「――ミレーナと知り合いなのか?」
行商会の検問を通り抜けてしばらくすると、カディアンは興味津々といった様子で首を傾げた。
「ああ」
テオドールの肯定はシンプルだ。
詳しいことを話す気になれないのは、魔女絡みの話になるためだった。
何となく荷台に意識を向けてみたが、シェリアは変わらず大人しくしている。
「ほんとうか!? おい、それってすごいことなんだぞっ!」
何とも思っていない様子のテオドールに、カディアンは語尾を強めた。
「ミレーナって言ったら、有名人だろ。ガレキの山を街にしたって凄腕の商人だって話だぞ!」
先ほどまでの緊張感が興奮に転じたのかもしれない。テオドールは、隣にいる少年へと視線を転じた。
馬を操っているカディアンは前を向いたままだが、どことなく高揚しているようでもある。
「しかも、アジュガの支援までしてくれてるんだからな。なぁ、シェリア!」
「……そうなの?」
「えっ、知らなかったのかよ?」
急に話を振られたせいだろう。
荷台にいるシェリアは、困惑した声を返した。
対するカディアンは、その反応が予想外だとばかりに肩を揺らす。
「アジュガ孤児院の支援者リストに載ってたぞ。ガキの頃に言われたことあったろ?」
「う、うん……」
「あっ、でも、そうか。リストの方は家の名前だったかも」
カディアンは肩越しにシェリアを振り返ろうとしたが、幌が半ばほどまで閉じられていて見えない。ほどなく諦めて前を向くと、少しばかり考える仕草を見せた。
「えっと、ひいじいさん? だったかな。慈善事業を継いだって。すごい人だよなぁ」
心底から感心したように呟くカディアンに対して、シェリアは戸惑っているようだ。その戸惑いを感じ取ったテオドールは、彼女の様子を気にしながらも話には入らない。
ひとしきり感心したカディアンは、やがて「あー」と間延びした声を漏らした。
「アジュガのみんな、心配してるぞ」
「……うん。ごめんね」
「無事だったからいいんだ。ただ――」
そこで言葉を切ったカディアンは、ちらりとテオドールを見た。
視線を受けたテオドールの腕が、少年の手元から手綱を受け取る。
するとカディアンは、すぐさま御者席から後ろの荷台へと入り込んだ。
そして、シェリアが腰掛けている座席の隣、荷台の床に腰を下ろした。
「……なんで、帰ろうとしなかったんだ?」
その問いはもっともだろう。
孤児院から連れ出され、のちに港街へと辿り着いたシェリアは、そこで働いていた。そう、彼女がいたのは港街だった。
そこから出ている船で、対岸のアジュガに渡ることができる。自力で森と山を越えることはできなくても、船に乗ることくらいなら可能だったはずだ。
しかし、彼女はそうしなかった。
「……ごめんね」
責められているように感じたのだろうか。
シェリアは、消え入りそうな声を出した。
「あ、いや、違う! 違うって! なぁ、謝るなよ」
慌てて否定したカディアンは、困ったように眉を下げた。
謝罪を聞きたいわけじゃない。
本当に知りたかったのは、彼女の気持ちだ。
カディアンは、やや遠慮がちに問い掛けた。
「……もしかしてさ。気にしてる?」
「え?」
「アイツらが言ってたこと。あんなの、嘘だよ。似てるからって、そんな、いくらなんでも言いがかりだろ」
アイツら――彼女を孤児院から連れ出した男達のことだ。目の当たりにしながら、カディアンは何もできなかった。
叫んでも喚いても、馬車に放り込まれる彼女に触れることさえもできなかったのだ。
あの時。
伸ばした手は、届かなかった。
「シェリアが魔法を使ったわけじゃないのに、顔が似てるからって、あんまりだ。アイツらが悪いよ」
カディアンはシェリアの手を取った。今なら触れることができる。今なら、守れるのだと思えた。握ったのは、小さな手だ。ほっそりとした指は頼りない。
彼女のその手を、カディアンは両手でしっかりと握り込んだ。
「シェリアは悪くない。悪いのはアイツらだ。だから、帰っておいでよ。遠慮することないんだから」
連れ帰る――カディアンは、テオドールにそう言った。
彼女が連れ去られてから、ずっと探し続けていたのだ。
帰りたがらないのではなくて、帰れなくなっているのではないかと。
そう考えて、何ヶ月も何ヶ月も探し続けた。
その結果がこれだ。
魔女だと罵られて逃げ回り、魔女を探す男と共に旅をしているのだと知った。
カディアンとしては、それはまるで傷口に塩を塗る行為だとしか思えない。
魔女ではないのに。魔女だから、なんて。
そんな理由で彼女が辛い思いをする必要などない。
アジュガに戻れば、孤児院のみんなは歓迎してくれるはずだ。
だって、みんな親なしで、小さい頃からずっと一緒だった。
彼女が恐ろしい魔法を使ったところなんて、一度も見たことがない。
アジュガから出たことも、一晩帰らなかったことすらない。そんな彼女が、どうして街を荒らして、木々を焼き払って、人々を手に掛けることができるだろうか。
カディアンはこれ以上、彼女に傷付いて欲しくなかった。
「……ごめんね」
しかし、シェリアは緩やかに首を振る。
「どうして? 誰も気にしないよ。大丈夫だって」
「……でも」
「大丈夫だって。何も言われたりしないから。ね?」
カディアンがあまりにも言葉を繰り返すものだから、シェリアは困った様子で押し黙った。荷台から聞こえるやり取りは、そこで一度途切れてしまう。
ふたりの声に耳を傾けながら手綱を握るテオドールは、静かに空を仰いだ。
「……」
カディアンの言う通りだろう。
似ているから、などと。
そんなあやふやで曖昧で不確かな理由で、彼女が責め立てられる謂れなどない。
話を聞いた当初は、彼女を連れ出した馬車の男達に憤ったものだ。
しかし、自分もまた、そんな男達と同様だったのだと思えば、ふたりの会話に言葉を重ねることはできなかった。
彼女に居場所があるのなら、そしてカディアンが本当に守ってくれるのであれば──シェリアを、アジュガに帰してやるべきなのかもしれない。
頭上で瞬く星を睨みつけるように見つめたあと、テオドールは腹の底に溜まった罪悪感の一部を、後悔を、葛藤を、溜め息として吐き出した。