再びテーブルへと戻ってきたファムビルは、シェリアに小さなペンダントを差し出した。
「お守りだ」
あまりにもシンプルな一言を前に、シェリアは困惑しながらおずおずとペンダントを受け取った。
長い革紐の先には淡い桃色の花が入っている。まるで氷に固められたかのようだ。透明な雫型に閉じ込められている。
まじまじと見つめたシェリアは、その美しさに目を瞬かせた。
つやめいた表面には傷ひとつない。
なめらかな曲線は、加工技術の高さを思わせた。
水晶であったとしても、こうも美しい姿になるとは思えなかった。
「あ、あの、こんなに素敵なもの、いただけないです……」
あわてた調子でシェリアが顔を上げる頃には、ファムビルは既に向かいの席に戻っていた。そして、シェリアの様子を気にするでもなくカップを持ち上げる。
「テオ……」
困惑したシェリアは、とうとう隣の彼へと顔を向けた。
静観を決め込んでいたとはいえ、その視線には耐え切れない。テオドールは、彼女の小さな掌に乗せられたペンダントを見た。
雫の中に浮かぶ花は押し花ではなさそうだ。
似たようなものは店でも見た記憶があった。
しかし、こうも透明度の高い石など見た事がない。
気泡ひとつ入っていない。
相当に値が張るものなのではないか。
こんなものを気軽に差し出されて、困惑しないはずがない。
現にシェリアは、受け取った姿勢のまま硬直している有様だ。
テオドールが視線を持ち上げたとき、ファムビルがやっと口を開いた。
「いずれ役に立つ。……持っておくといい」
カップをソーサーに置く音だけが響く。
二人は思わず顔を見合わせた。
シェリアは、まだ困惑したままだ。
お守りだと告げられてしまうと、無碍にはできない。
シェリアの困惑は明らかだったが、テオドールもまたどうすればいいのか分からずにいた。
「――魔女は」
しばらくの沈黙を経て、ファムビルが再び声を出した。
「花は散るために咲き誇ると言った。……だが、私はそのようには思わない」
魔女の言葉を否定したファムビルは、まっすぐにシェリアを見遣った。視線を受け止めた彼女の緊張感が、テオドールにも伝わってくる。
彼女が魔女であったなら、このように緊張するだろうか。
魔女が彼女と繋がりを持っているのなら、彼女の緊張は尤もだと言えるだろうか。
テオドールは浮かび上がった思考を振り払ってファムビルを見た。
「確かに、温室の花々は弔いのために始めたものだ。しかし、今や別の意味を持っている。離別の悲しみを埋めるためだけではなく、祝福の意味さえ込められている」
ファムビルは、シェリアを見つめて微笑んだ。
金の瞳とはまるで違う。温度すら異なるように感じられる銀の瞳。
それを、まっすぐに見つめて彼は言う。
「魔女を追うというのであれば、私はそれを止めはしない。だが、君達に訪れるであろう困難を見過ごすことも出来ないんだ」
ファムビルの言葉に反応したのは、テオドールだった。
止められたところで、魔女への復讐を諦めることなど到底できない。
シェリアのためにも、彼女の潔白を証明するためにも、もう二度と彼女が魔女などと迫害されないためにも。
テオドールは、何があろうとも魔女を討つ気でいる。
だからこそ、ファムビルの言葉に引っ掛かりを覚えた。
「……あなたは」
問いかける声が、少し震えてしまう。自分自身とは異なる選択肢を選んだ男を前にして、テオドールは言葉を誤りそうになった。
諦めるのか。逃げるのか。
今も尚、人々を傷つけ続ける魔女に何も思わないのか――。
責めるべき相手は彼ではない。
テオドールは、ひと呼吸を置いた。
あの日、シェリアをひどく傷つけた己に彼を責める資格などない。
そう思えたからだ。
「……魔女を、追わないということか」
「ああ。私はここで花々を、そして街を守るつもりだ」
ファムビルの肯定は、あっさりとしたものだ。
彼としても、復讐の気持ちを失ったわけではない。
故郷を、家族を、友人を、奪われたあの日を忘れられるはずもなかった。
何の罪もない者達が地にひれ伏し、圧倒的な力を前に成す術なく全てを奪われた光景を。まだ言葉も分からない幼子でさえも、無残に引き裂かれた光景を。
忘れてしまえるほど、ファムビルは無情にはなれなかった。
自分を追えと誘う魔女の声も言葉も、そして表情も、鮮明に覚えている。
「私には……他に、やるべきことができた」
ファムビルは諦めたという様子でもない。
だが、魔女を追うつもりはないというのは本当なのだろう。
テオドールはそう受け取って、肩から静かに力を抜いた。
知らず知らずのうちに、随分と力が入っていたようだ。
シェリアのこと、そして魔女のこととなると、どうにもその傾向がある。
そんなテオドールの様子を見つめて、ファムビルは薄く笑った。
「君も似たようなものだろう?」
「……」
沈黙を返したテオドールは、ちらりと隣の彼女を見た。
シェリアはペンダントを見つめている。その横顔は、やはりどこか不安げだ。
ファムビルは、静かに二人を見据えた。
「いずれ分かるとも――……存外、魔女の思い通りにはならないものだ」