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荒れゆく空の片隅で 6


 シェリアが部屋から出て来たタイミングで夕食となった。

 その後、水都までのルートについて再度確認をして、食料の調達に話が及んだ。

 水都カラジュムに行くまでの間、地図の上では街や村は見当たらない。

 明日の朝、出発前にこの村で手に入れられる分だけ買わせてもらった方がいいだろう。


 そのことも合わせてメマリーと話をするため、今度はテオドールが母屋へと向かう。その頃には、すっかり日が暮れていた。


 少し話をしたあとで、カディアンはシェリアに早めに休むように勧めた。

 シェリアは休んでばかりだと思いはしたものの、彼の言葉に甘えておくことにした。何となく、気だるいような感じがしていたからだ。

 疲労感が残っているというよりは、もっと漠然としている。


 メマリーと話し終えたテオドールが離れに戻ってきた頃、リビングにはカディアンしかいなかった。

 いくらかの食料を分けてもらえることになったが、金は払うという話に持っていったこと。水都に行くまでのルートについて、確認をして来たこと――。

 それらをカディアンに告げたテオドールもまた、休むと告げて部屋へと向かった。


 そうして、自然と解散になってしばらく。


 真夜中に相当する時間帯になって、シェリアはふと目を覚ました。

 夢を見ていたような気がするが、どんな夢なのかは覚えていない。


 カーテンの下からは、僅かに光が差し込んでいる。

 月明かりだろう。

 今夜は、晴れているようだ。

 なら、きっと明日は出発になるに違いない。


 それは喜ばしいことなのに、シェリアは何となく気が晴れなかった。


「……?」


 不意に、何かが軋む音がした。

 よくよく耳を澄ませてみれば、それは外ではないようだ。

 ゆっくりとベッドから降りたシェリアは、足音を立てないようにしながら扉へと向かった。


 そして、軽く、ほんの軽く扉をノックする。


「……起きているのか」


 扉の向こう側から聞こえてきたのは、テオドールの声だった。


「――開けないで……」


 シェリアは小さな声を返して、扉に両手で触れた。

 木製の扉は、触れていると少し冷たい気がする。

 この向こう側には彼がいる。


 しかし、今は何となく顔を合わせにくかった。


「……不安があるのか」


 テオドールからの問いに、シェリアは答えられない。


 魔女を追う旅以上に、孤児院に戻る方が不安だなどと、どうして言えるだろう。既に孤児院に戻ることが決定となっている状態で、何と言えばいいのだろうか。


 それが分からなくて、シェリアは眉を下げながら俯いた。


「……悪かった。シェリア。俺は、お前に勝手を言ってばかりだ」

「そんな、……そんなこと、ないよ」

「……いいや。何度も、俺の都合を押し付けた」


 今もまたこうして、孤児院に――アジュガに戻るという選択さえも彼女に押し付けている。何もかも自分のエゴであり自分の我侭なのだと、テオドールは眉を寄せた。扉の向こうにいる彼女は、どのような顔をしているだろうか。


 考えても、扉は動かない。


「……」


 許してくれと言うつもりなのか。

 見逃してほしいと懇願でもするのか。


 テオドールは言いたいことがあるというのに、それが何なのか分からないまま沈黙した。分からない――というよりは、それを言うための決心がついていないという方が正しい。


 行くなと、そう伝えたいのだ。

 しかし、復讐をやめる決意もできていない身では、あまりにも無責任な発言になってしまう。


「……」


 たった一枚。

 たかだかひとつの扉を挟んで、ふたりはただただ沈黙していた。


 カディアンが見たら、何と言うだろう。

 もどかしいと眉を寄せるだろうか。

 それとも、面倒臭いと扉を開いてしまうだろうか。


 テオドールはドアに額を当てて、ゆっくりと息を吐いた。


 もしも孤児院で何かあったら。

 もしもアジュガに魔女が行ってしまったら。

 もしも、もしも。もしも──。


 危険性も恐怖も、いくらでも浮かび上がる。

 可能性なんて、考えれば尽きないほどだ。


 その一方、部屋の中でシェリアは扉に触れて俯いたまま、足元に差し込む月明かりを見つめていた。

 ただ、ぼんやりと。

 視界に入る光は揺らがない。


「……テオ」


 どれほど沈黙していたことだろう。

 先にシェリアが微かに声を出した。


「なんだ」


 テオドールは弾かれたように顔を上げて、間近にある扉を凝視した。

 しかし、どんなに見つめても、隔てた先にいる彼女の表情は窺えない。


「……私、確かめたかったの」

「確かめたい……?」

「うん。……魔女のこと。私が、もし魔女だったら――」


 もしも魔女なのだとしたら。

 もしも魔女と関係があるのなら。


「――違う」


 思考の中に可能性がふわりと浮かび上がった直後、テオドールは否定した。


「お前は、魔女ではない」


 それは、テオドールからシェリアに対して何度も与えられた言葉だ。

 繰り返し繰り返し、まるでそうであれと願うように、まるでそうであるはずだと言い聞かせるように。


「……」


 顔を上げたシェリアは扉をじっと見つめたまま、何も言えなかった。


 やがて、どちらともなくおやすみを告げるまでの数分間。

 どちらも、何も言えない時間が続いた。

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