食事さえ終えてしまえば、やるべきことなど特にはなかった。
情報収集は昨日中に済ませておいたから――そう答えたテオドールだったが、情報などいくらあっても良いことくらいは分かっている。
ただ、彼女には"何でもない時間"を過ごして欲しかった。
今くらいは、魔女から離れても良いだろうと思えたのだ。
「……」
それさえも、自らのエゴだとテオドールは自覚していた。
しかし、ドームに包まれた街を歩く彼女は、とても楽しげだ。
店を覗き込んでは興味深そうに見つめ、時々彼を振り返り、また歩いていく。
「……買うか?」
不器用なテオドールの問いに、シェリアは笑って首を振る。
彼女は着飾らない。
服は最低限で、アクセサリーの類は持っていなかった。
「ううん。見るだけで楽しいよ」
シェリアはそう言うと、再び店へと視線を転じた。
花をモチーフしたアクセサリーが並ぶ。
隣の店には、レース編みと花の装飾品があった。
淡い色合いの花のブローチや髪飾りもある。
しかし、彼女は欲しいとは言わなかった。
確かに路銀は潤沢ではなかったが、切り詰めなければならないほどでもない。
「シェリア」
何軒目か。
小さな花束ばかりを売っている店を出た時、テオドールは再び問いかけた。
「欲しくなったものは、ないのか」
しかし、シェリアは首を振る。
「ううん。見るだけでいいの。ありがとう」
テオドールは、何か物を与えたいわけではなかった。だから、そのように言われてしまうと、何も言えなくなってしまうのだ。
そんな彼にシェリアは微笑んで、礼を告げる。
シェリアは、着飾りたくないわけではなかった。
だが、こんなに繊細なものを旅の中で守ることができるとは、思えなかったのだ。
壊してしまったら。
汚してしまったら。
そうなった時、きっと彼に謝らせてしまう。
彼はきっと自分の責任だと思ってしまうだろう。
だから、――シェリアもまた、彼から問われる度に困っていた。
いつか魔女の脅威がなくなって、旅も終わったら。
その時、彼は一緒にいてくれるだろうか。こんな風に装飾品を一緒に選んでくれるだろうか。
シェリアは、未来を考えることが怖かった。
「……そうか」
静かな頷きと共に声を返す青年は、不器用で優しい――少なくともシェリアはそう思っている。
一度も、恨んだことなどなかった。
彼が、罪悪感を秘めていることは知っている。しかし、それをどのようにして解けばいいのか。シェリアには、分からなかった。
テオドールもシェリアも、互いにひどく不器用なのだ。
「うん。あっ、これ……知ってる? これね――」
テオドールが見ても違いなど分からないような花の名前を、シェリアはよく知っていた。本当なら寒い場所に咲くのだとか山の花なのだとか、楽しそうに話す横顔は彼の知らないものだ。
花を可愛いと言い、綺麗だと言い、アレンジされた花束を見つめては淡い銀の髪を揺らしている。
どこで知ったのだろう。
見たことがあるのだろうか。
本で知ったのだろうか。
それは、どのような本だったのだろうか。
テオドールは、シェリアのことをほとんど知らないのだと思い知らされた。それと同時に彼女が本当にただの少女なのだと、改めて突きつけられる。
この少女が花も人も同じだと、簡単に手折ることができるだろうか。
いつか見た光景と、すぐ傍にいる彼女の姿が重ならない。
まったく、重ならないのだ。
テオドールは眉を寄せたあと、ハッとして表情を改めた。
彼女を魔女だと罵った者達と自分に、いくらの差もないとテオドールは思っている。言い知れない罪悪感は、旅を続ける間にも彼の胸を蝕んでいた。
「――ねえ、テオ」
街の外れまで歩いていくと、建物の代わりに花々が大地を埋め尽くしていた。
朽ちかけている木製の柵も蔦と花に支配されつつある。
少しずつ日が傾き始めた空のもと。
花に囲まれたシェリアが、振り返りながら微笑んだ。
「楽しかった。ありがとう」
そして、こんな些細な一日の礼を告げる。テオドールは違うと言いたかった。 そうではないのだと、否定したかった。
ただ街の様子を眺めて、店を見て歩くだけの、普通の少女であれば簡単に許される程度の。そんなことをする時間を作っただけで、感謝されたいわけではなかった。
「――……シェリア」
テオドールは、掠れた声で彼女を呼んだ。
もう何度も呼んだ名前だというのに、今更のように緊張で喉が震える。
「なぁ……シェリア」
「うん」
空を見上げていた彼女の目が、ゆっくりとテオドールに向いた。
どこまでも純粋な色を溶かした銀の瞳。
金とは、ほど遠い銀色。
まっすぐに向けられた視線の分だけ距離を詰めたテオドールは、静かに息を吐いた。
「もし、旅が無事に終わったら――」
魔女に復讐を果たして。
彼女が普通に生きていくことができるようになったら。
その時は。
その時になっても。
共にいて、良いのだろうか。
テオドールは言葉に迷って、とうとう声を途切れさせた。