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永遠に信じてる。
ずっと、愛しているの。
へぇ、裏切られ続けているのに?
*
ミレーナが"花の街"だと告げたその街は、街全体が巨大なドームに覆われていた。街中を行き交う荷馬車も人々も、抱えている荷物の大半を花が占めている。
「すごい……大きな温室……」
ドームの中に入った直後、シェリアが驚いた様子で周囲を見回した。
街全体がまるで巨大な温室だ。さまざまな色の花が咲き誇り、整然と並んでいる。ガラスのコップを被せたように、壁も天井も透き通っていた。
ところ狭しと並ぶ花々は花屋を連想させるが、それよりもずっと密集している。
テオドールは、ミレーナから去り際に手渡されたカードを見下ろした。
何か困ったことがあれば、使うといいよ──そんな言葉と共に渡されたカードを懐に入れ、花々に目を奪われている彼女の隣まで歩みを進めた。
「……」
テオドールは、まるで箱庭のような街だと思った。
建物の外だというのに、ドームが遮っていて風がない。
透明なドーム越しに、太陽の光だけが降り注いでいる。
ここには、雨も入らないだろう。
「すまない。ファムビルという男を知らないか」
店先で花の束を木箱に詰めていた女性に声を掛けたテオドールは、シェリアが離れてしまわないかと目で追った。
シェリアは、街に溢れる花を見つめている。
「え? ええ、ファムビルさん? それなら、温室の方ですよ。この道をまっすぐ行って──」
テオドールは、女性から説明を受けながら示された方向へと視線を転じた。まっすぐに伸びるメインストリート。
街全体が温室だと彼は感じていたが、どうやら街の者達の認識は違うらしい。女性に礼を告げると、珍しいと笑われた。
聞けば、直接ファムビルを訪ねる者は、ミレーナくらいなものらしい。この街の、いいや、温室の責任者ならば確かにそうか。トップ同士の商談だと思えば、分かりやすい。
納得したテオドールは、シェリアを連れて歩き出した。
賑わう大通りを進んでいけば、赤いレンガの建物に辿り着く。
レンガ壁の途中からはガラスになっていて、天井に値する部分が半球に覆われていた。
「どうやら、この街は多方面に花を流通させているらしいな」
「ここから……お花を?」
「ああ。季節を問わずに様々な花が手に入る、らしい」
花を売ることが商売になるとは、テオドールからすれば不可思議な話だった。何せ花など、そのあたりにいくらでも生えている。わざわざ金を払う価値があるかどうか。少なくとも彼は、花に金を出したことはなかった。
"温室"と呼ばれた建物には扉がなく、入り口は巨大なアーチを描いた空洞になっている。これでは風も雨も入ってしまうのではないかと考えたテオドールは、そもそも街全体が雨風を遮るドームの中なのだと思い直した。
建物内に入ってすぐに呼び止めてきた女性曰く、ファムビルは不在とのことだ。待たせて欲しいと答えれば、女性は笑って快諾してくれた。
条件は、ひとつ。
温室内は好きに歩いて構わないが、落ちていない花には触れないで欲しい──それだけだった。
中央の道を進んで奥へと向かう。
ガラスのアーチを超えると、半円を描いたバルコニーを思わせる一間に出た。
バルコニーの下にもまた、大量の花が咲き誇っている。
「わあ……すごいね……」
バルコニーを囲う低い柵に触れたシェリアは、少しだけ体を乗り出した。
まるで二階部分から見下ろしているような高さだ。柵は、シェリアの胸元程度の高さしかない。
テオドールはやや気に掛けながら、溢れかえる緑を眺めてから視線を戻した。
「どのように維持しているのだろうな……」
魔法道具だろうか。
ガラスのドーム自体は珍しくないが、これほど大規模なものは見たことがなかった。テオドールの呟きに反応して、シェリアが振り返る。
「どうやって……」
シェリアは魔法に疎い。
そもそも、知識がなかった。
魔法道具にもろくに触れたことがなく、テオドールのように剣術を学んだこともない。とはいえ、魔法は剣術とは異なる。
魔法使いは、魔法使いの親からしか生まれない。
もっとも、魔法使いが親だからといって、子供が魔法を使えるとは限らなかった。
シェリアは、自分の親を知らない。
魔法使いだったのか、どうなのか。
それが分からない以上、魔法の可能性については謎のままだ。
少なくとも、テオドールの身内には魔法使いがいない。
二人にとって判明している事実は、その程度だった。
「──……あっ」
シェリアが小さな声を上げた。
誘われるようにテオドールもまた、下に広がる花の光景を見下ろす。
花々が、まるで風に撫でられているかのように揺れている。
その時、二人の背後に靴音が響いた。
「待たせてしまって申し訳ないが」
そのような言葉と共にバルコニーにやってきたのは、黒髪の男だった。二十代後半と思わしき男に振り返るなり、テオドールはすぐに体を向け直す。少し反応が遅れたシェリアは、柵から手を離して慌てた調子で振り返った。
「用件は手短に……──」
そのように言いかけた男は、視線を持ち上げると同時に言葉も動きも止めた。
青い目が、まっすぐにシェリアを見つめている。
テオドールは、少し警戒を強めた。
その反応が何を意味するのか。彼は知っていたからだ。
手元に抱いていた花が一輪ばかり抜け落ち、足許でかさりと音を立てたことによって男は我に返った。
「……私はファムビル。この温室を管理している者だ。君達がテオドールとシェリアか」
ゆっくりとした動作で花を拾い上げた男──ファムビルは、花びらに傷がついていないかを眺めた。そして、名前が知られていることに警戒を強めるテオドールに向かって、一枚の便箋を取り出す。
「ミレーナから大筋は聞いている。……魔女の、ことか」
「ああ」
「成る程な……」
男はしげしげとシェリアを見つめた。
その無遠慮な視線に、テオドールの目つきが少々険しくなる。
「──ああ、確かに。魔女とよく似ている」
ファムビルの言葉に、シェリアはびくりと肩を震わせた。
何度言われても、慣れない言葉だ。
途端、テオドールが前に一歩踏み出した。
「……っ、テオ、いいの」
何事か口にしようとしたところでシェリア当人に止められた。そうなれば、テオドールは引かざるを得ない。
シェリアは、制止のためにテオドールに触れた手を静かに下ろした。そして、ゆっくりと息を吸う。
緊張感はあった。いつもそうだ。魔女の話をする時は、胸が痛いほど心臓が騒ぎ立てる。
「……あの、……それはやっぱり、顔のこと、ですか」
ぞわぞわと落ち着かない。
こみ上げる緊張感には、慣れられそうにもなかった。
シェリアは、震える声で問いを投げ、少し遅れてから視線を持ち上げていく。
"魔女"――と、そう口にする人々は恐怖か憎悪を向けてくるものだ。
しかし、ファムビルは少し違った。
彼はただ、シェリアを見つめているだけに過ぎない。
「……そうだな。声もよく似ている。……が、別人であることくらいは分かる」
淡々とした受け答えだ。
ただ、事実を述べているだけなのだろうとシェリアには思えた。
気を遣っているわけではない。それが、むしろ有り難い。
「魔女を、見たことがあるのか」
テオドールが耐え切れずに声を放つ。
シェリアの肩が少し震えた。
魔女。
魔女。
魔女。
その言葉の響きに滲むのは、いつだって憎悪なのだ。
「……あるとも」
ファムビルはシンプルな肯定と共に、視線をテオドールへと転じた。
「故郷を焼き払った女の顔を、見間違えるものか」
「……襲撃を受けたのか」
「ああ、十六年前のことだがな。……弔いのために育てた花が、今はこの通りだ」
そう言って、ファムビルは腕に抱いた花の束を軽く揺らした。
鮮やかな色で咲き誇る花──家族の墓石にそれを供えたのは、もう何年も昔のことだ。テオドールは、かつての故郷を思い出して息を漏らした。
「お前も
ファムビルは、テオドールに向かって言葉を投げた。
シェリアが見上げてくる視線を感じながらも、テオドールは答えられない。
しかし、ファムビルは気を悪くした様子もなかった。
彼はただ、淡々としている。
「──明日。また来てくれないか」
ファムビルは花束を抱え直すと、静かに声を落とした。
「魔女の話だろう。夕方以降に訪ねてくれ」
彼の言葉に、二人は頷くしかなかった。
シェリアの眼差しを受け止めて、テオドールがゆっくりと歩き出す。
その後ろにシェリアが続けば、ファムビルは静かに言った。
「……お前ではないな」