商人から得た情報の通り、青い看板の宿には"カディアン"という宿泊客がいたことが分かった。それも、一ヶ月ほど前から継続して滞在しているのだという。
旅人でもなければ商人でもない。挙句に長期滞在者。それだけで、カディアンという人物は目立つ。
受付で取り次いで欲しいと頼めば、思っていたよりもあっさりと了承を返された。もし訪ねる者がいた場合は通して欲しいと、本人が希望したとのことだ。
この時点でテオドールは、カディアンに探し人がいるという情報は確かだと思えた。
教えられた部屋にいたのは、十代半ばから後半と思わしき少年だ。
くすんだ金髪に少々暗い金の瞳。裕福な身だしなみではない。商人ではないことは確かだろう。
訪ねて来た自分を探している相手その人だと思ったのだろうか。最初は、分かりやすく落胆していた。
「カディアンか」
「確かにそうだけど。アンタは誰だ?」
「俺はテオドールという者だ」
少年――カディアンは、怪訝そうに眉を寄せていく。
見知らぬ男が自分の名前を知っていることを警戒しているのだろう。当たり前のことではあったものの、今はテオドール自身もまた焦っている。
悠長にことの次第を丁寧に説明してやる余裕はなかった。
「銀髪の少女を探していると聞いたが」
「あの子を知っているのかッ?」
分かりやすく目の色を変えた少年は、ズカズカと大股にテオドールへと近付いた。
そして、まだ開かれたままだった扉を閉じるなり、すぐに向き直る。
「……俺もその少女を探しているんだ。お前の探し人は――」
探し人。
彼女は。
他に何があっただろう。
何を言えば、彼女に繋がるのだろうか。
名前を出すことを躊躇って、しかし、時間がないと思い直したテオドールは「シェリアか」と単刀直入に問う。彼女の名前を出した途端、カディアンは耐え切れないといった調子で勢いよくテオドールの胸倉に掴み掛かった。
「――オマエが連れていったのか!?」
掴みかかって来た少年は、ひどく苛立った様子だ。勢いに押されたものの、テオドールはその場に踏み止まった。
「オマエだなッ!? お前が! クソッ、あの子は無実だぞッ!」
「……何の話だ」
「とぼけるなッ! 魔女だって難癖つけて、連れていっただろッ!」
カディアンがどれだけ力を込めても、テオドールは僅かに後ろへ押し遣られるだけでしかない。力の差は体格からも明らかだ。カディアンの痩せた腕では、体格の良いテオドールを引き倒すことすらできはしない。
「待て。どこの話だ」
例の港街で起きた一件であれば、まさしくその通りだ。魔女だと言い放ち、そして一緒に来るように強要した。
「ふざけてるのか? アジュガの話だ。忘れたとは言わせないぞッ!」
テオドールは眉を寄せた。
アジュガ――その地名には聞き覚えがある。地続きだというのに、深い森と山に囲まれているせいで、主な交通手段が海路だという場所だ。
ここから随分と東にある土地で、その街と一帯の地域を示す地名はその土地に古くからある孤児院を示す場合もある。
「アジュガには行ったことがない」
「とぼけるつもりかッ!?」
「本当だ。彼女に会ったのは、港街の――ネリネ港の酒場だった」
テオドールの言葉に、カディアンはビクッと肩が跳ね上げた。何か、彼の知っている話と通じている部分があったようだ。
カディアンは迷った様子で数秒ほど視線を下げたあと、緩やかに手を離した。
「……あの子、酒場で働いていたのか?」
「ああ」
「そこで、アンタと会ったって?」
「そうだ」
「……じゃあ、その後は? 何も知らないのか?」
急に勢いがなくなったカディアンは、肩を小さく落としてテオドールを見上げた。
その瞳は確かに金だが、魔女ほど鮮やかな金色ではない。
一方のテオドールは、どこまで話したものかと迷っていた。
「……この街までは行動を共にしていた」
「じゃあっ……」
「だが、今朝方から姿が見えないんだ」
一瞬ばかり顔を明るくしたものの、カディアンはすぐにまた肩を落とした。感情表現が分かりやすい。それだけ若いというべきか。素直なのだというべきか。
テオドールは、申し訳なく思いながら眉を寄せた。
魔女だと難癖をつけた――。
その言い分からすると、カディアンは彼女を魔女だと思ってはいないのだろう。
分かりやすい反応すら演技だというのであれば話は別だが、眼前の少年はそこまで巧みな術を持っているようには見えない。
「……今朝早くに宿を出たことは分かっている。この街にはいないかもしれないが、遠くまで行っていないはずだ」
彼女の所持金を考えれば、馬車を使ったとしても次の街までが限度だろう。そして、長距離の徒歩移動は彼女の体力では難しい。徒歩だとすれば、それこそ近くにいるはずだ。
テオドールからの情報に、カディアンが訝しむように眉を顰めた。
「アンタは、あの子の事情を知っているのか」
「……ああ。一度は、魔女だと勘違いした」
「ふざけるなよッ!」
テオドールが正直に答えると、カディアンは再び苛立ちを見せた。
「あの子が魔女なもんか! あの子が何かしたところを見たのかよ!」
「……いや」
昨晩のことは、何が起きたのか分からないままだ。彼女が起こした炎だったのか。そうではないのか。別の要因があったのか。魔法だったのか。魔法道具によるものだったのか。
詳細は、何も分かっていない。
だから、テオドールは曖昧に否定するしかなかった。
「あの子がもし魔女なら……魔女だったとしたら、アジュガが無事なわけないんだ」
吐き捨てるように言い切ったカディアンは、急ぎ足で部屋の奥に戻ると鞄を持った。そして、荷物を幾つかまとめると、再びテオドールの前まで戻っていく。
「あの子は魔女じゃない」
「……そうだな」
「行き先に心当たりはないのかよ」
そのように問われても、テオドールには答えようがなかった。
しかし、進んできた道を戻るとも思えない。
確信はなかった。確証もない。それはいわば、勘のようなものだ。
魔女の話が出た街に、彼女が自ら戻るとは思えない。
「――分からない。だが、最も近い街から当たろうかと思う」
街道沿いに進まない可能性もあるが、馬車を使うのであれば街道を進んでいるはずだ。徒歩で移動しているとしても、自ら危険を冒して森に入るとは考えにくい。
だが、それ以上は分からない。
テオドールは溜め息を押し殺した。
この半年。ずっと共に過ごしてきた。だというのに、彼女がどのように行動するのかについて、確信を持つことができない。
「彼女は――シェリアは、アジュガ出身なのか」
部屋から出ようとしているカディアンに問い掛けると、少年は煩わしそうに「そうだよ」と短く答えた。
「僕らは、同じ孤児院で育ったんだ。あの子が連れ去られるまでは、ずっと一緒だった」
「……誰に連れて行かれたのかは分かるか」
「知らない。でも、立派な馬車を持ってたよ。海路じゃないから、違和感があった」
主に船を使って渡る土地。
険しい山と深い森。そこに馬車で乗り付けることなど、有り得るのだろうか。
有り得ない話ではない。だが、可能性は低い。何より、わざわざ馬車にした理由が分からない。
アジュガ周辺の山や森には馬車が安全に通行できる平坦な道などないはずだ。
テオドールが考え込んでいると、カディアンはもどかしそうに告げた。
「悪いけど、僕はあの子を連れ戻すよ。アンタの旅は危険そうだ」
そう言うなり、少年は廊下を走り出した。
テオドールはゆっくりと、自分の腰に視線を落とす。
腰に引っさげている剣。鞘自体は古いものではないが、細かな傷と日に焼けた痕跡が残っている。
「……」
カディアンは、ただの直情型の子どもではなさそうだ。自分の姿を見て装備を確認して、どういった旅をしているのかを理解しているのだから。