焼け焦げている物体は動物のようだった。
大きさからして人間ではない。それだけが救いだが、馬ほどのサイズでもない。せいぜい狼程度だろうと推測する方が妥当なサイズだ。
あちらこちらの地面には、点々と何かが燃え上がった痕跡が残っている。
その大半には、馬車近くに残った物体と同じモノが転がっていた。
馬車が狼の群れに襲われたのだろうか。
ならば、どうして狼達が燃えてしまったのだろうか。
魔法や魔法道具で対抗したのなら、馬車自体を置いて行くだろうか。
テオドールは鼻に付く不快なニオイに顔を顰めつつ、馬車内部をカディアンに任せて周囲を調べ始めた。
燃料となりそうな油などのニオイや痕跡は、全く残っていない。
火種が何もないとしか言いようがなかった。
しかも、燃え上がった痕跡は点々と残っている――つまり、この生き物達は燃え始めて死ぬまで、その場に留まっていたことになる。
「有り得ない……」
山賊の男達も火に包まれていたが、彼らは逃げ出すだけの余力はあった。そして、火が這いずり回るように彼らを追い掛け回していた。まさか、燃え上がった瞬間にこの動物達は事切れたというのだろうか。
ふと顔を上げたテオドールは、この光景にデジャブを感じた。
その場だけに残された焦げた痕跡。
静まり返った周囲の様子。倒れているのに無傷の馬車。
馬も御者もいなくなっている。
動く生き物が、いない光景。
「――まさか」
ゾッとしたテオドールは、すぐさま馬車へと駆け寄った。
そして、倒れた馬車の中を調べていたカディアンの肩を掴んだ。
「すぐに離れるぞ」
「え? 何だよ、急に……」
「話はあとだ」
困惑している様子のカディアンにそう言い放つと、テオドールはすぐにシェリアの待つ馬車へと向かった。カディアンが馬の準備を整えている間に、幌を薄く開いて「シェリア」と呼びかける。
「何も見ていないな?」
「え、あ、えっと、うん……」
唐突な問いにシェリアは困った様子で視線を彷徨わせた。
呼びかけられた瞬間に小さく跳ねた両手が、ゆっくりと膝の上に戻っていく。
「準備できた、すぐ出られるよ」
「ああ」
御者席に戻ったカディアンを振り返り、テオドールもまた定位置へと戻る。荷台の座席に座ったままのシェリアは、ただただ困った様子で前方を見た。
カディアンは倒れたままの馬車を大きく避けるように、ゆっくりと馬を誘導していく。
周囲に人の気配はない。人どころか、動物の気配すらもなかった。
「――……何か、わかったのか?」
倒れた馬車から十分に距離を取った頃、カディアンは少し声を潜めつつ、なるべく深刻にならないように努めて問いかけた。
荷台側にいるシェリアを怖がらせないためだ。
テオドールもまた、ちらりと荷台を窺った。
シェリアは会話に入ろうとする気配もないが、不安がっていることは確かだろう。
「……いいや。とにかく、先を急ごう」
表情を険しくしたテオドールに、カディアンは問いを重ねることはしなかった。
まさか。まさか――。
魔女の仕業ではないか、などと。
そんなことを、言えるはずもなかった。
シェリアはこれから、単なる少女として生きるべきなのだ。
カディアンもまた、魔女とは無関係で生きていくべきだ。
魔法の炎であった可能性は高い。
だが、もしも、魔女の証拠を掴んでしまったら。その可能性が、決定的なものとなってしまったら。
「――……」
テオドールはゆっくりと息を吐き出した。
自分の中に生まれた矛盾と、うまく向き合えない。
かつては彼女を、シェリアを魔女だと呼んだ。
確かにそう見えたのだ。あの美しい銀の髪が、どうしても金色に見えてしまった。
そのうち、彼女は魔女ではないかもしれないと思い始めた。
だが、それでも関係があるのではないかと考えた。
関係があるのなら、彼女を使って魔女をおびき寄せようとすら。
いつしか、彼女が魔女と無関係であればいいと願うようになった。
彼女は魔女ではないのだと、何ひとつとして関係がないのだと。
そして今、探しているはずの魔女から遠ざかろうとしていた。
彼女と関係がないことを証明できないから。
彼女と関係している可能性を否定できないから。
彼女と少しでも長く過ごしていたいから。
だから、せめて。今ばかりは。
「……馬鹿な」
低い声を漏らしたテオドールは、己自身への苛立ちに眉を寄せた。
自分は人生を捧げると決めたのだ。
いつか必ず、あの魔女を見つけ出して、八つ裂きにしてやると誓った。
この手は魔女の血に染まるものであって、彼女の――シェリアの手を取るものではない。
「……何だよ?」
カディアンが声を掛けてきたが、テオドールは答えられない。
矛盾の糸は複雑に絡み合ったまま、ほどけもせず緩みもせずに大きくなるばかりだ。どう足掻いても、どの糸もテオドールにとっては重要で、切り取ることができなくなっている。
「――テオ」
背後からの声に、テオドールはハッとした。
振り返れば、幌を小さく開いたシェリアと目が合う。
その銀色の瞳に、胸の奥で何かが跳ねた。
「大丈夫……?」
「……ああ」
「あの、……疲れたら、その、……こっちと交代する?」
眉を下げたシェリアは、不安そうに視線を向けている。
カディアンは手綱を強く握ったまま、隣のテオドールと背後のシェリアを気にしている様子だ。
テオドールは一度目を閉じてから、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
「――いいや、大丈夫だ」
そう答えてからテオドールは気が付いた。
何を聞いても、彼女が大丈夫だと繰り返した理由に。
今更のように気が付いてしまって、何とも苦々しい気持ちになる。
「……うん」
ぎこちなく微笑んだシェリアが、再び幌の向こう側へと隠れてしまう。
そうするように言ったのは自分だ。
隠れているように告げたのも、人目につかないようにしろと言ったのも。
彼女を隠してしまった幌を、テオドールはしばらくじっと見つめていた。