一度日が傾き始めれば、急速に暗さが増していく。室内から外の様子を窺うテオドールを見つめながら、シェリアは困惑を深めていた。
「……テオ」
「どうした」
「……どうして、その、ここだってわかったの?」
「ああ……」
シェリアの問いに、テオドールはゆっくりと視線を戻した。
そして、差し出した形のままだった地図を戻しながら「女の単独行動は目立つ」と告げる。
「それが、お前のような年頃であれば尚更だ」
「……聞いたの?」
「いいや」
シェリアの問いに、テオドールは首を振る。
少女を探している――などと、あまりあちらこちらで触れ回るわけにはいかない。 宿場町では連れを探しているという形が取れたが、あの方法でさえも実際は好ましくないものだ。余計な動きがあらぬ誤解を生まないとも限らない。
「人買いに会ってはいないか?」
「……ひ、人買い?」
その問いに思わず身を強張らせたシェリアは、声を掛けてきた男を思い出した。
「会った、かも……」
「物騒だと噂になっていた。それがお前だと確信はなかったが――」
テオドールはちらりと彼女を見遣った。
本来であれば、そのような場合は人の多い場所に逃げ込む方が良い。
できるだけ、ひとりにならない場所か、せめて相手が入りにくい場所を選ぶべきだ。
大通りを抜けて広場を抜けて、その先へ。
そのような逃げ方は、あまりにも得策ではない。
では、どうしてそうやって逃げたのか、だ。
「――人目を避けるように逃げたと聞いた。だから、可能性は高いと踏んだ」
そう告げながら、テオドールはゆっくりと息を吐いた。
助けを求めるべきだ。本来であれば。
そうしなかった。あるいは、できなかった。
人買いに狙われて逃げ出したと噂された子どもの行く先にしては、空き家ばかりの路地は違和感がある。
少なくとも、テオドールはシェリアではないかと思ったのだ。
「……それだけだ」
やがて、外から薄く入り込んでいた夕日が途切れる。
そのタイミングで、テオドールは手を差し出した。
「ひとまずは、一緒に来てくれないか。話がしたい」
「……うん」
おずおずと彼の手を取ったシェリアは、まだ少し困惑している様子だ。
だが、その困惑は彼の手を振り払えるほど強いものではない。
揃って立ち上がったふたりは、暗い室内を慎重に歩き始めた。
廊下に出たテオドールが向かったのは、シェリアが入り込んだ表の玄関ではない。
裏手の勝手口まで回り込み、そっと扉を開いた。
外には誰もいない。
そして、周囲の家には灯りがついていなかった。
扉を潜り抜けて囲いを越えると、すぐに森が広がっている。
「少し危険だが、抜けるだけだ。大丈夫か?」
「……うん。大丈夫だよ」
「わかった」
シェリアを見下ろして確認したテオドールは、荒れた道へと入り込んだ。
薄暗い森は危険だが、奥まで入り込むつもりはない。
ほどなくして旧街道が見えてくると、テオドールは僅かに息を漏らして肩から力を抜いた。
「……シェリア。ひとつ確認がある」
そして、彼女の足元を気にしながら手を引き、森を抜けたあたりで声を掛けた。
「――カディアンという男を知っているか?」
「カディアン?」
枝や雑草に引っ掛からないように足元を気にしていたシェリアは、唐突な問いに目を瞬いた。そして、少しだけ困惑した様子を見せる。
「……うん。知ってるよ」
「そうか」
小さく頷いたテオドールは、繋いだ手を更に引いた。
旧街道は狭く、少し道が荒れている。
だが、小さな町や村がある為に、行き交う馬車は多い。
テオドールに手を引かれるがままに歩き出したシェリアは、少し離れた位置に停まっている馬車に気が付いた。
街の入り口からずれた位置にいるあたり、乗り合い馬車ではなさそうだ。
幌が張られていて、一見すると荷馬車にしか見えない。
見上げた先、テオドールの横顔は少し強張っていた。
「――テオ……」
シェリアは不安そうに眉を下げた。
疑っている訳ではない。
だが、彼が何を思っているのか分からなかった。
「……ああ、すまない。あの馬車に乗せてもらったんだ」
不安がっている様子に気が付いたテオドールは、少しばかり歩調を緩めた。
そして、握っている手の力を少しばかり抜く。
何も、無理やりに連れ去りたいわけではない。
恐ろしい場所に連れて行きたいわけでもない。
彼女を不安がらせることは、テオドールにとっても不本意だった。
「宿場町でカディアンと名乗る者がお前を探していた」
「カディアンが……?」
「ああ、それで――」
テオドールがゆっくりと視線を転じる。
すると、距離を詰めた馬車の御者席から、ひとつの影が地面に降り立った。
同じように視線を投げたシェリアは、少し驚いた様子だ。
「カディ……!」
「シェリア!」
駆け寄ってきた少年の名前を、シェリアは確かに呼んだ。
それでやっと確信を持てたテオドールは、その小さな手を解放した。
このふたりは、確かに知り合いなのだ。
少年――カディアンは、シェリアの前で立ち止まるなり、その華奢な身体を抱き締めた。
「ああ、良かった……良かったよ、シェリア。やっと会えた!」
「ん、私のこと、探してたの……?」
「当たり前だろ! 連れて行かれて、どうなったのかと思ってた。……ああ、シェリアだ。本当に、無事で良かった!」
抱き締められたシェリアは少し困った様子でいるものの、嫌がる素振りはなくカディアンを受け入れている。そんなふたりの様子を眺めていたテオドールは、「乗るぞ」とだけ声を掛けた。
シェリアを解放したカディアンは、テオドールに一瞥を向ける。
それから、彼女に向き直って小さな頷きを向けた。
「僕らはふたりで御者席に乗るよ。シェリアは後ろ――ちゃんと座席にしてあるから、安心して」
こっちだよ、と誘うカディアンに連れられて、シェリアは荷台の方へと歩み寄っていく。そして、一足先に御者席へ乗り込んだテオドールを見たものの、目が合うことはなかった。