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捉われ続ければいいのよ。
永遠にね。
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白百合の丘から離れ、図書館を背にして進み始めた街道に人の姿はほとんどない。 そして、街道の両脇に広がる森から魔物が飛び出すわけでもなかった。
変化の乏しい街道を歩き進めて、どれほどの時間が経過した頃だろうか。
いつしか言葉数が少なくなってきていたシェリアは、そろそろ疲れているはずだ。テオドールはそう考えて、どこか休める場所を探しながら歩いていた。
いずれにしても、そろそろ昼食を取るべきでもある。
「シェリア。そろそろ休もう」
「……いいの? もう少し歩いたら、次の街があるって……」
その情報を与えてきたのは、道中ですれ違った行商人だ。
確かに、魔女の動きを考えれば早く次の街に辿り着くべきだろう。魔女自身に追いつくためにも、情報を得るためにも移動は可能な限り早い方がいい。
「……腹も減っただろう。少し休むぞ」
しかし、テオドールは休憩を促した。
あまり無理をしては、結果として進めなくなることを知っているからだ。
特に彼女の体力をいたずらに消耗させるわけにもいかない。
曖昧に頷きを返すシェリアを伴って、テオドールは街道を少し外れた。
馬車移動が一般的になってからは使われる機会が少なくなったものの、街道沿いには旅人向けの休憩所がある。
丸太を切り出したベンチに、六角形の屋根がついたものだ。
中央には焚き火の痕跡が残っているが、最近のものではないらしい。
背負っていた荷物を降ろして中を漁ると、ロサルヒドからもらったばかりの地図が見えた。
「……」
死んでいる場合と名前が分からない場合は動かない──ならば、直接の名前を知らない魔女には使えないということだろう。
だが、それでもロサルヒドは魔女探しの役に立つと言っていた。
道具は使いようということだろうか。
テオドールとしては、もう少し深く話を聞くべきだったとは思う反面、あれ以上は聞かなくて良かったようにも思った。
「――シェリア」
今朝方。館に戻った時。外にいた彼女が浮かべていた表情が、少し気になった。
「どうしたの?」
パンと果実を取り出していたシェリアは、緩やかに小首を傾げた。
今朝、ロサルヒドに何を言われたのか。
それを聞くことは簡単だ。しかし、思い出させて良い内容なのかは分からない。
テオドールは、自分の臆病さ加減に舌打ち一つでもしたい気分になった。
「……いいや。パンを」
「はい」
テオドールは取り出したナイフでパンを切り分けながら、飲み物を用意しているシェリアを眺めた。
彼女のことについて、テオドールは知っているようでいて、ほとんど知らないままだ。当初は彼女が魔女であると疑っていたせいで、名前以上の情報を聞こうとも思わなかった。その名前でさえ、酒場にいた給仕の青年達が口々に叫んでいた音を覚えていたに過ぎない。
少しずつ少しずつ、自分と出会う前のことを聞くことはあっても、彼女は自ら進んで話をするタイプではない。結果として、ところどころに曖昧な部分が残ったままになっている。
今更、彼女の生い立ちなどを問い掛けたら、警戒されてしまうだろうか。
あるいは、怯えられてしまうかもしれない。
パンとカップを互いに交換して食事を始める頃には、ふたりとも無言になっていた。
何も珍しいことではない。
テオドールもシェリアも、互いに口数が多い方ではなかったからだ。
魔女の話に触れないようにすれば、自然と言葉が少なくもなる。
「……シェリア。もう少し食べろ」
一足先にパンを食べ終えたテオドールは、果実の皮を剥きながら告げた。
赤々と色付いた皮がするりと下りて、瑞々しい果肉が顔を出す。少し硬い果肉を切り分けて差し出すと、シェリアは両手で受け取った。
「ありがとう。食べてるよ」
「少ないだろう」
「ううん、平気だよ」
「……そうか?」
シェリアの身体は細くて薄い。
同じ年頃の娘と比較しても、家畜の乳と肉で育った少女とは差が出ているように思えた。とはいえ、テオドールのその記憶は、故郷を奪われるまでの短い期間だけだ。
「うん。ありがとう。大丈夫だよ」
小さく笑って果実に口をつける彼女を見つめながら、テオドールは緩やかに息を吐いた。その胸元には、淡く色付いた花のペンダントが揺れている。
お守りだと言ってペンダントを差し出したファムビルは、魔女を追うことをやめたという。他にするべきことが出来たからだ。
それは諦めたというべきなのか、生き方を変えたというべきなのか。
『君も似たようなものだろう?』
『いずれ分かるとも――存外、魔女の思い通りにはならないものだ』
シェリアを見つめながらファムビルの言葉を思い出していたテオドールは、やがて小さく首を振った。
こうして追っていることが、例え魔女の思う壺だったとしても。
テオドールには、ファムビルのように故郷を奪われた過去を忘れて没頭できる仕事もない。ならば、今の自分には何があるのだろうか。それを考えた時に思い浮かんだものは――。
「――……」
果実を食べ終えて布で手を拭う少女を見つめたまま、テオドールは僅かばかり眉を下げた。
彼女のことは、確かに大切に思っている。
半年前、どうしてあれほど疎むことができたのか、今となっては自分でも分からないほどだ。
果実に歯を立てたテオドールは、口の中に広がる果汁の甘さに眉間の皺を深くした。