「──どういう、ことだ」
テオドールは驚きのあまり息を飲んだあと、喉奥から声を絞り出した。
魔女は、ふたり――そんな話は、今まで誰からも聞いたことがない。
「はぁー、結論ばっか急ぐんじゃねえよ。話には順序ってもんがある。回り道は好かんが、理解したいなら順序を守れ」
ちらりとテオドールを見て鼻を鳴らしたロサルヒドは、再び右手で頬杖をついた。その目は、主にシェリアへと向いている。
翡翠色の視線に射抜かれた彼女は肩を小さくしていて、小柄な身体を更に縮めていた。
「魔法使いの家系には、魔法に関わる伝承があってな。あー、分かりやすく言えば、そいつを継ぐのも後継者の役割ってわけだ」
「……魔女の話も、受け継いでいるのか?」
「そうだ。――"死ねない魔女"って奴だけどな。安易なネーミングで馬鹿馬鹿しいが、実際に伝わっている話だ」
口許を歪めたロサルヒドは、短い溜め息を落とした。
実に煩わしげではあるものの、まだ話をする気はあるようだ。
テオドールは、彼の気が変わらないよう慎重に頷きを返した。
「魔法ってのは複雑なもんでな。魔力があるだけじゃ扱えねえ。魔法を使うには、まず魔法を知る必要がある」
ロサルヒドは、左手でコツコツとテーブルを叩いた。
テオドールもシェリアも言葉を挟もうとはしない。魔法使いの話を聞く機会は、実に貴重だ。眼前にいる男が難しい性格をしているというのなら、いらぬ反応で話を打ち切られる可能性もある。
「魔法には良い面も悪い面もある。両方を知らねえと、魔法本来の力を扱う事なんざできねえ」
コツコツコツコツ。
神経質なのだろうか。それとも落ち着かないのだろうか。
テーブルを叩くロサルヒドの指先は止まらない。
「つまり、だ。使ってはならねえ魔法についても知らねえと、使って良い魔法も扱えねえ。ここまでは分かるな?」
「……ああ」
低く答えたテオドールは、シェリアへと目配せをした。シェリアもまた、こくこくと頷きを返す。
「使ってはならねえ魔法ってのは、あー、分かりやすく言うとだな……時間と命に関わるものだ。死者を生き返らせるなんざ分かりやすく禁忌だろ。だが、命の流れを知ってねえと病どころか怪我にも手は出せねえ」
次第に面倒臭がる雰囲気を濃くし始めたロサルヒドは、再びシェリアを見遣った。
シェリアは静かなものだ。質問もしなければ、テオドールのように答えることもしない。だが、大人しいながらも、小さな頷きを何度も返していた。
「"刻"と"生命"は神の領域。地上に生きる者が触れてはならない――ってのが、魔法使いが最初に覚える文言らしい。つまりは約束事だな」
コツン。
大きな音を立てて、ロサルヒドの指が止まった。
そして、テオドールとシェリア、それぞれに視線を向ける。
テオドールは僅かに姿勢を前に傾け、テーブルに片腕を置いた。
「その魔法が、魔女と関係しているのか?」
「ああ」
ロサルヒドの肯定はシンプルだ。
翡翠色の目を伏せた彼は、今度は頬杖をついた方の手を動かし始めた。
何事か、考えている様子で指先が頬をなぞる。
そして数秒の沈黙を経て、言葉を放った。
「――"死ねない魔女"は、禁忌に手を出した女だ。神から罰を受け、それ以降は永遠を生きているとされている」
「……不老不死ということなのか」
テオドールは眉を寄せた。
それが、自分達が追っている魔女を示しているのかは不明だ。
とはいえ、もしもの可能性がある限り、厄介であることには違いない。
「さぁな。俺は会ったこともねえし、事実かどうかは知らん。だが、伝承の魔女は確かに金の目と金の髪を持った娘だ。そして――」
瞼の裏に隠れていた翡翠色の瞳が、シェリアへと向けられる。
「古い話では"ふたり"とされていた魔女は、時代が進むにつれて"ひとり"になる。存在が統合されたのか、そもそも"ふたりではなかったのか"は謎だ」
ビクッ、と。
シェリアの細い肩が跳ね上がった。ペンダントを握り締める手指が微かに震えている。
「――……それは、……」
金と銀。
対照的なふたつの色合い。
よく似た顔立ち。
もしも、魔女が"ふたり"いるのだとすれば。
シェリアは、困惑気味に眉を寄せた。
「……違う」
途切れがちに声を出そうとした彼女を制したのは、テオドールだ。
その視線は、じっとロサルヒドを捉えている。鋭い目は、睨み付けているにも等しい。
確かにシェリアは魔女とそっくりだ。いいや、そっくりどころか――同じ顔だ。
似ていることと同じであることは、全く違う。よくよく見れば似ているなどというものではなく、振る舞いさえ気にしなければ、全く同じ存在に思えたのだ。
だが、それも半年前の話だ。
共に過ごすようになってから、テオドールはシェリアをよく見てきた。
最初は魔女ではないかと疑って、次第に魔女ではないようだと引っ掛かって、今では魔女である可能性を否定している。
彼女が、あの冷酷な魔女であるはずがない。
あの魔女の、片割れであるはずもない。そう思いたかった。
「知らん。俺は事実を述べただけだ。禁忌を犯した魔女は金髪で、そもそもは"ふたり"だった――ってな」
そう言うと、ロサルヒドはゆっくりと頬杖を解いた。
そして、気だるげな調子でシェリアを示す。
「そいつが魔女だろうが何だろうが、俺としちゃどうだっていい。言ったろ。ペンダントに免じて、話してやっただけだ」
ロサルヒドの言葉にシェリアは困惑した。
魔女は"ふたり"――その言葉に、お前は魔女だと突きつけられたような気分になってしまう。
しかし、テオドールは違った。
たとえシェリアが魔女であったとしても、金を抱いたあの魔女と別人なら――。
彼女にお守りと称してペンダントを渡したのはファムビル。そして、そのペンダントを見て、ロサルヒドは魔女の話をした。
ファムビルの過去を知っていれば、魔女と彼の関係など想像がつく。取引相手であるミレーナが知っていたのだから、温室を作るための道具を提供したロサルヒドが知っていてもおかしくはない。
「眠い」
唐突にそう言い放ったロサルヒドが椅子を引く。
急に立ち上がった彼を見上げて、シェリアは困惑を深めた。
「ま、待って下さい……その、……」
まだ聞きたいことがある。
うまく質問が出てこないが、まだ彼の話を聞きたかった。
しかし、シェリアの制止に対して、ロサルヒドは面倒臭そうに首を振る。
「うるせえな。続きは明日だ。お前らは二階を使え。上にあるもんは好きにしろ」
「……え、あ、あの……」
「食いもんも水も好きにすりゃいい。俺は奥の部屋にいるが、起きてくるまでほっといてくれ」
「あの、ロサルヒドさん……」
困惑しているシェリアのことなど、何処吹く風。マイペースな調子でさっさと立ち上がって扉を開いたロサルヒドは、不機嫌そうに眉を寄せている。
ひょっとしたら、不機嫌なのではなく、ずっと眠たがっていたのかもしれない。
そう思い当たったテオドールは、何ともいえない気持ちになった。
「そこの階段からだ。――お前。真夜中に女連れて、外をぶらつく趣味はねえだろ?」
廊下に出たロサルヒドの言葉に、テオドールは「……ああ」と短く返した。
「すまないが、使わせてもらう」
「そうしろって言ってんだろ。とっとと行け」
追い払うように手を揺らしたロサルヒドに追い立てられる形で、テオドールはシェリアを連れて立ち上がった。
リビングから抜ける頃には、家主である彼はもう既に廊下の奥へと向かっている。
すぐ脇にある階段を見上げたあとで、テオドールは彼の背に会釈を返した。
振り返らずに、ひらりと手が振られる。
ロサルヒドと接するにはコツが必要だ――とは、ファムビルの言葉だ。確かにそうかもしれない。彼は、誤解されやすい人物なのだろう。テオドールはやや納得して、傍らのシェリアを促した。
廊下の奥に向かってぺこりと頭を下げた彼女は、まだ少し展開についていけていないようだ。
「話は明日だそうだ。上の部屋を使わせてもらおう」
「……うん」
「シェリア。こういう時は好意に甘えればいい」
「……うん。そう、だよね」
一足先に階段を上がり始めたテオドールを見上げてから、シェリアは再び廊下の奥へと視線を投げた。
薄暗い廊下の先にある扉に入ったロサルヒドは、何を思っているのだろう。
考えても仕方がない。
思考を追い払ったあと、もう一度頭を下げたシェリアはテオドールを追った。