テオドールとシェリアは、馬車に揺られながら御者の話を聞いていた。
御者の男は、運搬が主な仕事らしい。
運ぶ荷物にはこだわりがなく、花や本なども受け付けているそうだ。
依頼次第であちらこちらの街に行くため、男はさまざまな街を知っていた。
「お嬢ちゃん、カラジュムには行ったことあるかい?」
御者席から飛んできた問いに、外を眺めていたシェリアは驚いて肩を跳ね上げた。そして、ゆっくりと馬車前方の御者席を振り返る。
「いえ……どんなところですか?」
「知らないのかい? 水都っていう、水に浮いた街だよ」
「水に……?」
シェリアはきょとんと目を丸くした。
そのような街は、聞いたことすらなかったからだ。
彼女の視線を受け止めたテオドールは「近いのか?」と問い掛けた。
彼もまた、名前を聞いたことがある程度だった。
「近くはないねぇ。街道をまっすぐに進めば、でっかい川があってな。沿って進めば、そのうちあたるよ」
御者の大雑把な説明に、テオドールは曖昧な相槌を返した。
その反応から、ふたりともよく知らないと感じ取ったのだろう。御者は軽く笑って「道が全て水路でね」と話を続けた。
「とにかく水が溢れかえってる。ああ、お嬢ちゃんは、きっと歓迎されるだろうねぇ」
「何故だ?」
「そりゃあ、そんなに可愛い子なら歓迎されるだろうよ。特にカラジュムの男は女の子に弱いからねぇ」
軽い調子で笑う御者の声に、テオドールはげんなりとした。
そのような街に行けば、シェリアが戸惑う様子など既に見えたも同然だ。水都と聞いて多少興味を持っているらしいが、シェリアは相変わらず特に自己主張はしない。
「プラタナスは遠いのか?」
テオドールは話題を切り替えるべく、目的地の話を持ち出した。
「いんや、遠くはないよ。昼過ぎにはつけるさ。今日は天気もいいし、相棒も元気だからさ」
相棒と示された馬が鳴き声を上げると、御者は面白がって笑った。
ひとりきりで仕事をしていると、口数が少なくなりそうなものだ。
しかし、この男はそうでもないらしい。
もしくは、自分達がいるから話したくなっているのか。
テオドールは、ちらりとシェリアを見た。
荷台から外を見つめている横顔は、不安そうなものではない。
街道を進む馬車はガタガタと細かく揺れている。
その揺れにも、もう慣れたものだ。
馬車自体も古いようで、ガタついていた。
街道の両脇を覆う森は深いようで、人の手が入った様子はない。
しかし、その分だけ、街道が整備されているようだ。
「ま、何事もなければって感じだがねぇ――ほら、最近は物騒だろう?」
変わり映えのない景色を眺めていたテオドール達は、御者の言葉を受けてほとんど同時に振り返った。
物騒。
そう聞いて思い当たるものは、そう多くない。
テオドールは、シェリアの様子を一瞥してから御者の背に視線を向け直した。
「……港の件か」
「お! 聞いたことあるかい? そうだよ。大変だったらしいなぁ」
「そのようだ」
どうやら御者は、直接何かを見聞きしたわけではないらしい。テオドールは多少の安堵を得て、自然と力が入った肩をすくめた。
「おっかない話だねぇ。魔女だなんだって言って、本当は魔物かもしれないしなぁ」
やれやれなどと笑う御者は、さほど深刻そうではない。
明日は、我が身――とはいえ、第三者の認識などこのようなものだろう。
自身に降りかかる火の粉を払うことはあっても、自ら火の元を探して水をかける者は少ない。
「兄ちゃん、守ってやんなよー。ここいらじゃ盗賊より、魔物の方が出るって言うしな」
「……遭遇したことは?」
「いんやー、ないなぁ。夜はなるべく動かないようにしてるんだ」
「そういった被害は多いのか?」
「魔物被害かい?」
矢継ぎ早なテオドールの問いに、御者は手綱を握ったまま振り返った。シェリアの肩が小さく跳ねる。
「んんー、ここいらの区画なら街道沿いはまずないねぇ。旧街道や森に入ったら危ないだろうが」
「……魔物除けでもしているのか?」
「らしいねぇ。くわしくは知らないが……ああ、ちょうどいい。あれだよ、あれ」
そう言って、御者は街道の方を示した。しかし、テオドールとシェリアの位置からではよく見えない。
「あそこに立ってるのが、魔物除けだってよ」
馬車が少しずつ進むと、やがて街道脇に白い円柱が見えた。それはワインボトル程度の大きさで、あまり目立ちもしない。言われなければ、気が付きもしないほどだ。
「何でもプラタナスの、あー……何だっけか。先代だったかな。その人が、花の街と繋ぐ街道に取り付けたって話だ」
「図書館の管理人か?」
「そうそう。前のな。いやぁー、魔法使いってのはすごいねぇ。魔物まで除けちまうなんて」
御者の話が本当なら、やはり図書館の管理者は魔法使いの家系ということになる。 テオドールは離れていく白い石のオブジェを眺めた。
よくよく見れば、通ってきた道には転々と似たようなものが設置されている。
「魔法使い、か……」
かつては王城にも魔法使いがいたという。
しかし、圧倒的な術や力を民は恐れるものだ。
いつぞや、大きな戦が起こった際に魔法使いは随分と姿を消したと聞く。
自ら姿を消したのか。
それとも、消されてしまったのか。
随分と昔の話で、真相は不明だ。
「……話、聞いてくれるかな……」
テオドールの呟きにシェリアは少しばかり不安を滲ませた。
どのような人物かは分からないが、魔法使いは総じて変わり者が多いとされている。そもそも、ロサルヒドなる人物が、魔法使いかどうかは分からない。だが、ファムビルの言葉を鵜呑みにするならば、一筋縄ではいかない可能性は高い。
「大丈夫だ」
頷いたテオドールは彼女の小さな手に触れようとして、すぐにやめた。
「……不安がることはない」
代わりに言葉を重ねると、シェリアは眉を下げて微笑んだ。
この半年ほどの旅で、彼が度々気に掛けてくれることをシェリアは知っている。そこに罪悪感があることも分かっていた。
魔女だ――と。
彼が言い放ったことを忘れはしない。
しかし、それはもう許している話だ。
「……うん。ありがとう、テオ」
シェリアを魔女と呼び、罵り、暴力を振るった者はテオドールだけではない。
彼だけが気に病む必要もないというのに――。
シェリアは、テオドールの横顔を見つめて静かに息を吐き出した。
魔女は何者なのか。
その目的は何なのか。
もしかしたら魔法使いなら知っているのではないかと、期待がないわけでない。
だからこそ、話をさせてくれる相手でなかったらと、不安で仕方がなかった。