結局、何度呼びかけてもロサルヒドが再び顔を見せることはなかった。
何が気に障ったのか。やはり、単純に気難しい男なのか。それとも、"魔女"を知っているのか。結局のところ、その理由は謎だ。
来るべきではなかった――少なくとも、シェリアを連れて来るべきではなかったのだとテオドールは後悔した。傍らのシェリアが、ひどく落ち込んでいるように見えたから尚更だ。彼女のせいではないことは明白だが、ロサルヒドが彼女を見て「魔女の件」と口にしたことも確かだった。
図書館へと戻ったふたりは、再び本を読み始めた。
魔法について。
魔法使いについて。
魔女について。
専門書から眉唾ものの伝承まで、ひたすら書物を読み漁るふたりのもとに司書達は近付かなかった。
白百合の丘を教えてくれた女性も、会えなかったのであろうことは察したようだ。 もとより望み薄だったのだと無理に納得しようとしても、テオドールはシェリアが気になって仕方がなかった。
「――シェリア」
日が暮れ始めた頃、テオドールはメモを取り続けている彼女に声をかけた。
図書館内にはひと気がなく、不気味なほどに静まり返っている。
「急がなくてもいい。情報は少しずつ集めよう」
顔を上げたシェリアは眉を下げた。
テオドールが早く魔女に会いたがっていることは知っている。
だからこそ、何も進んでいない現状が歯痒くて仕方がなかった。
「……明日」
ゆっくりと声を出したシェリアに、テオドールは首を傾げた。
そして、先を促すようにうなづきを返す。
シェリアは迷いながら「目撃者を、探した方がいいかも……」とつぶやくように告げた。
この街に魔女の目撃者がいるとは限らない。
だが、探さなければ見つからないことは確かだ。
港街の一件から足取りが完全に途絶えている魔女を探すためには、僅かな痕跡でも必要だろう。
しかし、テオドールは緩やかに首を振った。
「そうだな。……だが、決めるのは明日でもいい。今日は宿に戻ろう」
「……うん」
立ち上がったテオドールにつられて、シェリアも腰を上げた。ずっと座っていたせいか、全身が少し強張っている。
彼女がテーブル上のメモ用紙を集めて折り畳む間に、テオドールは周囲を見回した。どうやら、図書館内に残っている利用者は自分達だけのようだ。
「……食事をしてから、考えようか」
「うん」
「……何か食べたいものはあるか?」
シェリアの戸惑った様子に、テオドールはこれまでのことを後悔せずにはいられなかった。今までの街では、目立たないように過ごすことを彼女に強いていたからだ。
食事も、テオドールだけが市場で買ってくるか、せいぜい宿か酒場で済ませていた。今更になって希望を聞いたところで、すぐには答えられないだろう。
「……店にでも入るか?」
沈黙に耐え切れずに問いを重ねたテオドールに対して、シェリアは緩やかに首を振った。
「ううん。……何か買って、お宿で食べない?」
「……そうだな。せっかくだ、温かいものを食べよう」
「うん。ありがとう」
連れ立って図書館から出たふたりは、ひとまずは宿へと戻る道に足を向けた。相変わらず混雑している大通りを進めば、静まり返っていた図書館と街中の空気の差が露骨に感じられる。
図書館内が静だったことは当然ではあるのだが、こうして比較すれば、あまりにも別世界だ。宿に向かう途中で立ち寄った店で野菜のスープとパンを買い、ついでにちらりと港街の話を出してみた。
だが、店員はあまり知らない様子だ。物流が滞っていることや港街から人が逃げ出していることだけは伝わっているものの、詳細までは知らなかった。
大通りに面した店の者が詳しく聞いたこともないというのなら、この街自体に事件の詳細が届いていない可能性が高い。
テオドールは、何か知っているのかという相手の問いに答えを濁した。
余計な情報を落として混乱させる趣味はないからだ。
背後に隠れるようにしていたシェリアを促したテオドールは、店を出るなり宿へと足を向けた。
少し気を張っていたものの、人ごみの中で声をかけてくる者はいなかった。
ただ、建物に入るなり宿屋の青年に「おかえりなさい。どうでした?」と聞かれて、少々面食らってしまう。
「どうでした? 会えました?」
「いや……」
「あー、そうですよねぇ」
いかにも結果を聞きたがっている青年を前に、テオドールは軽く眉を寄せた。
だが、丘の場所を聞いた手前、無碍にもできない。
「シェリア。先に戻ってくれ」
「え、あっ、うん」
スープとパンの入った紙袋を受け取ったシェリアは、多少困惑気味だ。しかし、驚きはしても嫌がることも拒否することもない。
廊下へと向かった背を見送ったあとで、テオドールはカウンターに近寄った。
「よくあることなのか?」
「え? ああ、まぁ、そうですね。よくあることですよ」
テオドールの確認に対して、青年は緩く笑って肩を揺らした。
「先代も似たような感じだったそうで、あまり人と会いたがらないんですよ。悪い人ではないんですけどね」
「話したことはあるのか」
「ありますよ。図書館というか、街の管理者ですからね。この宿も、大元は図書館の管轄なんですよ」
この街は、プラタナスと呼ばれた大聖堂図書館の周囲に人々が集まることで出来上がったものだ。大聖堂としての役割は消えたとはいえ、既に図書館は観光地としても、情報が集まる場としても成立している。
図書館の創立者が管理者となり、やがて出来上がった街のまとめ役となった流れ自体は、テオドールとしても理解できないわけではなかった。
しかしながら、宿屋まで管理しているとなれば、他の店も同様だろうかと思えて来る。それではまるで、管理者というよりは統治者ではないだろうか。
「幾分か変わり者であるように聞いたが」
「うーん。そうかもしれないですね。でも、魔法使いなんて、そんなものじゃないですかね……?」
青年は軽い調子で、曖昧に首を傾げた。
管理者であるロサルヒドは魔法研究家ではなく、"魔法使い"としてこの街では認識されている。ならば、やはり彼は魔法使いなのだろう。
テオドールは溜め息を押し殺した。どうにか話を聞きたいものだが、今日のあの様子では押したところで逆効果にしかなりそうにない。
どうするべきか。
どのような手を使った方が、魔女の情報を得られるのか。
「……」
テオドールは青年に会釈をして踵を返した。
シェリアを利用する手なら思いつく。
だが、どうしても、その手を使いたくはなかった。