それに続いて立ち上がったテオドールは、何事なのかと表情を硬くしている。
急いで駆け込んできた青年は、大きく息を吸って言い放った。
「──何だか知らないけど、"魔女を出せ"って騒いでるんだ。すぐに来てくれ」