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嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き。
何もかも、アナタのせいだわ。
アナタの。
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広場の次にヘヴィックに連れて来られたのは、街の中心に位置する宿屋だった。周囲は相変わらず水に覆われているものの、数段ほど高くなった場所にあるおかげで宿の敷地内は乾いている。
白を基調とした建物は、やはりところどころに銀の細工が施されていた。置物などにも、銀そのものや銀色が使われているようだ。宿泊費は必要ない──などと、宿の主人が伝えて来たものだから、三人はそれぞれ慌ててしまった。
いくら何でもタダというわけにはいない。
しかし、ヘヴィックが無理に話を通したという様子ではなかった。
銀の女神を信仰している彼らは、銀の髪を持つシェリアに特別な感情があるらしい。
「──色んな伝承にもあるからね」
ヘヴィックは、シェリア達をそれぞれの部屋に送り届けた後、テオドールに宛がわれた部屋までやって来た。廊下で交わしていた話を途切れさせないヘヴィックを室内に招き入れたテオドールは、ちらりと窓を見遣る。外は既に暗くなっていた。
「……伝承とは?」
荷物を置いたテオドールは、窓に向けていた視線をヘヴィックへと戻した。
ヘヴィックは、ドア付近の壁に凭れ掛かって室内を眺めている。
すっかりリラックスしているような、更に言えば──シェリアがいるときには見せなかったような、随分とだらけた態度だ。
「広場で言っていたような内容か?」
「あー、そうそう。えっとね──銀は月と水、金は太陽と火の象徴ってわけ。昔は、魔法もそうだったけど」
「魔法?」
信仰の話に、どうして魔法が絡むのか。
だが、その疑問はふっと失せた。
『"刻"と"生命"は神の領域。地上に生きる者が触れてはならない――ってのが、魔法使いが最初に覚える文言らしい』
ロサルヒドも、確かにそう言っていたと思い出したからだ。
神と魔法の関係──テオドールが食いつく様子を見せると、ヘヴィックは嬉しそうに笑った。
「興味あるかい? だったら、直々に講義をしてあげよう」
言うが早いか。後ろ手にドアを閉じたヘヴィックは、緩慢な足取りで窓辺へと近付いていく。そして、両開きになっている窓を当然のように大きく開いた。
そうすれば、水辺特有の少し冷たい風が入り込んで来る。
「いや、まぁ、僕も詳しいわけではないんだけどさ」
そう言いながら窓に背を向けたヘヴィックは、窓枠に凭れ掛かってからテオドールを見た。
「水の魔法を扱う時は銀の杖を、火の魔法を扱う時は金の杖を使うっていうマナーが、昔はあったらしくて」
「……マナー?」
「そう、マナー。魔法と信仰ってね、結構近いんだよ」
話を掴みかねているテオドールに向かって、ヘヴィックは左右の掌を見せた。
「古い話になるけど、元々魔法って神が与えた特別なものだったわけだよ」
「……ああ。だから、限られた者しか扱えない」
魔法は、才能がなければ扱えない。
剣術のように努力や、あとからの鍛錬で身につくものではないのだ。
そして、魔法使いの血を引く者しか扱えないものでもある。魔法使いの家系だからといって、全員が魔法使いだというわけではない。だが、魔法使いの血脈でなければ魔法を扱えないことは確かだ。
「そういうこと。よく知ってるね。月と太陽は天の領域、水と火は地の領域──分かりやすく言えば、それぞれ神のもの、人のものって感じ」
左右の手を持ち上げたヘヴィックは、それぞれの掌を近付けてから、ゆっくりと遠ざけた。
「まぁ、あんまり深入りすると長くなっちゃうから割愛するけど……」
遠ざけた手を合わせてから、何かを放り出す仕草をしてヘヴィックは笑う。
割愛部分を投げ捨てたらしい。
「簡単に言うと、銀の杖で月の神様に水の魔法を使うお伺いを立てるって感じだね」
「……象徴を用いて神の承諾を得ようということか」
「そう。月の力である水を扱うんだから、銀の杖を使うのがマナーだった。最近は、そういうのは古いってなってるけどね」
ヘヴィックは笑って、腕を下ろした。
そもそも、近年は魔法使い自体が減少しているはずだ。
魔法の使い手がいなくなっているのか、それとも魔法使いであることを隠そうとしているのか。ともあれ、自らが魔法使いであると公言する者は減っている。
「魔法自体が廃れてきたこともあって、信仰から分離しつつあるのも確かだけどさ」
ゆっくりと身体の向きを変えたヘヴィックは、窓の外へと視線を転じた。
その動きに誘われるようにテオドールも窓辺へと近付く。
少し離れた位置に、水瓶を抱いた女神像のある広場が見えている。
「彼女って魔法は使えるのかい?」
「……シェリアか?」
唐突な問いに、テオドールは思わず眉を寄せた。
他意はない、と思いたいところだが。どうだろうか。
「……分からないが、使えないだろう」
彼女に魔法の才能があるかどうか。
彼女が魔法使いの血を引く者なのかどうか。
そのあたりについては、全く謎だ。何せ、出自が不明なのだから。
「そうかぁ、そうだよな。さすがに女神様降臨ってのは夢見すぎ?」
「何の話だ」
「彼女が本当に女神様かもしれないって話さ」
薄金の髪を夜風に揺らされながら笑ったヘヴィックは、肩越しに振り返ってテオドールを見た。
「古い言い伝えなんだけど、昔々女神様が降り立ったって話があってさ」
「……女神がこの場所に?」
「そう。『舞い降りた地上に魔法を与え、命を抱くための水を注ぎ、枯れた大地を芽吹かせた』──ってね。それでアレが建てられてるわけだけど」
ヘヴィックは、そう言いながら再び前を向いた。
そして、ゆっくりと広場を指で示してみせる。
「正確には、女神様の使いって記述だけど、まぁ、後世では混合されて、ほとんど同一視されちゃってるんだよ」
「よくある話だな」
「本当にね。そのあたりって、どうしてもあやふやになりがちだよね」
緩く笑ったヘヴィックは、心底から言い伝えを信じているというわけではないようだ。
「だから、本当かどうかっていうのは分からないんだけど、その女神様が地上では"最初の魔法使い"だって言われてるんだよ」
地上の者に魔法を伝えに来た存在。
それが女神の使いなのか、女神自身なのか。そのあたりは、確かにどちらでも構わないところだろう。肝心なのは、その存在が魔法使いの始祖となったことだ。
「……銀と金は、対ではないのか?」
「お、いいところに気が付いたね」
テオドールの問いにヘヴィックは笑みを深めて振り返った。
そして、やはりまた外へと視線を向ける。
「水と火、月と太陽、銀と金。分かりやすいよね、それらは常に対比の関係にある」
隣に佇むテオドールをちらりと見遣って、彼は更に言葉を続けた。
「銀を抱えて水を与えた月の女神。金を抱えて火を与えた太陽の女神──ほとんど知る人はいないんだけど、彼女達には名前があってさ」
窓枠に凭れ掛かるようにしていた姿勢を戻したヘヴィックが、テオドールへと向き直る。
大地へと降りた女神。最初の魔法使い──。
テオドールは、思わず眉を寄せていた。
まさか。そんなはずがない。
否定の声ひとつ出せないまま、ただ、声を待つしかない。
「だから、運命だなぁって僕はすごく思ったんだけど」
テオドールと向き合う形のまま、ヘヴィックはまた広場へと視線を転じた。
窓の外を流れていく風は、少し冷たいが穏やかなものだ。
水で満たされた通路を歩いていく街の者達も、ただの日常を過ごしている。
「彼女達の名前は、リ・シェリーアとラ・アリーシェ。──双子の、対の魔法使いだよ」
ヘヴィックの言葉に、テオドールは耳を疑った。
名前まで似てるよね──と笑う声なんて、もう聞こえていない。
似ている。
そうだ。彼女は魔女とよく似ている。
そしてまた、彼女と魔女──魔法に関する共通点が浮かび上がった。
シェリアの出自は不明だ。
彼女は孤児院で育っていて、親の名前も顔も分からない。
ならば、だとすれば、もしかしたら。
彼女は、魔法使いの血を引いている可能性があるのではないか。
ともすれば、魔女と何らかの関わりがあるのではないだろうか。
テオドールが喉を鳴らした時、「──あ!」とヘヴィックが声を上げた。
視線を持ち上げると、窓の向こう──街の外。
森の一角あたりで煙が上がっている様子が見えた。
その足元は赤々と照らし出されていて、恐らく火事が起きたのであろうと分かる。
「あちゃあー、まただ。悪いね、ちょっと行ってくるよ」
ヘヴィックが慌てて扉へと駆け寄っていく。テオドールの手が、無意識のうちに腰から下げた鞘に触れる。そして、自らも廊下へと飛び出した。
「──待ってくれ。俺も行く」
「えっ、えぇっ? いいけど、あの子達は……」
走りかけた姿勢のまま立ち止まって振り返ったヘヴィックは、困惑した様子で近くの扉を見た。並んでいるふたつの扉には、それぞれシェリアとカディアンがいるはずだ。
「カディアンがいれば大丈夫だ」
そう言うなり、テオドールはカディアンが案内された側の扉を叩いた。そうすれば、数秒もしないうちに扉が開かれる。室内にいたカディアンは、不思議そうにふたりを見た。
「──急にすまない。火事が起きたらしい。少し出てくる」
「え? えっ? ……あー、あっ! わかった! こっちは任せて」
一瞬ばかり事態が飲み込めなかったカディアンは戸惑いの声を漏らしたものの、すぐにハッとして頷いた。テオドールもまた扉から手を離しながら頷いて、ちらりとヘヴィックを見遣る。
「……ああ、頼んだ」
そう告げてヘヴィックと共に駆け出したテオドールに、カディアンは「気をつけろよ!」と声を出した。廊下を駆け抜けた彼らの姿は、ほどなくして見えなくなる。
急いで隣の部屋へと向かったカディアンは、何度か扉をノックしてみた。
しかし、応答はない。彼女が何も言わず、しかもひとりで出掛けるなどとは考えにくい。
だが、何度ノックを繰り返しても声はおろか、物音ひとつ返って来ない。
焦れたカディアンが扉を開くと、そこには誰もいなかった。彼女の荷物が、ぽつんと置かれているだけだ。開かれた窓から入り込んだ風がカーテンを揺らしている。
窓の向こう──少し離れた位置に火事が起きていると知ったカディアンは、慌てて廊下に飛び出した。
「──シェリア!」
しかし、呼んでも何の声も返らない。
乱暴に扉を閉じたカディアンは、床板を蹴って駆け出した。