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せいぜい後悔することね。
それがアナタの罪だもの。
――死ぬまで悔やめばいいわ。
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昨晩のうちに辿り着いた町は、森を抜けて川沿いに進んだ先に見えた湖畔の町だ。 建物が密集している大きな街とは異なり、広大な土地にいくつかの建物が点々と存在している。
それでも、数軒の宿屋に酒場など、かつて宿場町としての役割を果たしていた痕跡が窺えた。新しい街道ができたことで利用者は随分と減ったようだが、旧街道を使う商人達が使っているのだろう。
馬のためにも、休憩を挟むべきであったことは確かだったが、旧街道を夜通し進んだのは盗賊が出たという森から離れたいためだ。
そして、魔女の話から、少しでも遠く逃れたい気持ちの現れでもある。
不可思議なことだ。
魔女を追って何年も旅をしているというのに、今は、今だけは。
テオドールは、どうしても今だけは魔女に会いたくなかった。
まだ考えがまとまっていないせいだろう。あるいは、彼女と離れた時間があったためだろうか。廊下に出たテオドールは、一度部屋の扉を振り返ってから外を目指した。
「……早いな」
テオドールが宿の一室から抜け出して馬車のもとに向かうと、馬の世話をしているカディアンを見つけた。まだ十分に早朝と呼べる時間帯だが、馬の毛並みを整え終えたところだ。
「アンタこそ、早いよ」
カディアンは馬用のブラシを片付けながらテオドールを見上げた。
互いに少しラフな格好だ。
どちらも、このまま外出する気配がないことは明白だった。
「シェリアは、たぶんまだ寝てるよ」
「ああ、……疲れていたようだからな」
宿を振り返ると、彼女の部屋はまだカーテンが掛かったままになっている。
野宿を選ばずに移動を続けて正解だった。ひとりでいる間、恐ろしい思いをしていたには違いない。そうでなくとも、ずっと緊張状態だったはずだ。そんなシェリアを、今くらいはきちんと休ませてやりたかった。
テオドールはゆっくりと息を吐いて、カディアンに向き直った。
「シェリアが起きてきたら、今後について話さないか」
できれば、孤児院に帰らせた方がいいかもしれない。
だが、また再び似たようなことが起こらないとも限らない。
それを考えれば、孤児院に帰ることが確実に良い選択肢だとも思えなかった。
しかし、だからといって魔女を追う旅に同行させ続けることは気が引ける。
テオドールは、まだ少し迷っていた。
何が彼女にとっての最善になるのか。その判断がつかないからだ。
「そんなの、わかってる」
テオドールの提案に対して、カディアンは少しむっと調子で返した。
「僕もそうするべきだと思うよ。シェリアの考えだって聞きたい。でも……」
そこで言葉を切ったカディアンは、ゆっくりと立ち上がった。
どこか、責めるような目がテオドールに向いている。
「……アンタのせいだぞ」
カディアンは、絞り出すように言葉を吐いた。
対するテオドールは、何も反応を返せない。
「アンタが、魔女探しにあの子を巻き込んだろ。それだけは忘れないでほしい」
カディアンはそう言うと、ふいっと顔を背けて馬車の向こう側へ行ってしまった。
話し合い――などできるはずもないだろう。もとより、カディアンは彼女を連れ帰りたいのだ。どのような話が出たとしても、連れ帰ることを邪魔するなという意味の牽制だろう。
テオドールは肩を竦めると、溜め息を押し殺して踵を返した。
「……」
確かに、カディアンの言い分は間違っていない。このまま旅を続けていたとしても、良いことがあるとは思えない。魔女を見つけられたとしても、彼女にとって良い結果が出るとは限らない。
それならば、故郷に帰してやる方がずっと――。
「――……はぁ」
宿の扉をくぐりロビーを抜けたところで、テオドールは重苦しい溜め息を漏らした。床が軋む古い廊下を進んで、自分の部屋の前で立ち止まる。
向かいの部屋にはシェリアがいるはずだ。そちらに視線を向けて、緩やかに首を振る。
彼女はいったい何を思うのだろう。彼女は何を考えているのだろう。
うまく聞き出す術が思い浮かばない自分自身にうんざりした。
彼女にとって最善とは何か。
そのために、彼女の意思を無視するようなことになっても構わないか。
考えたところで、どうにもまとまらない。
部屋に戻ったテオドールは、カーテンを開いた。
そして、窓の向こうに見えている湖へと視線を転じる。
数日ほど、ここに滞在しても良いかもしれない。
あまり根を詰めても良い結果は出ないだろう。
彼女も、そして自分やカディアンにとっても。
「……」
休息を提案する程度なら構わないだろう。睨み付けてきたカディアンの目を思い出しながら、テオドールは寝台に腰掛けた。
そして、ゆっくりと目を閉じる。
瞼の裏に焼きついているのは、金色の魔女だ。
笑う口許。蔑むような瞳。
流れるように広がった髪。
残酷で残虐で冷酷な魔女。
シェリアとは、似ても似つかない。
それがどうして、時折、彼女が魔女の色を纏っているように見えてしまうのか。
魔女を求める気持ちがそうさせるのか。
あるいは。
「……クソ」
もう一つの理由は、ただただ否定したかった。
馬鹿馬鹿しい。彼女は違う。魔女ではない。
何度繰り返し否定していることか。それでもまだ、まるで呪縛のように彼女に魔女の影が付き纏う。
カディアンの言う通りだ。
似ているからといって、彼女を魔女だと疑うことはあまりにもひどい言い掛かりに過ぎない。何ひとつとして根拠はないというのに――。
思考を遮ったのは、ノックの音だ。
そして。
「――……テオ。いる?」
遠慮がちな、シェリアの声が聞こえてきた。