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揺らぐ月 5


「――ミレーナが?」


 パスタをフォークに巻き取っていたカディアンは、驚いた様子で目を瞬かせた。その隣でサラダを食べているシェリアも遠慮がちではあるものの、驚いている様子だ。


 賑わう食堂内では少々声を上げても、それほど目立ちはしない。


 テオドールは緩やかに首肯して「ガレキ街に行くそうだ」と続けた。

 ミレーナに会ったこと。

 そして、彼女がガレキ街に行くことは告げたものの、満月の翌日に船を出す件は言えなかった。


 そのせいで、視線を持ち上げることができない。


「ガレキ街って……?」


 シェリアが控えめに問う。

 反応を示したのは、テオドールよりもカディアンの方が早かった。


「元々ガレキ山って言ってさ、ガラクタばっかのスラムだったんだよ。そこを倉庫街にしたって聞いたことがあるよ」

「倉庫街に……?」

「んー、何だっけ。物流の拠点にするためだとか何だとかで、えっと、それで雇用が生まれたって言ってたかな」


 カディアンの説明にシェリアは小さく頷いた。


 スラム街を救ったというのであれば、確かにミレーナは商人というよりも英雄に近い。納得したテオドールは輪切りのパンを齧りながら、正面に座っているふたりを眺めた。


「……ああ、それと……水の都を勧めていた」


 テオドールの言葉にふたりの視線が向く。

 水の都――水都カラジュム。

 それは、図書館があるプラタナスへ向かう途中でも話を聞いた街だ。

 御者から聞いた話から判断する限りは、あまり気が進む場所ではない。


 だがそれは、あくまでテオドールにとっての話だ。


「水の……それって、カラジュムのことか?」


 カディアンが首を傾げる。


「ああ。シェリアにとって良いことがあるだろう、と」


 答えながら、テオドールはスープを口に運ぶ。

 少しとろりとしたカボチャのスープは、優しい味わいだ。


 名前を出されたシェリアは、少しばかり意外がっている。


「……良いことって?」


 意外ではあるようだが、そこに不安は混じっていない。

 ミレーナへの信頼は確かにある。そして、水都の話についても、既に一度その名前を聞いたことがあるためか、特に抵抗もなさそうだ。


「カラジュムは、銀を信仰してるからだよ」


 テオドールに代わって、カディアンが答えた。

 その視線が、ちらりとシェリアの髪へと向く。


 釣られる形でテオドールも彼女の銀色を見遣った。


 ふたり分の視線を受け止めたシェリアは、困惑しながら首を傾げた。


「信仰……?」

「あー。うん。僕も、詳しいことは知らないんだけどさ」


 それがミレーナの言う"良いこと"に繋がるのかどうか、カディアンとしても自信はなかった。

 ただ何となく、そうかもしれないと思っただけだ。


 テオドールは「行ってみるか」と彼女に問い掛けた。


 一度は興味を見せた彼女から、意図的に遠ざけた話題だ。

 あの時は危険なのではないかと思った場所ではあるが、今は事情が違う。


「……いいの?」


 シェリアは遠慮がちに問い掛けた。

 やはり、水の都に興味があるようだ。


「勿論だ。……どうだ?」

「シェリアがそう言うなら」


 テオドールが同意を求めれば、カディアンも頷いた。

 しかし、彼は少し渋っている様子でもある。


 彼女をさっさと連れ帰りたいからだ。

 できれば、船が出ている港を探したいのだろう。


「……ミレーナなら船を持っている」


 テオドールは、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 間に合えば――そう言っていた彼女は、どこか試すかのようですらあった。


 実際、テオドールはまだ迷っている。

 この期に及んで迷い続けている自分自身にうんざりしながら、それでもまだ決めかねていた。


 だから今は、満月の夜が出発の日だ、とは言えない。

 それを伝えれば、カディアンは間に合わせたがるだろう。

 卑怯な手を使っている自覚はあった。


 シェリアに選ばせたくて。

 そして、もしも間に合わなければ――と、そう思わないでもなかったからだ。


「……ミレーナさんは、まだこの町にいるの?」

「ああ。しばらくは滞在するようだが」

「どこのお宿か、わかる……?」


 ミレーナに会いたがっているシェリアに対して、テオドールは少し申し訳なさそうに首を振る。


「すまない。どの宿かまでは、聞いていない」

「そう……」


 ゆっくりと肩を落としたシェリアの隣で、カディアンが「でも」とふたりをそれぞれ見遣った。


「ミレーナだったら有名だろ。誰かに聞けば分かるんじゃ……」

「あ、あっ、いいの……少しお話がしたいな、って、思っただけだし……」


 お仕事の邪魔になっちゃうから、と続けたシェリアは、やはり遠慮している様子だ。テオドールは少しばかり考えてから、手にしていたパンを皿に置いた。


「シェリア。話がしたいなら、探そうか? 手伝うよ」


 テオドールを見たあとで、カディアンは少し不満そうに眉を寄せた。

 彼女が求めている情報を持っていなかったから、だろう。


「ううん。いいの……ガレキ街で、会える?」


 シェリアはカディアンに向かって首を振り、次にテオドールへと視線を向けた。


 三人が三人とも、互いに互いを探り合っているような有様だ。

 気を遣っている――というには、カディアンが少し違うところか。


「……そうだな」


 テオドールの肯定は曖昧だ。

 満月の翌日までに辿り着かなければ――会えないからだ。


 すると、カディアンが「分かった」と両手を上げた。


「ガレキ街に行く途中だし、カラジュムに寄ってから行こうよ。ガレキ街から船を出してるかもしれないしさ」

「……ああ」


 ゆっくりと頷いたテオドールは、気まずそうにグラスを口に運んだ。


 ミレーナは船を持っている。

 そして、ミレーナはガレキ街に向かう。

 ガレキ街に港があるのかどうかは不明でも、この二点で希望を持つことは容易い。


 だが、それだけの情報を差し出してもテオドールは肝心なことを言っていない。


 ミレーナは、満月の翌日には船を出してしまう。


「シェリアも、それでいい?」

「うん。……いいよ」


 正面に座っているふたりが顔を合わせる様子を眺めつつ、テオドールは音にならない溜め息を落とした。未だに迷い続けていることに、そして肝心なことを隠してしまったことに対して、だ。

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