花の街に出入りする者の大半は、商人らしい。花は富裕層に需要があるのだ。そんな話を聞いたテオドールは、複雑な気持ちになった。
弔いのために育て始めた花が、各地に流れている。
もし、自分がファムビルの立場であったなら、単なる商売として割り切れるだろうか。そう考えたものの、テオドールは程なくして思考を断ち切った。
ひとところに留まろうなどと、一度も思ったことがないのだ。
自ら荷物番を申し出たシェリアを宿の一室に残して、テオドールは外に出た。
ドーム内の光景は、どうにも見慣れないものばかりだ。
割れた石畳の隙間からも花が覗き、ヒビの入った石壁の建物には蔦が這っている。 少し離れた位置から宿の建物を眺めたあと、テオドールは歩き出した。
街の中に並ぶ建物は比較的新しいようだ。
しかし、大通りの足元に引き詰められた石は古い。
「……」
襲撃の現場がここだったのだろうか。
テオドールは眉を顰めた。
ひとしきり街中を歩いて手に入れた情報に、とりたてて異質なものはない。
ファムビルが、街の実質的な長であること。
温室の管理や花の流通に関してもまた、取り仕切っていること。
ガラス製のドームは、魔法道具で維持しているということ。
魔法道具を作ったのは、"プラタナス"の魔法研究家であるということ。
「……プラタナス、か」
それは巨大な図書館の名前だ。
あらゆる場所から本が集まると言われる図書館につけられたその名が、いつしか街全体を示すようになったという。だが、テオドールも話に聞いただけで、実際に見たことはなかった。
次の目的地は、そちらでも構わないだろう。
市場で食料を手に入れたテオドールは、そう考えながら大通りを引き返した。
時刻は既に夕暮れ。
明日の夕暮れ以降と指定されたのだから、まだ丸一日残っている。
彼女は街中を見て回りたいと思わないだろうか。
テオドールは、肩から力を抜いた。
思わないわけがない。
シェリアは大人しい性格をしているが、それでいて好奇心は旺盛だ。
荷物番という役割で、わざわざ留守番役にしているのはテオドールの都合だった。
最初は、それこそ面倒ごとを引き起こされたくなくてそうしていた。
そのうち、彼女が謗りを受けることを減らしたくなった。
今では、できるだけ傍にいたいとすら思うようになっている。
今更、外を見て回らないかと誘っても、シェリアは首を横に振るかもしれない。
テオドールは憂鬱な気持ちになった。彼女が気にしていたフードの件も、そもそもは自分が言い出したことだ。
できるだけ、目立たないように。
そうすれば魔女だなどと罵られる可能性が多少は低くなる。
だが、それは同時に、彼女を隠さなければならない存在に仕立て上げているような気もした。
「……」
テオドールは溜め息を押し殺して、ドアを開いた。
室内にいるのは当然ながらシェリアだけだ。
彼女は窓際から外を眺めていた。
「あっ、テオ。おかえりなさい」
振り返った彼女は、頬を緩めて笑みを浮かべた。
「ああ、戻った」
普段なら鍵をかけるように告げているところだ。
しかし、今回ばかりはそのように言わなかった。
警戒を解いたわけではない。
テオドール自身も、わざと施錠しなかった。
彼女の存在を押し隠すことを、やめたくなっていたのだ。
それが危険であろうことも分かっていて、しかしながら、彼女を閉じ込めたくなかった。
「いい匂いがするね」
近づいてきたシェリアに対して、テオドールは袋を傾けた。
紙袋には、焼きたてのパイが入っている。
「林檎のパイだ」
「すごい、おいしそう……」
「……夕食の代わりにしよう」
笑みを浮かべた彼女は、すぐに準備を始めた。
テーブルの上を片付けて、二人分の飲み物と皿を用意する。
シェリアがフードをかぶらずにいるのは、二人きりでいられる宿の一室くらいなものだ。
動く度に揺れる銀の髪を眺めながら、テオドールはこみ上げた息を喉奥に押し込めた。
「わぁ……パイ、大きいねっ」
パイの包みを開いてやれば、銀の瞳が輝いた。
彼女は大半の年頃の娘がそうであるように、甘いものが好きだ。
飲み物も焼き菓子も、甘いものを好む。
ただの、どこにでもいる少女だ。
テオドールは目を伏せながら、パイを切り分けた。
そうはいっても、全くもって平等には分けられない。
シェリアは食が細かった。
食事の間に交わした会話の大半は、今日の報告だ。そして、街で手に入れた情報や市場を見た感想など、取りとめのないことも口にする。
「シェリア。次は、プラタナスに向かわないか」
食事を終えて片付けをしたあと、寝る間際。
テオドールは、そのように提案した。
枕を抱いて寝台に腰掛けていたシェリアが、目を瞬かせる。
「えっと、魔法研究家の人がいる、図書館の?」
「そうだ。何か手がかりがあるかもしれない」
図書館の創設者は魔法使いだったと聞く。それならば、図書館の管理を代々受け継いでいる者も魔法使いである可能性が高いのではないか。
テオドールの言葉に、シェリアは頷きを返した。
魔女と魔法使いに、必ずしも接点があるとは限らない。
だが、そこに魔法という繋がりがある以上、全く何の関係もないとは言い切れないはずだ。
テオドールは、隣の寝台に寝転がった小さな体を視界に入れながら考えた。
「……とにかく。ファムビルの話が先だな」
「うん」
「……明日の夕方以降だ」
「うん」
シェリアは少し眠たげだ。
少しずつ下がってしまう瞼を、懸命に押し上げている。
テオドールは僅かに口の端を釣り上げた。
「……おやすみ、シェリア」
「うん、テオ……おやすみなさい」
ランプの火を吹き消して、テオドールもまた寝台に乗り込んだ。
ほどなくして、傍らの寝台から寝息が届くようになる。
野宿は、やはり彼女には厳しいものがあるだろう。できれば、毎度寝台で寝かせてやりたいものだ。
そう考えながら、テオドールもまたゆっくりと瞼を下ろした。