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荒れゆく空の片隅で 4


 荒々しい雨と風は一晩中、絶え間なく続いた。時折、雷まで鳴り響く有様だ。そのせいでシェリアは、寝台に寝転がったまま眠れずに過ごした。


 テオドールは、自分との旅を終わらせることを選んだ。

 自分と別れても、彼は旅を続けるのだろう。それこそ、魔女が見つかるまで、永遠に。


 シェリアは布団の中で小さく丸くなりながら、ゆっくりと息を吐いた。


 一緒にいたいのに。

 彼は、そうではないのだろうか。

 一緒にいたくないのなら、カディアンに任せたって構わないのに。

 それでも、彼はアジュガの孤児院までは連れて行くと言った。


「テオ……」


 荒れ狂った雨音の中に雷鳴が轟くと、シェリアは身を硬くして壁を見つめた。

 この壁の向こう側に、彼がいる。


 いつだったか。

 嵐で眠れない夜に、彼はわざわざ部屋に来てくれた。

 眠れているかと問い掛けて、控えめにドアを叩かれたことを覚えている。


 最短ルートが少し荒れた道だった時には、わざわざ迂回してくれた。

 大丈夫だと言っても、彼は首を振って手を差し出してくれた。

 気分が落ち込んだ時には、必ず問い掛けてくれた。

 離れる時はいつだって、身を守るための行動を示してくれた。

 一緒にいる時は、ずっと気にかけてくれていた。


「……」


 シェリアは眉を寄せて、ぎゅうっと目を閉じた。


 彼は巻き込んだと言った。

 自分のせいだと。


 俺の復讐のためにお前を連れ回していた。魔女を見つけるきっかけになると思ったからだ――


 テオドールの言葉が、声が、頭の中によみがえる。

 そんなことはないのだと。違うのだと。自分が望んだことなのだと。

 言えたら、言ってしまえたら、彼は違う言葉を口してくれただろうか。


 彼が罪悪感を抱えていることには、薄々気が付いていた。

 しかし、一度もきちんと話をしたことはない。

 旅の始まりは、確かに彼が剣を向けてきたことだ。

 魔女だ――そう言い放った彼の声も、シェリアはよく覚えている。


 巻き込んだなんて、言わないで欲しい。

 鎖で繋がれていた訳ではない。

 強制された訳ですらなかった。


 自分の意志で、彼と共にいたつもりだったのに。


「どうして……」


 シェリアは目元に滲んだ涙を強引に拭って、枕に頬を押し付けた。


 彼は優しい人だ。

 一緒にいたいと繰り返し訴えたら、カディアンを説得してくれるだろう。

 自分が恨まれたとしても、彼ならそうしてくれる。


 しかし、それではだめなのだ。

 彼の優しさを利用するような、そんなことはできない。


「――……はぁ」


 カディアンが悪い訳ではない。

 彼だって、必死に探してくれた。


 誰も悪くない。

 なのに、望まない方向へと進んでしまっている。


 次の雷鳴が激しく響き渡り、室内を明るく照らした瞬間、シェリアは布団を頭まで引き上げた。




 * * *



 翌朝になってシェリアがリビングに顔を出すと、既にカディアンがソファに座っていた。干し肉とパン、そして果物がテーブルの上に置かれている。朝食用だろう。カディアンが用意していたようだ。


 外ではまだ激しい雨風と雷が続いている。


「おはよう、シェリア」

「うん、おはよう……」


 ゆっくりとカディアンに近付いたシェリアは、リビングを見渡した。

 テオドールはまだ部屋にいるのだろうか。

 姿もなければ、荷物もここにはない。


「ごめんな。一晩って言ったけど、やっぱりまだ無理みたいでさ」

「うん」

「それで今、テオドールがメマリーさんに話をしてくれてる。たぶん、いいって言われるだろうけどな」


 一応さ、と告げて、カディアンは笑った。

 それに対して、シェリアはゆっくりと頷きを返す。

 昨日の様子からして、きっと断られはしないないだろう。厚意に甘え続けてしまって、申し訳ないほどだ。


 ちょうどそんな会話をした時、廊下へと繋がる扉が開いた。


 離れのリビングに入って来たのは、テオドールだ。

 すると、カディアンはひょいっと軽い調子で立ち上がった。


「テオドール、どうだった?」

「……ああ。問題ないそうだ」

「良かった。それじゃ、僕は馬車と馬の様子を見てくるから」

「ああ。……風が強いから気をつけろ」

「わかってる、シェリアを頼んだよ」


 そう言い残したカディアンは、テオドールと入れ替わりに廊下へと向かった。

 ふたりはすれ違いざまに視線を交わしたものの、特に何を言う訳でもない。

 廊下に繋がる扉が閉ざされると、テオドールはゆっくりと足を踏み出した。


 そして、シェリアが立っている向かい側のソファに腰を降ろした。


「……おはよう、テオ」

「ああ、おはよう。……何か食べたか」

「ううん。まだ……」


 シェリアが緩やかに首を振ると、テオドールはテーブル上に置かれた丸い果実に手を伸ばした。

 そして、ナイフで丁寧に皮を剥いていく。

 その間にソファへと腰を下ろしたシェリアは「テオは?」と問い返した。


「俺はもう食べた。……ほら」

「ありがとう」


 赤い皮を剥かれた白い果実。

 わざわざ一口サイズに切り分けられたそれを口に入れると、爽やかな酸味と甘味が広がった。


 旅を始めたばかりの頃、テオドールはその丸い果実をそのまま彼女に渡していた。

 しかし、小さな一口でちまちまと食べている様子に気が付いてからは、切り分けるようになったのだ。

 もちろん、刃物さえあれば、シェリア自身の手でその作業ができないわけではない。だからそれは、ただ単純にテオドールがやりたくてやっただけの話だ。


 丸い果実の半分ほどを食べて手を合わせたシェリアを見つめたまま、テオドールは軽く眉を寄せた。


「……眠れなかったのか」

「え? あっ……えっと……うん」


 テオドールの問いに、シェリアは一瞬ばかり迷った。

 しかし、ごまかすだけの言葉も出て来ず、結局は素直に頷いてしまう。


「……きちんと休まなければ、あとが辛いぞ」

「う、うん。ごめんなさい」

「謝ることでは――」


 ないぞ、と言い掛けたテオドールの声に被せるように、激しい雷の音が鳴り響いた。その瞬間、シェリアの細い肩がびくんっと跳ね上がる。


 テーブル上の布巾で指先を拭い、何とか挙動を隠そうとしているようだが、ごまかすことすらできていない。


 再び音が轟くと、シェリアはやはり小さくびくついた。


「……シェリア」


 小さく呼び掛けて立ち上がったテオドールは、テーブルを挟んで向かい側にいる彼女の傍へと寄っていく。そして、三人掛けソファの隣に腰を下ろした。


 雷ひとつにこうも驚いて身体を竦ませている彼女は、臆病な、ただの少女でしかない。カディアンの言う通り、このような旅に巻き込むべきではなかった。


 テオドールは眉を寄せながら、震えている彼女の小さな手を片手で覆い、大丈夫だと囁いてその細い指を撫でる。


 三度目の雷が鳴り響いた時、ドアの開閉音が続いた。


「――あらあら、やっぱりこっちは響くわねぇ……」


 入ってきたのは村長――メマリーだった。

 トレイを手にしている彼女にテオドールが軽く頭を下げる。

 するとメマリーは、動かないように、とでも言うかのように手で軽く制した。


「ごめんなさいね、こっちの建物はちょっと壁が薄くって……」

「あ、あっ、い、いえ、そんな……」

「いいのいいの、そのままで」


 ふたりのもとに近付いて来たメマリーは、テーブルの上にカップを並べた。

 カディアンが外に出たことは、知っているのだろう。

 新しく置いた布巾の上に、カップをひとつだけ伏せる。


 そして、並んで座っているふたりの様子に、メマリーは微笑ましそうに目を細くした。


「うちの主人もね。ああ、もう何年も前に亡くなったんだけど……そうやって、寄り添ってくれたものよ」


 ポットの中身は温められたミルクだ。

 蜂蜜をカップに入れたあと、ポットからミルクを注ぐ。

 そうすれば、甘くて優しい匂いがふわりと広がった。


 シェリアがゆるゆると肩から力を抜いていく。


 ゆっくりと丁寧にふたり分のホットミルクを用意したメマリーの目が、そんな彼女へと向いた。


「嵐が怖いのね?」

「う、……はい」

「いいのいいの。私もね、若い頃は怖かったわ」


 小さく笑ったメマリーは、まだ中身が残っているポットをテーブルの上に置いた。

 そして、ゆっくりと背を伸ばして姿勢を戻していく。


「でも嵐はね、良いことの前触れなの。嫌なことは強い風が流してくれて、悲しいことは雨が連れていってくれるのよ」


 その言葉に、シェリアは思わずテオドールを見た。

 テオドールもまた、ちらりとシェリアを見遣る。


 そんなふたりの様子に、メマリーは頬を緩めた。


「それにね。銀の目は、聖なる瞳。幸運の証よ。頑張ってね――さあ、冷めないうちにどうぞ」


 ゆったりとした調子で言葉を紡いだメマリーは、緩やかに頷いてふたりを見つめた。礼を告げるテオドールと、おずおずと頭を下げるシェリア。


 そんなふたりの様子に、メマリーは胸が温かくなる心地がした。

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