「――ミレーナが?」
パスタをフォークに巻き取っていたカディアンは、驚いた様子で目を瞬かせた。その隣でサラダを食べているシェリアも遠慮がちではあるものの、驚いている様子だ。
賑わう食堂内では少々声を上げても、それほど目立ちはしない。
テオドールは緩やかに首肯して「ガレキ街に行くそうだ」と続けた。
ミレーナに会ったこと。
そして、彼女がガレキ街に行くことは告げたものの、満月の翌日に船を出す件は言えなかった。
そのせいで、視線を持ち上げることができない。
「ガレキ街って……?」
シェリアが控えめに問う。
反応を示したのは、テオドールよりもカディアンの方が早かった。
「元々ガレキ山って言ってさ、ガラクタばっかのスラムだったんだよ。そこを倉庫街にしたって聞いたことがあるよ」
「倉庫街に……?」
「んー、何だっけ。物流の拠点にするためだとか何だとかで、えっと、それで雇用が生まれたって言ってたかな」
カディアンの説明にシェリアは小さく頷いた。
スラム街を救ったというのであれば、確かにミレーナは商人というよりも英雄に近い。納得したテオドールは輪切りのパンを齧りながら、正面に座っているふたりを眺めた。
「……ああ、それと……水の都を勧めていた」
テオドールの言葉にふたりの視線が向く。
水の都――水都カラジュム。
それは、図書館があるプラタナスへ向かう途中でも話を聞いた街だ。
御者から聞いた話から判断する限りは、あまり気が進む場所ではない。
だがそれは、あくまでテオドールにとっての話だ。
「水の……それって、カラジュムのことか?」
カディアンが首を傾げる。
「ああ。シェリアにとって良いことがあるだろう、と」
答えながら、テオドールはスープを口に運ぶ。
少しとろりとしたカボチャのスープは、優しい味わいだ。
名前を出されたシェリアは、少しばかり意外がっている。
「……良いことって?」
意外ではあるようだが、そこに不安は混じっていない。
ミレーナへの信頼は確かにある。そして、水都の話についても、既に一度その名前を聞いたことがあるためか、特に抵抗もなさそうだ。
「カラジュムは、銀を信仰してるからだよ」
テオドールに代わって、カディアンが答えた。
その視線が、ちらりとシェリアの髪へと向く。
釣られる形でテオドールも彼女の銀色を見遣った。
ふたり分の視線を受け止めたシェリアは、困惑しながら首を傾げた。
「信仰……?」
「あー。うん。僕も、詳しいことは知らないんだけどさ」
それがミレーナの言う"良いこと"に繋がるのかどうか、カディアンとしても自信はなかった。
ただ何となく、そうかもしれないと思っただけだ。
テオドールは「行ってみるか」と彼女に問い掛けた。
一度は興味を見せた彼女から、意図的に遠ざけた話題だ。
あの時は危険なのではないかと思った場所ではあるが、今は事情が違う。
「……いいの?」
シェリアは遠慮がちに問い掛けた。
やはり、水の都に興味があるようだ。
「勿論だ。……どうだ?」
「シェリアがそう言うなら」
テオドールが同意を求めれば、カディアンも頷いた。
しかし、彼は少し渋っている様子でもある。
彼女をさっさと連れ帰りたいからだ。
できれば、船が出ている港を探したいのだろう。
「……ミレーナなら船を持っている」
テオドールは、ゆっくりと言葉を紡いだ。
間に合えば――そう言っていた彼女は、どこか試すかのようですらあった。
実際、テオドールはまだ迷っている。
この期に及んで迷い続けている自分自身にうんざりしながら、それでもまだ決めかねていた。
だから今は、満月の夜が出発の日だ、とは言えない。
それを伝えれば、カディアンは間に合わせたがるだろう。
卑怯な手を使っている自覚はあった。
シェリアに選ばせたくて。
そして、もしも間に合わなければ――と、そう思わないでもなかったからだ。
「……ミレーナさんは、まだこの町にいるの?」
「ああ。しばらくは滞在するようだが」
「どこのお宿か、わかる……?」
ミレーナに会いたがっているシェリアに対して、テオドールは少し申し訳なさそうに首を振る。
「すまない。どの宿かまでは、聞いていない」
「そう……」
ゆっくりと肩を落としたシェリアの隣で、カディアンが「でも」とふたりをそれぞれ見遣った。
「ミレーナだったら有名だろ。誰かに聞けば分かるんじゃ……」
「あ、あっ、いいの……少しお話がしたいな、って、思っただけだし……」
お仕事の邪魔になっちゃうから、と続けたシェリアは、やはり遠慮している様子だ。テオドールは少しばかり考えてから、手にしていたパンを皿に置いた。
「シェリア。話がしたいなら、探そうか? 手伝うよ」
テオドールを見たあとで、カディアンは少し不満そうに眉を寄せた。
彼女が求めている情報を持っていなかったから、だろう。
「ううん。いいの……ガレキ街で、会える?」
シェリアはカディアンに向かって首を振り、次にテオドールへと視線を向けた。
三人が三人とも、互いに互いを探り合っているような有様だ。
気を遣っている――というには、カディアンが少し違うところか。
「……そうだな」
テオドールの肯定は曖昧だ。
満月の翌日までに辿り着かなければ――会えないからだ。
すると、カディアンが「分かった」と両手を上げた。
「ガレキ街に行く途中だし、カラジュムに寄ってから行こうよ。ガレキ街から船を出してるかもしれないしさ」
「……ああ」
ゆっくりと頷いたテオドールは、気まずそうにグラスを口に運んだ。
ミレーナは船を持っている。
そして、ミレーナはガレキ街に向かう。
ガレキ街に港があるのかどうかは不明でも、この二点で希望を持つことは容易い。
だが、それだけの情報を差し出してもテオドールは肝心なことを言っていない。
ミレーナは、満月の翌日には船を出してしまう。
「シェリアも、それでいい?」
「うん。……いいよ」
正面に座っているふたりが顔を合わせる様子を眺めつつ、テオドールは音にならない溜め息を落とした。未だに迷い続けていることに、そして肝心なことを隠してしまったことに対して、だ。