ミレーナと別れたテオドールは、魔女の噂が届いていないか町の人々に聞いて回った。そうしなければ、余計なことを考えてしまいそうだったからだ。
しかし、魔女の話に集中しようとしても、結局はシェリアを思い出してしまうだけだった。
分かり切っている。だが、テオドールにはもう、復讐の道以外に選ぶ先が見つけられなかった。
「――……」
港街からそれなりに距離のあるこの町にも、船が燃え上がったという話は伝わっていた。しかし、有力な情報はなさそうだ。直接見たという者はおらず、話を聞いた、伝え知ったという者達ばかりだ。
これでは意味がない。
自分達が部屋を取っている宿とは別の宿屋に向かったテオドールは商人達にも話を聞いてみた。よくよく聞けば、ミレーナが滞在しているために滞在期間を延ばし、あるいは彼女の予定に合わせてこの町に来たらしい。
ミレーナ本人から詳しい話は聞けていない。
だが、彼女がここにいることと検問の件は無関係ではなさそうだ。
なるほど。確かにミレーナは、力を持った商人なのだろう。商売を行なう者達にとって――座商だろうが行商だろうが――ミレーナの影響力は相当強いようだ。
滞在期間中に少しでも取り入ろうとしている魂胆が垣間見えて、テオドールは少しげんなりした。
だが、商人達から聞いた話はそれだけではなかった。
「……屋敷、か」
風車のある街で一軒の家が突然燃え上がったらしい。
不審火なんておっかないなと肩を竦める商人に礼を告げたテオドールは、考えごとをしながら表通りを進んだ。
燃え上がったそれは、彼女が――シェリアが逃げ込んだ民家のことなのではないか。少なくとも風車のある街で不審な火事が発生したことは確かだ。
ここでも再び繋がってしまって、テオドールは深々と溜め息をついた。
彼女は魔女ではない――。
だとしても、全くの無関係であるとは思えない。
しかし、何らか関係があるとは思いたくないのだ。
矛盾を抱えながら宿に戻ったテオドールは、シェリアの部屋の前で足を止めた。
声は、聞こえて来ない。
カディアンと外出中だろうか。
「……」
テオドールは、ノックをしようとした腕を下ろした。
普段は荷物番だなんて言い方をして、隠れさせていたのは自分だ。
少しくらい、気楽に過ごさせてやりたかった。
何より――。彼女の言葉を無視してまで、アジュガに戻るべきだと告げた自分がこれ以上、彼女に何を言えるだろうか。
何を言ったところで言い訳だ。そして、何かを言ったところで彼女を困らせるだけに違いない。
そう考えてしまえば、テオドールはもう扉に手を伸ばすことさえできなくなった。
* * *
夕方ごろ。
部屋に戻っていたテオドールは、ふと目を覚ました。
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
夢を見たような気もするが、もう覚えてはいなかった。
身体を起こしても、室内に彼女の姿は見当たらない。別の部屋だったと思い出すまで、数秒ほどを要した。
「……」
結局、食事もしないまま一日を過ごしてしまった。
何をしているのかと、自分でも呆れてしまうくらいだ。
しかし、不思議と空腹感は薄かった。
湖畔の宿場町はのどかだ。
外ではゆったりとした時間が流れている。
日中に眺めた光景は、どうしようもなく穏やかで、文句のつけようもない。
そんな光景が、町の様子が、故郷に似ていて辛かった。
テオドールは、ちらりと扉に視線を転じた。
もう彼女が訪ねて来ないだろうことは分かっている。それでも、少し思ってしまうのだ。そこにいたなら、何と声を掛けるべきだろうか。
「……だめだな」
低い声を漏らしたテオドールは、ゆっくりと立ち上がった。
変な姿勢で眠っていたのだろう。
少し軋む背を伸ばして、腕を軽く振る。
身体を解しながら窓辺に近付くと、少しずつ傾き始めている太陽が見えた。
ミレーナのことを話すべきだ。
そして、ガレキ街から船が出る話をしなければならない。
目的地が決まれば、今度はルートを考える必要がある。
次の満月はいつだったか。
そこまで考えて、無意識のうちに溜め息を落としていた。
やるべきことは多い。しなければならないことも多々ある。
行動を起こすべきだとは思っているものの、気乗りしない理由など明らかだった。
だが、仕方がない。
彼女のためだ。
それが、自分のためでもある。
彼女の気持ちを無視してまで、そうするべきかどうか。
そう考えてしまうと、また迷ってしまう。だから、今は自分の気持ちも無視せざるを得なかった。
扉を開くと、廊下にはカディアンがいた。
彼もまた、部屋から出たところだったようだ。
「……何か食べたのか?」
カディアンからの意外な問いに、テオドールは少し面食らった。
そのような質問が向けられるとは思いもしなかったせいだ。
「……いいや」
「食べてないのか? じゃあ、一緒に食べないか? あっちに食堂があるし」
そう言って、カディアンは廊下の先を示した。
テオドールが返事をするよりも先に、彼の手はすぐ隣の扉へと伸びる。
そして、軽いノックの後で「シェリア、ごはんに行こうよ」と誘った。
返る声はない。
ただ数秒ほどして、扉が薄く開いた。
シェリアがそっと廊下の様子を窺ってから、ふたりを見つけて肩の力を抜く。
それは、テオドールが教えたことだ。
ノックには声を返さないこと。扉はすぐには開かないこと。開く場合は外を確認すること。知っている声だと思っても、姿を見るまではそうと決めて掛からないこと。
自分の指示がすっかりクセになっている様子に、テオドールは喉奥で溜め息を押し殺した。
彼女が単なる少女として生きる道を、自分が塞いでしまったのではないか。
魔女ではないと言っておきながら、隠れて生きるよう強いていたのは自分ではないか。
テオドールは言いようのない罪悪感に苛まれ、耐え切れずに一足先に歩き出した。