宿屋の青年に"白百合の丘"について問い掛けたところ、幾分か驚かれてしまった。
街の者であれば知っていることも話題に上がることも珍しくはないが、旅の人に聞かれたのは初めてだ――とのことだ。
そんな情報を教えてもらって本当に良かったのかと、シェリアは気にしていた。 しかし、テオドールとしては、その情報を活かさない手はない。
結果としては、ふたりは街から三十分近くも歩いた先にある丘へとやって来た。
白百合の丘などと呼ばれるだけあって、道の両脇には白い百合が咲き誇っている。
それが植えられたものらしいとは分かるものの、これだけ白ばかりが集まっている光景は珍しい。
道を振り返れば、少し離れた位置に街が見えている。しかし、この程度の距離では、あの巨大な図書館の存在感はまだまだ強い。
「……テオ」
隣からシェリアが小さな声と共にテオドールの袖を引く。
彼女が示す先には、起伏のある地形で隠れるように川と小船があった。
木製の杭に繋がれている小船は、放置されているものではなさそうだ。
「船で出入りしているのかもしれないな」
小船の様子を眺めたテオドールは、そう呟きながら丘の上へと視線を転じた。
丘の頂上付近に建っているのは、白亜の建物が一軒だけだ。小船が繋がれた川からは五分と掛からない。
白い壁を飾るように、家の周囲にも白い百合が咲いている。
「いいか?」
「……うん」
シェリアは、やや緊張した面持ちではあるものの問いには頷きを返した。それを受けてテオドールが扉を叩くものの、ノックに対する応答はない。
だが、中では確かに物音がしている。
家の中に誰かがいることは確かなようだ。
催促のノックはせず、沈黙と共に待っていると扉が薄く開かれた。
「……何の用だ」
顔は見えない。
だが、声からすると男性だ。
「――突然すまない。ここに住んでいる魔法研究家の方と話がしたい」
テオドールがそう言うと、男性は面倒くさそうに溜め息をついた。
シェリアは、彼の後ろに隠れたままの状態だ。
いずれにしても、扉の隙間から覗いている相手からその姿は見えていない。
「……誰から聞いた」
「街の方だ」
「……誰からだ?」
「名前は知らない」
男性とテオドールのやり取りに、シェリアはどんどん不安を募らせた。
怒っているように思えてならないせいだ。
テオドールの背中に身を寄せて、服にしがみついている。
そんなシェリアを守るように、彼はその場から動こうとはしない。
「……ったく。めんどくせえな……」
盛大な溜め息と共に扉が閉じられ、そして再び、今度は大きく開かれた。
姿を見せたのは、短い金髪に鋭い緑の瞳を持った男性だ。黒い服を纏っているが、ローブというわけではない。
手本のような色合いと整った顔立ちを持つその男性は、ファムビルよりも更に少し年上のようだ。
「……で、話ってのは何だ? 何が聞きたい? 内容次第で答えてやるよ」
面倒臭いと言い放った言葉の通り、男性はひどく気だるげだ。だが、テオドールはすぐには本題に入ろうとはしなかった。
「ロサルヒドという魔法研究家に会いたいのだが」
眼前の人物が何者なのか、分からないためだ。迂闊に余計な話を広めたくはない。
テオドールの問いに対して、男性は露骨に怪訝がって眉を寄せた。
「……ああ? 名前まで知ってんのかよ……誰から聞いた?」
先ほどと同じ質問にテオドールも眉を寄せてしまう。彼はいったい、何を警戒しているのか。
答えるべきか、否か。テオドールは迷った。
ファムビルの話によれば、関係は悪くないように感じられる。それなりの付き合いがあるように思えたのだ。だが、違ったのだろうか。
双方が沈黙すると、テオドールの後ろからシェリアが顔を見せた。
「……あの、花の街の、ファムビルさんからお聞きしました」
「あ?」
唐突な少女の声に男性――ロサルヒドは、これでもかと更に眉間へ皺を寄せた。 その表情に、シェリアがびくっと身体を跳ね上げる。
すると、ロサルヒドは一歩前に出た。
シェリアを見ようとしたようだが、生憎とテオドールが盾となっている。そして、テオドールは、動く気がないようだ。
数秒ほどで姿勢を戻したロサルヒドは、口許を歪めてテオドールを見た。
「……アイツが何を言ったんだか知らねえが――」
不躾な眼差しでシェリアを眺めたロサルヒドは、睨むように目を細めていく。
上から下まで。シェリアの髪から足元まで、眺め降ろして言い放つ。
「――魔女の件なら話すことなんざねえよ。帰ってくれ」
吐き捨てるように言うなり、彼は家の中へと引っ込んでしまった。荒々しい音を立てて扉が閉じられた直後、テオドールの背後からシェリアが飛び出した。
「――……あのっ!」
小さな手が、扉に触れる。
ロサルヒドはシェリアを見て、"魔女だ"とは言わなかった。
しかし、何の話かは言っていないというのに、魔女の件だとは分かったのだ。
「ごめんなさい。少しだけ、少しだけでいいので……」
彼は、きっと何かを知っている──そう思ったシェリアは、すがるように扉へと話しかけた。
しかし、返答は何もない。
「お願いです。どうか……少しだけでも、お願いします」
シェリアの声が震え始めた頃、テオドールはやんわりと彼女を制した。