「──あっ、ヘヴィックさん!」
テオドールとヘヴィックが宿から飛び出して門扉の外まで駆けていき、水に満ちた通りに降り立った時、数名の男性が駆け寄ってきた。どうやら彼らはヘヴィックを探していたらしく、テオドール共々あっという間に囲まれた。
「大丈夫、今から向かうところだから。状況はわかる?」
慣れている様子で青年達を見たヘヴィックは、自分の後ろにいるテオドールを少し気にする。それは青年達も同じだったようだが、ヘヴィックが頷けば彼らは口々に話し始めた。
「燃えているのは一箇所です」
「二台の馬車を確認しました」
「あ、しかし、人はまだ見つかっていないそうです」
「それと、馬は逃げたって話でしたけど……」
「えぇ? また? あー、それは、捕まえないとね」
二人の男性から報告を受けたヘヴィックは、少々げんなりと眉を寄せた。しかし、ほどなくして気を取り直した様子で顔を上げる。
「ま、いいか。とにかく今日は助っ人もいるし、現場は僕らに任せて。君達は街道の方をよろしく。馬には気をつけるように」
ヘヴィックがそう言うや否や、青年達はまた口々に返事をして駆け出した。水を蹴散らしながら道を走っていく彼らは、表の街道へ向かったようだ。
「ヘヴィックさーん! 気をつけてくださいねーッ!」
「旅人さんも、お気をつけて!」
少し離れた位置から声が響いて来る。手を振り返したヘヴィックは「あっちだよ」と言うなり、走り始めた。テオドールもすぐに追うが、水に満たされた通路はやはり走りにくい。
ヘヴィックが向かったのは青年達とは逆に街道から離れる向きだ。街の入り口から広場を経て伸びている大通りを進む。街の裏手には森が広がっていた。
「……よくあるのか?」
ヘヴィックが門番に声を掛ければ、すぐに門扉が開かれ始めた。
それを待つ間に、テオドールは低い声で問う。
「元々はそんなこともなかったけど、最近はこういうことが起きるんだ。でも、ま、たまにね」
火の代わりに光る石が入った魔法道具がランプの代わりだ。門を抜ける前に門番から渡されたそれを手に、テオドールは眉を顰めた。
「たまに、か……」
門番に軽く手を上げて礼を告げたヘヴィックに続いて、テオドールもまた門を抜ける。
街の外には森が広がっているが、道はそれなりに整えられていた。門扉の外には街を囲むように溝があり、水はすべてそこに流れている。街を満たしている水は、森には全く出ていない。
門から伸びた道は、街道のようにきちんと整備されてはいない。だが、両脇に並ぶ木々の枝も、道側は綺麗に剪定されており、定期的に手が入れられている様子だ。
「魔物の仕業かなぁ、と思うんだけど……」
「……魔物か」
「火を吐く魔物なんて、このあたりにはいなかったんだけどなぁ」
ぼやくヘヴィックからは、それほど強い危機感は伝わって来ない。街には大きな影響が出ていないのだろうか。
テオドールは、彼の横顔を眺めながら周囲を気にした。
光る石が生み出す灯りは有難いが、照らし出す範囲は狭い。
せいぜい、自分達の足元と進む先が僅かに見えている程度だ。森の奥に関しては、全く様子が窺えない。
「──うわ。すごいニオイだな」
土の道を進んでいけば、少しずつ焼け焦げたニオイが鼻をつくようになって来た。
木々が焼けたニオイでは、ない。
明らかに何か、それこそ肉が焼けているような──つい最近、嗅いだばかりのニオイが漂っている。
更に進めば、木々の合間に火がちらりと姿を見せた。
あの時も確かに馬車が転がっていた。
何か関係があるのだろうか。
テオドールは、思わず奥歯を噛み締めた。
関係など、あって堪るか。偶然だと思いたい。
「うわぁ、これはまたひどいな」
現場に辿りつくや否や、ヘヴィックは眉を顰めた。
現場周辺には、横転した馬車の残骸が転がっている。燃え上がっている幌、壊れてしまった木箱、ひっくり返った馬車、取れてしまった車輪。
積荷だったものだろうか。大量の割れたガラスの破片が、あちらこちらに散乱していた。
そして、ぷすぷすと音を立てて燻った火を抱えている物体。
サイズとしては、狼よりも少し大きいか。頭部には角らしきものが見えているが、真っ黒に焦げていて詳細は分からない。
テオドールは眉を顰めて周囲を見回した。
黒く焼け焦げた物体は、あちらこちらに点々と転がっている。
森の中を突き進む道同士がぶつかった十字路は、馬車が一台程度なら通行できる道幅だ。だが、こんな場所に二台の馬車が入り込むとは思えない。
表には旧街道があるというのに、多少整えられているとはいえ馬車で森になど入り込むだろうか。しかし、青年たちは確かに馬車を"二台"確認したと言っていた。
「もう一台は、どこだろ……テオドール! 悪いけど、もう一台の馬車を探してくれないか」
「分かった」
「頼むよ。僕は、先にこの火を始末するからさ」
光る石の入ったランプ代わりの魔法道具を地面に置いたヘヴィックは、腰に引っ掛けた小さな袋を漁った。中から取り出したのは、雫型のクリスタルだ。
それを勢いよく燃え上がっている馬車に投げ込むと、馬車全体を包むほどの水柱が立ち上がった。
魔法道具の扱いに慣れているヘヴィックの様子を見遣ったあと、テオドールは十字路を真っ直ぐに進んだ。
背後で揺らめき踊っていた大きな炎がなくなったことで、周囲は急激に暗さを増した。石の光が届く範囲を照らしながら、馬車の轍を辿って進んでいく。
夜の森は、不気味なほどひっそりと静まり返っている。
火を消した場所の傍でヘヴィックが作業をしている音が届いているが、それも少しずつ離れていく。
二台の馬車が確認された──と言っていた。だが、もう一台は見当たらない。
「……」
轍が残る道は、まだ続いているようだ。
ランプを軽く持ち上げてみたものの、照らし出せる範囲は限られている。
一旦戻った方がいいかどうか。
考えながら視線を巡らせていたテオドールの耳に、何か音が届いた。
──赤ん坊の泣き声だ。
まさかと耳を疑ったが、人間の赤ん坊らしい声が聞こえてきたのだ。そして、そう認識した瞬間、道から外れた森の中で火柱が立ち上がった。
まさに瞬く間の、一瞬だ。
炎は轟くような荒々しい音を立てながら、木々を飲み込んでいく。
空の一部が赤々と染まるほどの火柱に、テオドールは愕然とした。
あれが魔物の仕業だなどと──有り得ない。
背筋にぞっと震えが走った直後、テオドールは考えるよりも先に駆け出していた。