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傍らに添う 2


 焼け焦げている物体は動物のようだった。

 大きさからして人間ではない。それだけが救いだが、馬ほどのサイズでもない。せいぜい狼程度だろうと推測する方が妥当なサイズだ。


 あちらこちらの地面には、点々と何かが燃え上がった痕跡が残っている。

 その大半には、馬車近くに残った物体と同じモノが転がっていた。

 馬車が狼の群れに襲われたのだろうか。

 ならば、どうして狼達が燃えてしまったのだろうか。

 魔法や魔法道具で対抗したのなら、馬車自体を置いて行くだろうか。


 テオドールは鼻に付く不快なニオイに顔を顰めつつ、馬車内部をカディアンに任せて周囲を調べ始めた。

 燃料となりそうな油などのニオイや痕跡は、全く残っていない。

 火種が何もないとしか言いようがなかった。

 しかも、燃え上がった痕跡は点々と残っている――つまり、この生き物達は燃え始めて死ぬまで、その場に留まっていたことになる。


「有り得ない……」


 山賊の男達も火に包まれていたが、彼らは逃げ出すだけの余力はあった。そして、火が這いずり回るように彼らを追い掛け回していた。まさか、燃え上がった瞬間にこの動物達は事切れたというのだろうか。


 ふと顔を上げたテオドールは、この光景にデジャブを感じた。

 その場だけに残された焦げた痕跡。

 静まり返った周囲の様子。倒れているのに無傷の馬車。

 馬も御者もいなくなっている。


 動く生き物が、いない光景。


「――まさか」


 ゾッとしたテオドールは、すぐさま馬車へと駆け寄った。

 そして、倒れた馬車の中を調べていたカディアンの肩を掴んだ。


「すぐに離れるぞ」

「え? 何だよ、急に……」

「話はあとだ」


 困惑している様子のカディアンにそう言い放つと、テオドールはすぐにシェリアの待つ馬車へと向かった。カディアンが馬の準備を整えている間に、幌を薄く開いて「シェリア」と呼びかける。


「何も見ていないな?」

「え、あ、えっと、うん……」


 唐突な問いにシェリアは困った様子で視線を彷徨わせた。

 呼びかけられた瞬間に小さく跳ねた両手が、ゆっくりと膝の上に戻っていく。


「準備できた、すぐ出られるよ」

「ああ」


 御者席に戻ったカディアンを振り返り、テオドールもまた定位置へと戻る。荷台の座席に座ったままのシェリアは、ただただ困った様子で前方を見た。

 カディアンは倒れたままの馬車を大きく避けるように、ゆっくりと馬を誘導していく。

 周囲に人の気配はない。人どころか、動物の気配すらもなかった。


「――……何か、わかったのか?」


 倒れた馬車から十分に距離を取った頃、カディアンは少し声を潜めつつ、なるべく深刻にならないように努めて問いかけた。

 荷台側にいるシェリアを怖がらせないためだ。

 テオドールもまた、ちらりと荷台を窺った。

 シェリアは会話に入ろうとする気配もないが、不安がっていることは確かだろう。


「……いいや。とにかく、先を急ごう」


 表情を険しくしたテオドールに、カディアンは問いを重ねることはしなかった。


 まさか。まさか――。

 魔女の仕業ではないか、などと。


 そんなことを、言えるはずもなかった。


 シェリアはこれから、単なる少女として生きるべきなのだ。

 カディアンもまた、魔女とは無関係で生きていくべきだ。


 魔法の炎であった可能性は高い。

 だが、もしも、魔女の証拠を掴んでしまったら。その可能性が、決定的なものとなってしまったら。


「――……」


 テオドールはゆっくりと息を吐き出した。

 自分の中に生まれた矛盾と、うまく向き合えない。


 かつては彼女を、シェリアを魔女だと呼んだ。

 確かにそう見えたのだ。あの美しい銀の髪が、どうしても金色に見えてしまった。


 そのうち、彼女は魔女ではないかもしれないと思い始めた。

 だが、それでも関係があるのではないかと考えた。

 関係があるのなら、彼女を使って魔女をおびき寄せようとすら。


 いつしか、彼女が魔女と無関係であればいいと願うようになった。

 彼女は魔女ではないのだと、何ひとつとして関係がないのだと。


 そして今、探しているはずの魔女から遠ざかろうとしていた。

 彼女と関係がないことを証明できないから。

 彼女と関係している可能性を否定できないから。

 彼女と少しでも長く過ごしていたいから。


 だから、せめて。今ばかりは。


「……馬鹿な」


 低い声を漏らしたテオドールは、己自身への苛立ちに眉を寄せた。


 自分は人生を捧げると決めたのだ。

 いつか必ず、あの魔女を見つけ出して、八つ裂きにしてやると誓った。


 この手は魔女の血に染まるものであって、彼女の――シェリアの手を取るものではない。


「……何だよ?」


 カディアンが声を掛けてきたが、テオドールは答えられない。


 矛盾の糸は複雑に絡み合ったまま、ほどけもせず緩みもせずに大きくなるばかりだ。どう足掻いても、どの糸もテオドールにとっては重要で、切り取ることができなくなっている。


「――テオ」


 背後からの声に、テオドールはハッとした。

 振り返れば、幌を小さく開いたシェリアと目が合う。


 その銀色の瞳に、胸の奥で何かが跳ねた。


「大丈夫……?」

「……ああ」

「あの、……疲れたら、その、……こっちと交代する?」


 眉を下げたシェリアは、不安そうに視線を向けている。

 カディアンは手綱を強く握ったまま、隣のテオドールと背後のシェリアを気にしている様子だ。


 テオドールは一度目を閉じてから、ゆっくりと瞼を持ち上げた。


「――いいや、大丈夫だ」


 そう答えてからテオドールは気が付いた。


 何を聞いても、彼女が大丈夫だと繰り返した理由に。

 今更のように気が付いてしまって、何とも苦々しい気持ちになる。


「……うん」


 ぎこちなく微笑んだシェリアが、再び幌の向こう側へと隠れてしまう。

 そうするように言ったのは自分だ。

 隠れているように告げたのも、人目につかないようにしろと言ったのも。


 彼女を隠してしまった幌を、テオドールはしばらくじっと見つめていた。

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