──夢を見た。
淡い金の髪を持った少女と、その手を引く青年がいる。
彼らにこちらの姿は見えていないらしい。
見つめ合う二人の周囲には、たくさんの花が咲き誇っている。
花園と呼ぶべきだろう。
鼻先をこすり合わせて笑う二人は、とても仲睦まじい。
何かが落ちる音がした。
振り返れば、暗い石床が見える。
冷たい床の上に転がっているのは、無骨な鎖と枷だ。
表情などない無機質なそれらは、触れるべき先を失ったままになっている。
再び、前を見る。
金髪の少女が、何かを抱いていた。
よくよく見れば、それは目を閉じた青年の首。
眠った彫刻のようにも、現実的な生首にも見えた。
少女がゆっくりと振り返る。
息を飲んだ時、少女はうっとりと目を細めて微笑んだ。
そして、ゾッと震えが走るほど低い声で言う。
「────、────!」
その瞬間、シェリアは飛び起きた。
荒れた呼吸が肺を震わせ、喉奥には深い乾きがある。
室内にいるのは、自分とテオドールだけだ。
床も木板で、石ではない。差し込むのは、朝日だけだ。
他には、誰もいない。
夢だった。
何もかも、夢。
「……ゆめ……」
シェリアは静かに息を漏らした。
まだ、心臓がうるさく跳ね回っている。
胸を押さえ込んだところで意味などない。
ひどく、苦しい夢だった。
そして、とても悲しい夢でもあった。
あの夢を見たのは、一度や二度ではない。
だが、毎夜と言えるほど頻繁でもなかった。
彼女は、いったい誰なのか。
彼は、いったい何者なのか。
問いかけようにも夢の中で、自分に声は与えられていない。
シェリアは、胸元を押さえながらうずくまった。
こみ上げてくる感情が誰のものなのか、分からない。
だが、ただただ悲しかった。
しかし、それが、どうしようもなく恐ろしい。
青年は、殺されてしまったのだろうか。
それなら、殺したのは誰なのだろうか。
彼女なのか。ならば、どうして微笑んだのか。
考えを深めるほどに分からなくなってしまう。
この悲しみは、辛さは、苦しさは、誰のものなのか。
シェリアは両手で顔を覆い、ゆっくりと息を吐いた。
***
テオドールが目を覚ましたのは、市場に人が増え始める少し前のことだ。自分より先に起きていることにテオドールが驚くと、珍しく先に早起きができたのだとシェリアは笑った。
あの後、眠れなくなってしまったのだ。
再び瞼を下ろせば、あの光景が浮かび上がる気がしてしまう。
夢の中にいた青年は、テオドールではなかった。
それどころか、知った誰かの顔でもない。
あの少女も、そしてあの青年も、いったい誰なのか。
考えたところで、記憶にもない相手を知ることはできない。
「──シェリア」
テオドールの呼び声に、シェリアはハッと顔を上げた。
「眠れなかったのか?」
「……ううん。そんなことないよ」
「なら、いいが……とにかく、夕方には温室へ行く」
「うん。……えっと、明日の朝に出発だよね」
朝のうちに予定の確認をするのは、二人にとっては習慣だった。
どちらが言い出したわけでもない。
いつしか、二人の中でそうすることが当たり前になっていた。
言葉とは裏腹に目を伏せてしまっているシェリアに対して、テオドールは少し迷った。
「……どうする。今日は街を見てみるか?」
「え?」
「どうせ、あいつに会うのは夕方だ。それまで時間がある」
次に迷ったのはシェリアであった。
彼女がいつも留守番をしているのは、結局のところ魔女に似た自分をテオドールが連れ歩くことのリスクが高いからだ。彼にそう言われたわけではなかったが、事実として支障があった過去がある。
迷うシェリアに、テオドールは頷いてみせた。
「俺が傍にいる」
シェリアは普段から移動以外の外出は控えている。
それは魔女の話について、直接は聞かせたくないというテオドールの気持ちも関係していた。
加えて、魔女であると誤解を受ける可能性を少しでも回避したいせいだ。
部屋の中、ひとりきりで荷物の番をしている彼女が、何を考えているのか。テオドールには分からない。だが、港の街では宿にいても結果的には同じだった。
傍にいた方が良いのではないか。
テオドールは迷いながらも口を開いた。
「……シェリア。一人にはしない。だから、街を見て回ろう」
その言葉に、シェリアの表情が少し明るくなった。
「うん。離れないようにするね」
嬉しそうに頬を緩める彼女の様子を見て、テオドールは四肢に力を入れた。
花という商品は寿命が短い。だから、街に出入りする人間は多く、そして頻繁だ。気をつけるべきだとすれば、よからぬ者達に囲まれた時か。
気を引き締める必要がある――テオドールは、落ち着くために一度だけ深呼吸をした。