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巡り合うための 3


「――……はぁっ……」


 シェリアは知らず知らずのうちに詰めていた息を、ゆっくりと吐き出した。善意で声を掛けて来たわけではないことなど、よくよく考えれば分かる話だ。

 迷子だと思われたのか。家出だと感じられたのか。店先を覗き込んでは離れていたせいで、物乞いだと思われたのかもしれない。


 実際はどうだったか確かめる術もないが、恐怖心が湧き上がったことだけは確かだ。そのせいで、思わずこんなところに駆け込んでしまった。


「……」


 シンと静まり返った室内は、調度品などがそのまま残されている。だが、随分と長く人の出入りがないようで、埃が溜まって荒れていた。床板の一部はひどく軋み、壁の一部が少し剥がれかかっている。


 扉の施錠もされていなかったが、壊れていたのかもしれない。あるいは、もう管理もされていないのか。それなりに大きな街の片隅に、打ち捨てられた家はひどく寂しかった。


「……テオ……」


 馬鹿なことをしてしまったと、シェリアは膝を抱えて小さくなった。

 書斎と思わしき一室の机の下に潜り込み、じっと息を潜める。

 三方を板に囲まれている重厚な机は扉側を向いていて、椅子のある方へ回り込まれなければ姿は見えない。薄暗い室内で、ただ静かに身体を縮める。


 彼がいたら、すぐさま間に割って入られたかもしれない。

 そもそも、彼がいたら声すら掛けられなかったかもしれない。

 無防備で無用心だった。

 今更のように反省をしても意味がないことくらいは分かる。だが、後悔するばかりだ。


 今まで彼に頼ってばかりだったことを突きつけられて、そしてもう彼がいないのだと思い知らされる。自分から離れておきながら、なんと身勝手なのかとうんざりするほどだ。

 しかし、もし自分と一緒にいることで彼に何かがあったら――そう思うと、いても立ってもいられなくなった。


「……どうしよう」


 ここから出るにしても、少し日が翳ってからの方がいいかもしれない。

 あまり目立つ行動は取りたくなかったが、人がいない場所を目指していたら、この有様だ。シェリアは、考えなしだったと再び後悔してはぐっと身を硬くした。

 時刻は、もう分からない。少しずつ少しずつ、外が暗くなっているような気がする。そろそろ日が落ちる頃だろうか。もう少し待てばいいのか。考えても、決断ができない。


 自分は、果たして魔女なのか。


 話に聞く、冷酷で残忍でおぞましい酷い魔女なのだろうか。

 考えれば考えるほどに、分からなくなる。

 違うのなら、どうして同じ顔を持っているのか。

 違うのなら、どうして火柱が上がったのだろうか。

 違うのなら、どうしてあのような夢を見るのだろうか。

 違うのなら、どうして魔女は双子だなどと言われたのか。

 違うのなら。違うのなら、違うのなら。


 考えれば考えるほどに分からなくなって、また同じ考えへと戻って来る。

 考えないようにしたところで、どうしても思考は巡ってしまうのだ。


 もしも、"そう"だったら。

 もしも、"魔女"だったら。


「――ッ!」


 外から人の声が届いて、肩が跳ね上がった。

 しかし、よくよく耳を澄ませても足音などは届かない。

 行ってしまったのだろうか。

 いいや、本当に人の声だったかどうかも分からない。

 バクバクと激しい音を立てる鼓動が抑え切れず、シェリアは膝を抱えた姿勢のまま呼吸を堪えた。


 あの日――孤児院から連れ出された馬車の中で。

 あの日――魔女だと叫ばれて逃げ込んだ倉庫の奥で。

 あの日――魔女だと追いかけられた裏口の先で。

 あの日――宿の一室から逃れて、受付の奥に閉じこもったときに。

 あちらこちらから響く声と言葉が頭の中に蘇る。


 ――魔女だ!

 ――魔女を出せ!

 ――追い出せ!

 ――魔女を殺せ!

 ――渡せ、魔女だ!

 ――この魔女め!

 ――殺してやる!


 罵倒が恐ろしくて両手で耳を塞いだとき、


 ――シェリア。


 そう呼ぶ、彼の声がした。


「……っ」


 ハッとして顔を上げても、室内には誰もいない。

 激しく音を立てる鼓動だけが自分に付き添っている。

 気のせいだったと思い直したとき、何かが軋む音が届いた。


 息を飲んだ唇を両手で覆い、ぐっと四肢に力を込める。


 ギシギシと何かが床を軋ませている。

 キィイと扉の開く音がして、数秒ほどしてから閉じられた。

 その音は、少しずつ近付いて来ているようだ。


 隣だろうか。

 扉を開く音がして、しばらくして閉じられる。


 そして、シェリアがいる部屋の扉が少し動いた。

 ドアノブがゆっくりと回される。


「――シェリア」


 届いたのは、テオドールの声だった。


「……っ」


 返事ができずに固まるシェリアのもとに、床の軋む音が近付いて来る。


「……いるんだな? 俺だ。……テオドールだ」


 シェリアが必死に息を潜めていても、薄く埃の積もった床の上には痕跡が残っていた。ほんの僅かに、小さな、迷うような足跡だ。廊下に残っていた痕跡よりも、わかりやすい。

 扉から奥へと進むその足跡が新しいことくらい、テオドールには見てすぐに分かった。


「……シェリア」


 やがて机の傍らに立ったテオドールは、小さく呼びかけてその場に膝をついた。

 机の下を覗き込めば、今にも泣き出しそうなシェリアと目が合う。

 彼女は、声も出せなくなっていた。


「シェリア、すまなかった。本当に、すまなかった。……勝手な言っているとは思う。だが、……頼む。戻って来てくれないか」


 思いもしない謝罪の言葉に、シェリアはおずおずと机の下から出て彼を見上げた。


「どう、して……」


 どうしてここが分かったのか。

 どうして彼が謝るのか。

 どうして、どうして。どうして。


 シェリアは混乱していた。


 そんな彼女を見つめて、テオドールはそっと筒状に丸めた紙を差し出す。


「――あっ」


 それは、ロサルヒドから渡された地図だ。

 探し人の名前を呼べば、玉が場所を示す地図。


 その存在を思い出して、シェリアは小さな声を漏らした。


「これを使って探した。時間が掛かってしまって、すまない」


 ささやくように小さな声を落とすテオドールは、周囲を警戒しているようだ。無人であるはずの廃屋から複数人の声がすれば、誰かが様子を見に来るかもしれない。

 そうなった時、よそ者では言い訳が通用しない可能性もある。


「……どうして」


 シェリアは、涙の滲む声で再び問い掛けた。


 彼だって恐ろしいはずだ。

 魔法でしか有り得ない火柱が決定打だったはずなのに。


 震える彼女を見つめたまま、テオドールは息を吸い、そして吐いて、意を決したように言った。


「――……お前が」


 彼女を追いかけた理由など、分かり切っていた。



「お前のことが大切だからだ」

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