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私を災厄だと思うのなら、それでも構わないわ。
好きに呼べばいいのよ。
まるで自分に罪がないかのように、ただ憎み続ければいいのよ。
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あれから二日が経った。
しかし、結局のところ、燃え上がっていた馬車の持ち主は不明だった。周辺には怪我をした者もおらず、遺体も見つかっていない。
「往来を制限してる意味がないだろ、頼りないな」
ヘヴィックからの報告に、カディアンは不貞腐れたように唇を尖らせた。不穏な事件が多発するせいで、馬車の検問をしていたというのに効果は出ていない。
その言葉を聞きながらテオドールは同意を示すように頷いた。
「まぁ、ここは表の街道とちょうど境にあるからさ。……といっても、不自然は不自然だけどね」
ヘヴィックはゆるゆると肩を竦めた。
これではまるで、馬車に乗っていた者達が消えてしまったかのようだ。
しかし、若い衆がしっかりと捜索を行なった結果でもある。
彼によって宿のロビーに呼び出されたテオドールとカディアンは、それぞれソファに腰掛けていた。ちょうどテーブルを挟んでテオドールとカディアンが対峙し、一人掛けのソファにヘヴィックが座っている形だ。
ヘヴィックの真正面に位置する壁はガラス張りになっていて、宿の庭が見渡せるようになっている。
庭では、宿の従業員の子ども達とシェリアが遊んでいた。
男の子達が棒を持っていて、ヘヴィック曰く剣士の役をやっているらしい。
対する女の子達はシェリアの周囲を固めている。役どころは分からないが、ごっこ遊びの最中だ。
テオドールはヘヴィックから渡された薬草茶を飲み、外の光景を眺めながら口を開いた。
「放棄された馬車の可能性は?」
「うーん。有り得ないとまでは言い切れないけど」
歯切れ悪く答えたヘヴィックは、眉を下げて笑った。
実際に燃え上がった馬車があったのだから、捨てられた馬車である可能性は否めない。しかし、見つかったのは街から程近い位置だ。
街の周辺は、若者達によって定期的な見回りが行なわれている。それを鑑みれば、燃えたのは"放置された馬車だった"という結論は些か乱暴だろう。そのような不審な馬車があれば、すぐに気が付くはずだ。まさか、わざわざ火を放って捨てたということも考えにくいだろう。
テオドールはそう考えて、ヘヴィックの曖昧な態度を責めずに頷きを返した。
「それよりも怪我はどう? 薬は効いてるかい?」
「ああ、おかげさまで」
「よかった。何よりだよ」
肩を揺らして笑ったヘヴィックは、安心した様子だ。
当初は随分な女好きかとテオドールですら思ったものだが、どうやら彼はかなり面倒見が良いタイプらしい。カディアンが前のめりになって食べているクッキーも、彼が差し入れてくれたものだ。
水都周辺の治安維持を行なうため、中心となって動いている人物でもある。人々が彼に対して気さくに接する理由も、きっとそこにあるのだろう。
「けど、火傷した部分の皮膚は弱くなってるからね。痛みがなくなっても、なるべくなら薬は塗った方がいい」
そう言って紅茶を啜ったヘヴィックは、ふと思い出したように視線を持ち上げ直した。視線の先には、庭で遊んでいる子ども達とシェリアの姿がある。
「シェリアちゃんが塗ってくれていたり?」
「……ああ」
「なるほどなるほど、きちんと朝昼晩?」
「そうだが……」
それが何なのか。
軽く眉を寄せたテオドールが視線を向けると、ヘヴィックはニヤニヤと口許に笑みを浮かべていた。
「いやぁ、あんな可愛い子にお世話されちゃって、役得だなぁと思って」
その言葉に、クッキーを頬張ったままのカディアンが反応を示した。
眉間に皺を寄せながら、ヘヴィックへと視線を向けている。
シェリアに薬草を渡して薬の作り方を教え、わざわざ部屋まで連れて来たのはヘヴィック当人だ。その間にカディアンに対して用事を言いつけたのも、恐らくは彼だろう。つまり、すっかり彼によってお膳立てされたというわけだ。
とはいえ、テオドールはそれを受け入れたのだから言い返す言葉もない。
「言っとくけど、シェリアは誰に対しても優しいからな」
カディアンが、何枚目かも分からないクッキーをつまんでヘヴィックに突きつけた。
「分かってる分かってる。いい子だなぁって話だってー」
カディアンが軽く噛み付いたところで、ヘヴィックはそれすらも面白がっているようだ。
テオドールは、特有の苦味が強い薬草茶を飲みながら視線を落とした。
確かに、彼女は優しい少女だ。それは間違いない。優しすぎるほどに優しいせいで、いっそ心配なほどだ。
今も子ども達の遊びに、少し戸惑いながら付き合っている。
どこか行きたいところがあるのだろう。宿の敷地外を示す子ども達に対して、彼女は明らかにロビー内のテオドール達を気にする素振りを見せた。
「あれ、どこに?」
クッキーを粗方食べ終わって立ち上がったカディアンに、ヘヴィックは緩く問い掛けた。
「シェリアのとこ。宿から離れてもいいだろ?」
そう言ったカディアンは、テオドールの返事を聞く前に出入り口に向かって歩き出した。
カディアンは、シェリアの行動を制限するようなことは基本的にしたくないのだ。できるだけ自由に、できる限りの希望を叶えてやりたい。
それは、彼女の気持ちを無視してでも強引にアジュガへ連れ帰ると決めた彼なりの気遣いだ。
「……ああ、よろしく頼む」
テオドールの言葉に対して振り返らないまま手を振ったカディアンがロビーから出て行く。すると、今度はヘヴィックが皿に盛られたクッキーへと手を伸ばした。
「ははーん、まったく。ふたりして方向性の違う過保護だねぇ」
そう言って笑ったヘヴィックは、ガラス越しに合流したシェリアとカディアンを眺めていた。子ども達が駆け出して、女の子に手を引かれたシェリアも歩き出す。
そして、その後ろからカディアンが追いかける形だ。
どこに行くのだろう。広場だろうか。
そうは思っても、テオドールは問い掛けもしなかった。いいや、できなかったのだ。
「……そうだろうか」
「そうだと思うよ。ナイトがふたりって感じでさ」
なるべく彼女を隠して安全を確保したがるテオドールと、できる限り行動を制限せずについて回って守りたがるカディアン。
やり方が異なるにしても、ふたりが望んでいることは同じだ。
それを見抜いているヘヴィックは、テオドールとカディアンが互いに異なる不器用さを持っていることも理解していた。
ヘヴィックは目を伏せてクッキーの模様をなぞる。
そこには、女神の顔が描かれていた。もちろん、簡易的なものだ。
「さしづめシェリアちゃんはプリンセスだ。あとは、ナイトがプリンスになるかどうかだけ」
ヘヴィックの青い瞳に見つめられて、テオドールは少し眉を寄せた。
「……まるで絵本のような言い方をするんだな」
「ただのたとえ話だよ。まぁ、おとぎ話ってロマンがあるとは思うけどね」
半分に割ったクッキーを口に入れたヘヴィックは、もぐもぐと咀嚼しながらカップに触れた。
「でも、現実はロマンだけじゃ、どうにもならないからさ」
そして、きちんとクッキーを飲み下したあと、ゆっくりと口許にカップを持ち上げて紅茶を味わった。
対するテオドールは、薬草茶を飲み干したところだ。
特有の苦味が口の中どころか、喉にまで残っている。
まるで煮え切らない自分の態度を指摘されたかのようで、ヘヴィックの言葉に感じる苦味にも似ていた。