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きらいよ。生き物なんて。
死んでしまうもの。
――ほら。見て。ねぇ、……なんて呆気ないのかしらね。
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「――来たか」
再び温室を訪ねたテオドールとシェリアの前に現れたファムビルの声は穏やかだった。誘われるがままに花々の区画を抜ければ、ほどなくして東屋に似た一角へと辿り着く。
着席を促されたふたりは、互いに相手を見遣ってから隣り合ってソファに腰掛けた。
「昨日はすまなかった。少し、言葉が過ぎたようだ」
置かれていたティーセットに腕を伸ばしたファムビルは、やはり淡々とした調子で言葉を口にした。
「……いいや。こちらこそ、すまない」
困惑しているシェリアを一瞥したテオドールは、彼女の代わりに声を出した。
魔女の悪行に苦しめられた者は多い。それが直接的なものか、間接的なものかは意味のない問いだった。
似ているだけだ――そう認識されること自体が珍しい。
唐突に魔女とよく似た少女を見たファムビルは、それなりに動揺したはずだ。
少なくとも、テオドールにはそう思えた。
シェリアを初めて見たときの自分は、正しく判断できなかったからだ。
その点、昨日のファムビルは、かつての自分よりずっと冷静だったように見えた。
「何を聞きたいのかは知らないが、私もそれほど多くの情報を持ち合わせているわけではない」
ファムビルはそう言いながら、紅茶で満たしたカップをふたりの前に置いた。
そして、シェリアを一瞥するなり、砂糖とミルクの容器まで添える。
「些細なことでも構わない。魔女について、知っていることを教えて欲しい」
彼が椅子に腰を下ろしたタイミングで、テオドールが口を開いた。
「……差し支えなければ」
そう付け足したのは、ファムビルもまた魔女の被害者であると知っているためだ。 彼が語りたくないことや知られたくないことまで、情報として欲しているわけではなかった。
テオドールの気遣いを察したらしいファムビルは、口の端を薄く持ち上げた。
「情報は多くないが、私も元々は魔女を探していた身だ。協力する気はあるとも。そうでなければ招き入れはしない」
ファムビルは目を伏せて笑うと、カップを口許に運んだ。
あのミレーナが、わざわざ紹介して来ただけあるというべきか。
協力の姿勢を見せてくれるだけでも、テオドールとしては有り難かった。
カップをソーサーに戻したファムビルは、おもむろに口を開いた。
「魔女の襲撃に遭ったのは、十六年前……当時の私は十二歳だった。生き残りは私だけだ」
「……魔女と話を?」
「ああ。空中から地に降り立ち、屍の上で笑っていた。……忘れもしない。忘れるはずなどない」
じっと、ただ話を聞いているシェリアに、ファムビルの視線が向く。
緊張気味な銀の瞳を見つめて、彼は静かに息を吐いた。
「――花は散るために咲き誇る。赤ん坊は良い、無垢で染まりやすいから……そのように言っていたな」
生き残りはひとり。
それも年少者だ。だが、最年少とは限らない。
襲撃のとき、テオドールは七歳。まだ幼かった弟は、無残にも事切れていた。
生き残りは、意図的に選ばれているのだろうか。
「……陳腐な言葉だ。何も新しいことなどない。有り触れすぎていて有益な話ではないな」
テオドールの思考を遮ったのは、ファムビルが落とした言葉だった。
「立ち去る間際に残されたのは、戯れのような言葉だった――」
静かに息を吐き出したファムビルの口から紡がれた言葉に、テオドールは息を呑んだ。
『だから、この街でひとりだけ残してあげるのよ』
『探してごらんなさい』
『これはお遊び』
『あなたと私のかくれんぼよ』
ファムビルが語る魔女の言葉は、テオドールにも聞き覚えがあった。正確には異なる。しかし、よく似た言葉だ。
追いかけろ。鬼ごっこだと。
あの時。
魔女は確かに、テオドールへそう告げた。
「……似たような言葉を聞かされたか?」
言葉を失うテオドールに向かって、ファムビルは緩やかに肩を竦めた。
シェリアは、ただ不安そうに二人を見つめているだけだ。何らか、言葉を挟むようなことはしない。
とはいえ、それは元々だ。
シェリアは、話を遮ったり前に出たり、目立つことをするタイプではない。
「……俺の時には、追いかけろと言っていた」
「そうか。さほど違いはないな。自ら近付けと言っているに過ぎない」
「……何故だ」
「理由は分からない。だが、その後、魔女から接触された者はいない」
ファムビルの言葉にテオドールは眉を顰めた。
「……他の者達も、そうなのか?」
魔女は襲撃の際、ひとりだけ生かして残す──その情報は確かにテオドール達も手に入れていた。
だが、そこから先の話は途切れたままだ。
シェリアの肩が小さく震えた。
「――ああ。生き残りは、再び襲われてはいない」
静かに肯定を返したファムビルは、視線をゆっくりとシェリアに転じた。
「君は、魔女に会ったことはあるのか?」
ファムビルの問いに、シェリアは俯いた。
それは、かつて一度だけテオドールも口にした問いだ。
しかし、あの時はタイミングが悪かった。
怯えた彼女から、その答えを聞き出すことは出来なかったのだ。
「……私」
シェリアが静かに口を開く。
その声は震えていて、肩を小さく縮めている様子は怯えが滲んでいる。
無理をするなとテオドールが言うよりも先に、シェリアは顔を上げた。
「……声を、聞きました」
見た、でもなく。
会った、でもない。
思いもしない肯定に、テオドールは思わずファムビルを見た。
しかし、ファムビルの方は予想していた通りだったようで特に驚いた様子もない。
「そうか。それが分かって良かった」
そう言うなり、ファムビルは立ち上がった。
反射的にテオドールが警戒を強めたが、立ち上がった彼はただ背を向けただけだ。
「少し待っていてくれ。渡したいものがある」
薄らと口の端を持ち上げて振り返ったファムビルは、まっすぐにシェリアを見据えていた。