三人がヘヴィックに案内された先は、広場だった。
浅い水路となっている道が一段ほど下がった先に、円形の広場が広がっている。円の中心には白い石の台があり、まるで噴水のように水が湧き出ていた。
しかし、当然ながらよくある噴水のように囲いなどはない。水は全方向へと均等に流れており、きらきらと斜陽を反射している。
「カラジュムに来たのなら、これは一度くらい見ておかないとね」
笑ったヘヴィックが示したのは、水が湧き出る台座――の上に立つ女神像だ。柔らかそうな両腕に水瓶を抱いた女性が目を伏せて微笑んでいる。女神の長い髪は、台座となっている石のあたりまで伸びていた。
ちょうど、女神の足元から水が湧き出ている。しかし、この白い石もまた水辺特有の汚れなどは見当たらない。
テオドールとカディアンがしげしげと石を眺めている間に、ヘヴィックはシェリアの手を取った。
「知っているかい? 銀は水、金は火――ここは水の都だから、水に繋がる銀が信仰の対象なんだ」
「銀が、信仰の……?」
「そうだよ。そんな水の都で君と出会えたのだから、これは運命じゃないかな?」
ぎゅう、と。
シェリアの手を握り締めて、ヘヴィックは笑みを深めた。
「――そいつは初耳だなぁ!」
戸惑っているシェリアとヘヴィックの間に、カディアンが割り込んだ。そうすれば、ヘヴィックはあっさりと手を引いて笑う。
「ははっ、あんまり伝わってないのかなぁ? 銀は月、金は太陽――とも言うけど、マイナー?」
「僕は知らないけどなー!」
「こいつは困ったなぁ」
シェリアを背に庇いながら、カディアンは「ホントに困る」と肩を竦めた。
テオドールはそんなやり取りを眺めながらも、口を挟みはしない。カディアンが先に動いて彼女を助けるのなら、余計な手出しは無用だと判断しているのだ。
銀は水、そして金は火――。
関係しているのかどうかは不明だが、金の魔女が火を扱うことは確かだ。魔法使いなら――例えば、ロサルヒドなら分かるのだろうか。彼なら詳しいかもしれないが、自分では判断がつかない。
テオドールは、女神像へと視線を転じた。
優しげな微笑を浮かべている女神は、女性とも少女ともつかない年ごろだ。長い髪を垂らして、まるで赤子を抱くように水瓶を抱いている。
「――ま、ともかくさ! そういうわけで、ここでは銀が何より重宝されるんだ。何よりも特別ってわけ」
ヘヴィックがそう言ってシェリアを見た。視線を受け止めた彼女は、やはり戸惑っている様子だ。あまりにまじまじと見つめられて、少し恥ずかしそうでもある。
うつむいてしまった彼女の後ろに、若い女性達が通りかかった。
「ヘヴィックさんったら」
「あらあら、困らせちゃって」
「ほどほどにしておきなさいよー」
どうやら、ヘヴィックのこのような振る舞いはよくあることらしい。
いさめるような、からかいのような、そんな調子の彼女達にヘヴィックは笑って手を振っている。
悪い男ではなさそうだが、困った男ではあるようだ。
「他にも色々あるけどー……そうだなぁ、そろそろ日が暮れるし、先に宿でも案内しようか?」
緩やかに振っていた手を下ろしたヘヴィックは、三人をそれぞれに見遣った。
確かに、もう空はほとんど夜の色に染まりつつある。
空の端へと追いやられた夕日も、残り僅かだ。
「ああ、頼む。それでいいだろう?」
「僕はいいよ。荷物も置きたいし。シェリアは?」
「え、あっ、うん。私も……」
テオドールから一巡りした意思の確認が終わると、ヘヴィックは「こっちだよ」と歩き出した。よくよく見れば、彼の靴は水がしみ込んでいないようだ。
歩きやすいようにシェリアに手を貸すカディアンの後ろについて、テオドールは少し思案した。水の都というだけあって、この街は広い。せっかく彼女が興味を示した場所なのだから、少し滞在したいところではある。
とはいえ、普段とは違う注目のされ方で、シェリアはひどく戸惑っている様子だ。
ミレーナは、何を思ってこの街を勧めたのだろうか。単純に良い観光地だったのか。どうなのか。それとも、銀の信仰が関係しているのだろうか。
「……」
考えても仕方がない。
ゆっくりと息を吐き出したテオドールは、カディアンを呼んだ。
肩越しに振り返った彼は、少し不思議そうにしている。
「……数日ほど、滞在してみないか」
「え? あー……そうだな。ちょっと変わったところだしなぁ……僕も、ちょっと色々見たいかも」
カディアンが乗り気な気配を見せると、シェリアもちらりとテオドールを振り返った。しかし、自分もそうだと同意を示すことはしない。
遠慮している様子で、カディアンが完全に決めるまで待っているような調子だ。
「……どうだ?」
シェリアに問いを向け直したテオドールは、言葉を待つために首を傾げてうながした。彼女は少し遠慮がちに口を開き、閉じて、それから意を決したように開く。
「……テオが……」
「俺か?」
「……うん。テオがいいなら、……少し」
シェリアの答えに、テオドールは一瞬ばかり戸惑った。どうして自分のことを気にするのだろうかと考えて、ほどなくして答えに行き着く。
アジュガまでは付き添うと――そう言ったからだ。
自分の予定を気にしているのだろう。実に、彼女らしい。
「……息抜きは必要だろう。俺も興味深いと思っている」
この場所は不思議と落ち着く心地がする。
何らかの魔法が作用しているのかと思うほどだ。
街の外には魔物避けがあったから、魔法使いか、あるいは魔法道具と縁があってもおかしくはない。
「だったら決まり! だったら、一番いい宿に連れてってあげるよ」
三人の会話を聞いて、ヘヴィックが笑う。途端にシェリアが、「あっ、でも」と控えめに声を出した。
路銀を気にしてのことだ。
その点に関しては、確かにテオドールも少し気になるところではある。
同行する人数が増えたことと移動によって単発の仕事すら入れられなくなっているせいで、確かに持ち金に余裕はなかった。
「いやいや、そこは安心してくれていいよ」
足を止め、くるりと大袈裟に回って振り返ったヘヴィックは、やはり人懐っこく笑う。
「なんてったって女神さまだからね。サービスしてくれるさ」
「でも……」
女神さま――とは、シェリアのことだろう。調子がいいというべきか。銀の髪をなぞらえているというべきか。ヘヴィックは当然のように言った。
「大丈夫、大丈夫! 可愛い女の子ってだけでも十分なんだからさ!」
緩やかに笑ってから前を向くヘヴィックに、テオドールは思わず空を仰いだ。